第6章:鋼の情事、火を抱く手

溶接音が途切れたのは、昼の1時12分。

鳴り響いたのは、火ではなく、爆発だった。


現場の屋根裏で、老朽化したガス管が破裂し、

火の手が跳ね上がった。


鉄骨が悲鳴を上げる。

まるで、女の喉が耐えきれずに漏らす声のように。


ジョウは躊躇なく走り出した。

火花よりも熱く、

“現場魂”で血が煮えるほどのスピードだった。



黒煙の中、声がした。


「だれか……まだ、中に……っ」


その声は若く、擦れていた。

火に炙られても消えない、“願い声”だった。


ジョウが飛び込むと、鉄骨の影に、

少女が蹲っていた。

ススまみれで、肌がところどころ焼けただれても、

その手だけは鉄材を離していなかった。


「放せ、鉄なんてどうでもええ!」

「……ちがう! これ、“あの人”の……最後の溶接……っ」


ジョウは、その言葉で確信した。


この少女――

“火で人を想う女”だ。



少女の名は、ミユ。

16歳。

亡き父親は、伝説の溶接工だったという。


「この鉄梁……お父さんが、最後に火を入れたやつ……

 “溶接は、気持ちが通じないと、割れる”って……言ってた……」


ジョウは、少女を抱き上げながら、

かつて自分が、そう言った記憶をたぐった。


あの男は、かつての弟弟子だった。

ミユは、その娘――

そして今、“火口を引き継ごうとしている手”だった。



その夜。

ミユはスタジオにいた。

体の火傷は浅く、だが心は焼け残ったままだった。


「配信なんて、エロいことするんでしょ」

「お前が思うようなエロは、ここにはない。

火を抱くための“儀式”や。」


ミユは少しだけ頬を赤らめた。

「じゃあ……見てて。

 “火を持つ女”になれるか、見ててよ……ジョウさん」



彼女の配信は、儚く、そして痛々しいほど純粋だった。


作業着の袖をまくる。

指先の火傷の痕が露わになる。

それを、そっと撫でながら、ミユは囁く。


「ねぇ……火ってさ、

 最初は熱いけど……

 ずっと触ってると、慣れてくるんだよ。

 ……それが、ちょっとだけ怖いの」


カメラ越しに、視聴者が息を呑んだ。


【コメント:この子、火と話してる……】

【コメント:まるで処女が、火を受け入れる瞬間みたいだ】

【コメント:痛みに慣れるなんて、俺たちの現場と同じだ……】



ジョウは言葉を挟まなかった。

彼女が、“火を抱く手”になる過程を、

ただ、黙って見届けていた。


ミユの目がカメラを見つめる。

その中にはもう、恐れはなかった。


「……燃えるって、気持ちいいんだね。

 誰かのことを想いながらなら、

 火傷も、ぜんぶ、“記憶”になるんだよ。」



スタジオの灯りが落ちる。

その夜、ミユの手には、

一本の古びた溶接棒が握られていた。


ジョウが渡した、“父の最後の火”だった。


「お前は、もう火を恐れん。

 だったら次は、“火を灯す側”や。

 それが、現場の女の仕事や」


配信を終えた後も、ミユはしばらくスタジオの溶接機を離れなかった。

手には、父が使っていた鉄のグローブ。

まだ彼女の指には大きすぎて、

まるで過去の亡霊を握りしめているようだった。


ジョウが静かに言う。


「火は、簡単に人を焼く。

 けど、本当の火は、魂まで焼かん。

 魂まで燃やすのは、自分や。」


ミユは頷く。

その横顔に、かつて“火を恐れていた少女”の面影はもうない。



翌日、事故現場の鉄骨を撤去する作業が始まった。

焼け焦げた梁に、溶接の痕が残っている。

だがそれは歪みもなく、

まるで“父の意志”が、そこに今も生きているようだった。


ミユは、ジョウに頼み込む。


「私も、火を入れたい。

 “もう一度、あの梁に”……父の隣に、私の火を刻みたい」


ジョウは黙ってヘルメットを差し出す。

「火を入れるってのは、

 相手に“抱かれる覚悟”がいるんや。

 相手は鉄や。冷たくて、無口で、でも誠実なやつや」


ミユは笑った。

「じゃあ、初めての相手にはちょうどいいね。

 私、ちゃんと覚悟、決めてきたから」



現場に響く、小さな火花の音。

まだ不安定で、線もまっすぐじゃない。

だが、そのすべてが初々しい。

処女のような溶接だった。


ジョウは見守る。

まるで、女の中に初めて火が宿る瞬間を見ているように。

ミユの背中には汗が流れ、息は浅くなる。

だが、決して手を止めない。


彼女は今、父を想いながら、

 “自分の火”で鋼を抱いていた。



溶接が終わった。

少女は、仰向けに倒れ込み、息をついた。

顔は煤だらけ、髪は火の粉で焦げていた。

それでも――彼女の目は、涙で光っていた。


「ねぇ、ジョウさん……

 これって、セックスよりも熱いね……

 心の奥まで、焼かれてる気がする……」


ジョウは苦笑いする。

「そやろ。

 火ってのは、欲より深いところに届くんや。

 それが、現場の愛撫や。」



その夜の配信では、ミユはもう脱がなかった。

代わりに、焼けた鉄片をカメラに映してこう言った。


「これが、私の初めて。

 誰にも触られずに、

 “火で抱かれた”記憶です。」


コメント欄が炎のように燃えた。


【コメント:ガチで泣いた】

【コメント:火とセックスする女、ここに爆誕】

【コメント:現場って、こんなにエロくて熱いのか……】



数日後、ミユは再び現場に立った。

今度は、誰の背中も追わずに。

彼女の足元に積まれた鉄材が、

まるで“女を試すベッド”のように見えた。


「さぁ、今日も火を抱こう。

 鋼の中に、私の手で、愛を入れてやる」


彼女の瞳に、赤く燃える“火口”が灯っていた。

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