第五章 忘れられた社の蠢きと黒羽の儀
部屋に残された黒い羽根は、無言の圧力となって私に迫る。だが、それは恐怖よりもむしろ、パズルを解き明かすための新たなピースを手に入れたような、歪んだ高揚感をもたらした。
まずは、あの「古い神社の跡地」を特定する必要がある。私はアパートの床に古地図や郷土史の資料を広げ、記憶と照らし合わせながら該当する場所を探し始めた。この街は、幾度もの再開発の波に洗われ、古い記憶は新しいコンクリートの下に埋もれていく。それでも、注意深く探れば、忘れ去られた歴史の断片はそこかしこに残っているものだ。
数時間の調査の末、ついにそれらしき場所を見つけ出した。市の北西部、かつては鎮守の森として地元住民に親しまれていたが、今では都市計画から取り残され、半ば廃墟と化した雑木林の奥深くに、その神社は存在したらしい。古文書には「黒羽(くろは)神社」という名が記されていた。
黒羽――偶然にしては出来過ぎている。あの羽根は、やはり彼らのシンボルなのか。
夜を待ち、私は黒羽神社の跡地へと向かった。月明かりすらない新月の夜。湿った土の匂いと、腐葉土の甘酸っぱい香りが漂う雑木林の中を、懐中電灯の僅かな光だけを頼りに進む。周囲には、人の気配はおろか、獣の気配すら感じられない。まるで、この一帯だけが、時間の流れから切り離されてしまったかのようだ。
やがて、木々の間に、崩れかけた鳥居のシルエットがぼんやりと浮かび上がった。そこが、黒羽神社の跡地らしい。社殿はとうの昔に朽ち果て、辛うじて残った礎石が、かつての面影を偲ばせるのみ。しかし、その中心には、不自然なほど新しい、簡素な祭壇のようなものが設えられていた。
私は身を隠せる手頃な大木の影に潜み、息を殺して彼らの出現を待った。どれほどの時間が経過しただろうか。不意に、複数の人間が近づいてくる気配を感じた。
現れたのは、三人の人影。全員が黒いフード付きのローブを身に纏い、そのうちの一人は、地下の栽培所で遭遇した若い男だった。そして、残る二人のうち、一人は小柄な女。もう一人は、彼らよりやや年嵩に見える、リーダー格らしき男だ。
リーダー格の男が祭壇の前に立ち、厳かに何かを呟き始めた。それは、聞き取れないほど小さな声だったが、抑揚から察するに、何らかの祝詞か、あるいは祈りのようなものだろう。若い男と女は、その両脇に控え、微動だにしない。
やがて、リーダー格の男が懐から数枚の黒い羽根を取り出し、祭壇に供えた。そして、若い男と女に合図を送る。二人は頷くと、それぞれが携えてきた道具――スプレー缶のようなものと、ステンシルのような板――を取り出し、祭壇の背後にある、比較的平らな岩肌に向かった。
彼らが描こうとしているのは、これまで見てきた落書きとは明らかに異なっていた。それは、複数の幾何学模様が複雑に組み合わさり、まるで曼荼羅か、あるいは何かの回路図のようにも見える、巨大で緻密な図形だった。
「……『鍵』は、これで完成だ」
作業を終えたリーダー格の男が、満足げに呟いたのが聞こえた。
「先生も、お喜びになるだろう。この『黒羽の鍵』が、我らが大願成就への扉を開く」
黒羽の鍵。大願成就。やはり、彼らの「計画」は、単なる悪戯や社会への反抗などという生易しいものではない。もっと壮大で、そしておそらくは危険な目的が隠されている。
女が、ふと顔を上げて周囲を見回した。その視線が、私が隠れている大木の方に向けられたような気がして、息を呑む。だが、女はすぐに視線を戻し、リーダー格の男に何かを耳打ちした。
「例のネズミか? まあ、放っておけ。この『鍵』が起動すれば、些末な問題だ。それよりも、次の『儀式』の準備を急がねばならん」
儀式。その言葉が、私の鼓膜に重く響いた。彼らは、この「鍵」を使って、何らかの「儀式」を行おうとしている。それは一体、何のための儀式なのか。
彼らが去った後、私は慎重に祭壇に近づいた。岩肌に描かれた「黒羽の鍵」は、夜香花の甘い香りと共に、異様な存在感を放っている。そして、祭壇に供えられた黒い羽根は、まるで生きているかのように、微かに震えているように見えた。
私は持参した小型カメラで、その図形と祭壇の様子を念入りに撮影した。そして、彼らが残していったものの中に、何か手がかりになるものはないかと周囲を物色する。
その時、祭壇の隅に、一枚の羊皮紙のようなものが落ちているのに気づいた。それは、彼らが見落としていったものだろうか。拾い上げてみると、そこには、例の歪な文字で、いくつかの単語と、奇妙な記号が羅列されていた。
『月蝕』『交わる地脈』『古き神々の囁き』……そして、『魂の収穫』。
魂の収穫。その言葉を見た瞬間、全身に悪寒が走った。「楽園」で囁かれていた、禁断の儀式。それは、特定の条件下で、大勢の人間の精神エネルギーを強制的に吸い上げ、特定の目的に利用するという、非道な術だったはずだ。
まさか、彼らは、この街でそれを再現しようと?
私は羊皮紙を握りしめ、その場を後にした。事態は、私の想像を遥かに超えて、深刻な方向へと進んでいる。もはや、単なる好奇心で首を突っ込んでいる場合ではない。これは、止めなければならない。
だが、どうやって? 相手は組織だ。私一人で太刀打ちできるのか。
アパートに戻る道すがら、私は自問自答を繰り返していた。そして、一つの結論に達する。私一人では無理でも、やり方次第では、彼らの計画に楔を打ち込むことができるかもしれない。
そのためには、もっと情報が必要だ。そして、もしかしたら……私と同じように、彼らの存在を快く思わない「誰か」の協力が必要になるかもしれない。
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