誕生、二十歳。

@Caffeine0607

誕生、二十歳。


今日、私は人生の幕を閉じる。

「閉じる」としたが、「閉じる予定である」が正しいだろうか。

 なぜなら、私は今はまだ生きていて、あと数分、つまりは二十歳を迎えると同時にビルの屋上から飛び降りようとしているからである。まだ人生の幕を下ろせると確定した訳ではない。ならば、「閉じる予定である」とするのが正しいであろう。

 ごう、と冷たい風が頬を撫でた。左手首の腕時計を見る。針は午後十一時五十二分を指している。私の人生は残り八分。

 私は八分の猶予時間を使って考える。


「死」とはなんだろうか。

 死の瞬間はどのようなものだろう。痛いだろうか。苦しいだろうか。悲しいだろうか。それとも心地良いだろうか。

老衰で死んだ祖母の顔は美しかった。癌で死んだ祖父の顔は苦しそうだった。刑事ドラマで見る死体の顔は、どんな顔だったっけ。

私の最期の表情はどんなものだろう。死んでしまえば手鏡を見ることもできないな、と思う。

そう思ったところで気づく。まただ。どうも私は物事を考えすぎる癖があるようだった。それも考えるべきこと、考えたいことから逸れたことばかり。本筋に戻らなければならない。


 そもそも私は何故死のうと思ったのだったか。

あぁ、そうだ。自身が生きるのに適していないと感じたからだ。何をするにも「面倒だ」と感じる。仕事や勉強、趣味、生命として必要な活動すらも。

食事を最低限しか摂らない身体は骨が浮くまでに痩せ細った。睡眠を取っても2〜3時間で目が覚めてしまうためか、目の下には深い隈ができた。

この身体でも生きていくことは可能だろうとは思う。だが、それでは私は人間という生命として活動は行っていても、人間としての意義は果たしていないだろう。

普通に勉強をして、普通に就職をして、普通に働いて、普通に死ぬという普通の人生の意義を。


つまりは、人間として生きていない。

生きていないし、活きていない。


この命が息衝く惑星で最も繁殖している生物、「人間」、その約80億の中で、私は、私だけが、人間としての意義を果たせていないのだ。

ならば、消えてしまう方がいい。私のような遺伝子は消してしまう方が都合が良い。

つまるところ、私は人生に、私に、絶望してしまったのである。


考えがひと段落ついた。ほう、と息を吐いて時計に目を向けると午後十一時五十九分五十秒を指している。残り十秒だ。

私は目の前の鉄柵を乗り越えた。眼下には人間の作る美しい風景が広がる。ビルに灯る明かり、道路を走る車のライト、それらが織りなす夜の街の輝きが星空のように見えた。


時計の針が零時を指す。それと同時に私は屋上の床を蹴った。先ほどまで見ていた星空がぐらりと揺らぐ。

 星空のような街の光が、逆巻く渦のように視界を流れていく。空気の裂ける音、身体が宙に浮くような感覚。落ちていくはずなのに、どこまでも自由だった。

 

これから私は「死」を体感する。楽しみだ。

どんなものなのだろう。

「死」のその先には何かが、「私」の意義が、あるだろうか。

 

どこかの宗教の話のように天国や地獄があるだろうか。

SF映画のように死んだ瞬間に「今までのは全部シミュレーションでした!」などと言われるだろうか。


 何も、無いだろうか。


 どれでもいい。ただ、知りたい。


 私の十九年の人生の中で初めての願望だった。


 それが願った瞬間、叶う。

 どんな幸福だろう。


「死」とはなんだ?その先には何がある?何も無いならばそれで良い。


 「知りたい。」

 

そう願いながら、目を瞑った。


水の入った大きな袋が破裂するような音が耳を割った。世界の潰れる音がする。

それと同時に私の意識は美しい世界から消え失せた。


ただ、意識が消える直前、何かが聞こえた気がした。

意味は分からなかった。ただ、心の底をざらついた指でなぞられるような、不快な感覚だけが残った。


目を開ける。意識はあるが、痛みは無い。ならば、私は死んだのだろう。予定通り、二十歳の誕生日と同時に人生を終わらせたはずだ。

耳鳴りの中で、耳が聞こえ始める。


「〇〇さん!産まれましたよ!!」

 はきはきとした女の声。


「〇〇!ありがとう…産まれたよ。」

 少し掠れた男の声。


産まれた、という言葉を反芻する。

 産まれた?誰が?

 ああ、そうか ――そういうことか。


その意味を脳が完全に理解した瞬間、息が詰まった。

 そして私はもう一度、深く深く絶望した。

 

これは終わりではなかった。始まりだったのだ。

私は、また、世界に生まれてしまったようだ。この世界に、不純物として。


小さな身体が震える。泣きたくもないのに、声が出る。


隣の部屋からも同じ泣き声が聞こえる。


 ――ああ、君も生まれてしまったのか。


それが幸せではないと感じてしまう私は、きっとまた―――

 生命として、失格だ。






 

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