第13章:鉄の朝焼け、静かな火種
夜明け前の空気は、まるで使い込まれたスパナのように冷たく硬い。
その中を、ジョウは一人歩いていた。
タバコの煙は風に溶け、吐いた息はまだ火を欲していた。
昨日までの夜が本当にあったのか、
それとも高熱に浮かされた幻だったのか。
答えは、指先の皮膚に残った熱と、
――ベンチに置き忘れた作業着の油の匂いだけが教えてくれる。
「……今日も、鉄をつなぐ日だ」
工場のシャッターがガラリと開く。
朝焼けの光が、鈍色の鉄材に線を描いていく。
鉄は黙っている。けれど、火を通せば語り出す。
ハンマーの打音、グラインダーの唸り、
電流の唸る音が、ジョウの耳に心地よく響く。
汗が流れ、皮膚が煙をまとい、
昼の世界が、またいつも通りに回り出す。
そのときだった。
昼休憩、鉄工所の自販機の横で、
誰かの声が背後から響いた。
「……昨日の“火”、見てたよ」
振り返ると、そこには、
黒いジャケットに身を包んだ、長い髪の女が立っていた。
太陽を背にして、その表情は影になっている。
「kurenai……?」
彼女はゆっくり歩み寄ってきた。
鉄の音が止まり、世界が数秒だけ、沈黙したような錯覚。
「見てるだけじゃ、もう我慢できなくなったの」
彼女の目が、あの配信越しの火を思い出させる。
炎のように揺れながらも、芯のある光。
「あなたの火に、――本当に焼かれてみたくなった」
それは告白ではない。
誘いでもない。
一種の、覚悟だった。
ジョウの額には、昼の溶接でついた細かい火傷の跡がいくつもあった。
だが、それをkurenaiはまるで勲章のように見つめていた。
その視線は、どんな鋼鉄より熱を帯びていた。
「おまえ、ここまで……どうして――」
言葉が喉でひっかかる。
昼の現場は、感情を削り落とすように無機質で、
夜の配信は、欲望を照らす舞台装置だった。
だが今は、そのどちらでもない。
昼と夜が接触し、スパークを起こす瞬間だった。
「あなたの“火”を、
カメラ越しじゃなくて、肌で感じたかった――」
kurenaiの指先が、ジョウの腕をなぞった。
鉄粉まみれの腕。焼けた皮膚。汗と油の匂い。
だがその全てが、彼女にとっては“香り”だった。
「あなたが汗をかいて、鉄と向き合って、
それでも、夜に別の火を灯す姿が、――私は、好きだった」
工場の裏にある古い詰所――
そこは誰も来ない昼の隙間で、
煙草とコーヒーのにおいがしみついた、時間の残りカスのような場所。
ジョウは黙って、その扉を開けた。
kurenaiが入る。
扉が閉まる。
そして、昼間の世界が外で回り続ける中、
二人の時間が、静かに溶接されていく。
彼女の唇が、ジョウの首筋に触れる。
それは火花だった。
火口に火を灯す瞬間。
鋼鉄を溶かし、重ねるような――
魂の摩擦。
「触れて、焦げて、焼かれて、いいの……」
溶接マスクを外したまま火花に向かうような、
危険で、愚かで、だが、確実に生きているという実感。
ジョウの指先が、彼女の服のファスナーをなぞる。
kurenaiの吐息は、真夏のトーチのように熱く、震えていた。
鉄工場の床の冷たさと、肌の熱。
鋼の匂いと、肉体の甘い汗。
溶けるものと、溶けきれないもの。
配信では絶対に映らない、
“裏側の火”が、そこにはあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます