現代ショートショート

明日和 鰊

濡れたビニール傘

 家を出ると辺りは晴れていたが、遠い空に黒い雨雲が見えている。

 天気予報では一日中晴天だと言っていたが、妻の若葉に折りたたみ傘を持っていくように勧められた。


 駅に着く頃には、辺りが雲の影によってすっかり暗くなっていた。

 コンビニの店内に既にビニール傘が並べられているのが外から見え、サラリーマン風の男性客がそれを買っていく。

 スーツ姿で大きな鞄を持って、いかにも営業といった出で立ちだ。

 彼の天気予報も外れたのだろう、傘を閉じたまま歩いて駅を離れていった。


 彼は私が来た方へと向かっていた。

 田舎ではないが都会というほどでもない私の住んでいる町では、駅に近づくほどコンビニの密度が高まっていく。

 あの辺りには、次の駅近くまで傘の買えるコンビニが少ない事を知っているのだろう。

 彼が目的地に着く前に雨は降るのだろうか?

 他人事だがそんな事をぼんやりと考えながら、空を見上げる。

 雲の影は黒さを増していたが、まだ雨は降っていなかった。



 会社帰り、地下鉄の駅を上がり外を見ると、依然として雨雲は夜空に居座っていた。

 しかし、地面が濡れている様子はない。

 私は傘をしまったまま駅近くのコンビニに寄り、若葉に頼まれた牛乳や食パンなどを買っていく。


 朝に並んでいたビニール傘は幾本かは売れたのであろうが、その大半は残っていた。

 その持ち手のは、滑らかな丸形ではなく角張った面のある形をしている。

 私は手に持った違和感から、このタイプのの傘が好きではなかった。

 人によっては些細な事かもしれないが、傘の売れ残りは私と同じような考え方をする人が多いからだろうか?



 帰宅後、食事の後に若葉に尋ねた。

「会社の近くでは雨は降らなかったけど、こっちはどうだった?」

「午前中に通り雨が降ったみたい、でも買い物の時間にかぶらなくてよかったわ」

「そうなんだ」

 眠っていた娘の泣き声が、隣の部屋から聞こえてきた。

 若葉はグズる娘をあやしに、リビングを出て行く。

 私はそれを見届けて、ベランダに出て久しぶりのタバコに火を点けようとする。

 一年半前、子供が出来た事がわかった時に止めたまま処分し忘れていたタバコは、湿気っていて火がつく事はなかった。



 傘立てに、見慣れない角張ったの傘が入っていた。

 少し濡れているビニール傘。



 遠くの空でゴロゴロと大きな音がして、湿ったような空気の匂いが強くなる。

 雨がもうすぐ降り出すのだろう。

 激しい雨が。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る