竜王とうさぎの娘
原ねずみ
第一章 陸の一族
1
草むらの中をうさぎが駆けてゆく。長い耳が草の葉の間からちらちらと見える。ほんのり茶色い長い耳。うさぎはぴょんぴょんと無心に手足を動かして進む。
ふいに立ち止まった。そこから少し先は切り立った崖になっているからだ。崖の向こうは――海。青くきらめく海。
うさぎは首を伸ばした。海を眺めようとしているのか……そしてその姿が揺れ、輪郭がぼかされ、形が歪み、そして――うさぎはいつのまにか人間の姿となっていた。
そこにたたずむのは一人の小柄な少女。うさぎが人間の少女になったのだ。
彼女の名前はスニといった。年の頃は15。近くの村に住んでいるのだ。
――――
スニは海を眺めた。風が吹き、スニの髪や服を揺らす。髪は一つにまとめてお下げにして背中にたらしている。ここではたいていの少女はこの髪型なのだ。
スニはため息をつき、そしてくるりと海に背を向けた。ここで海を眺めていても仕方がない。これから気の進まぬことが待ってるけど……それをやらねばならない。
スニは早足で歩いた。やがてやや小走りになる。長い裳(スカート)はあまり走るのに適しているわけではないけれど、走れないわけでもない。けれどもうさぎでいるほうがよっぽど走りやすい。
スニはうさぎに変身することができるのだ。ここではスニ以外もそうだった。この世界では。この世界では――全ての人間が、なんらかの生き物、人間ではない違う生き物に変身できるのだ。
――――
駆け足が速歩きへ、そして普通の歩く速度へと、スニの進む速度は落ちていく。疲れてしまったのだ。海から離れ、人里へ。田畑の横を歩いていくと、やがて集落が見えてくる。そこにひときわ大きな建物がある。
門があり、広場がある。一見、何かの学校のようにも見える。スニが門をくぐると、同年代くらいの少年少女がわっとスニの元へ集まってきた。
「話を聞いたわよ!」
スニとよく似た格好をした少女が興奮して言った。スニの友人の一人だった。「族長様に呼ばれてるんでしょ!」
スニは驚き、不安な表情になった。
「どうしてそれを……」
「どっから出た話なのかしらないけど、今日来てみたらみんなその話をしてるんだよ」
少年の一人が言った。スニの顔がますますくもり、そして泣きそうな表情になった。
「昨日、お屋敷に使者が来たの。族長様が私に――私に直接会いたいって」
「何をやったの、スニ!?」
友人が尋ねた。スニは首を思い切り横に振った。
「何もやってない! 何もやってない……と思うけど、私……。ねえ、どうして私は族長様のところに行くの?」
「それは私たちも知りたいのよ!」
また別の少女が言って、笑った。最初の少女がスニの隣に立ち、背中をぽんぽんと叩いた。
「良いことかもしれないわよ。あなたは何か素晴らしいことをしたのよ」
「全く記憶がないんですけど!」
「知らない間にやったのよ」
ずいぶんと馬鹿げたことだとスニは思った。族長に直々に呼ばれて、褒められるようなことをした覚えは――全く、ない! けれども叱られるようなことをした覚えも……ない。たぶん。
「どうしよう、私、恐ろしい……」
震える声でスニが言うと、友人たちがわっと笑った。「怖がることなんてないよ」「そうそう!」「一対一でお話したことはないけど、族長様はいい人じゃない!」
そこへ、中年の女性が一人やってきた。スニやその友人たちもよく知っている女性だ。子どもたちの世話をしてくれる女性。
女性はスニを見て言った。
「スニ、やっと来ましたね。さあ、族長様のところへ参りましょう」
――――
この世界では、人間が他の生き物に変身する。ある者はうさぎに、ある者はへびに、ある者はからすに。そして、うさぎはうさぎ同士、へびはへび同士、からすはからす同士で、社会を作るのだ。
彼らは一人の代表を選ぶ。それは族長と呼ばれる。うさぎの族長はうさぎに変身するものたちをまとめなければいけない。彼らは子ども時代を自分と同じ生き物に変身する者たちとともに過ごす。
生き物ごとに、学校のような場所、また長じてからは集会などに使える場所があって、スニが今いるところもうさぎたちの(うさぎに変身する者たちの)学校兼集会所であった。
そこに族長の執務室がある。スニは中年の女性に案内されて、そこへと向かっている。スニが執務室に入るのは、これがもちろん、初めてであった。
あめ色の木の廊下をスニは重たい気持ちで歩き、そして一室に通された。部屋には――初老の男性がいた。これが族長だ。
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