4 カギ爪

「汚染レベル:高。このままじゃ、浸蝕領域に突入するバグだ」


「えっと……それは?」


「そういうのがあるんだよ。説明しても、やっぱりあなたには理解できない」


「やっぱりって何だよ……」


「あいつ、ヤバいね。私、めちゃくちゃ不利かも」


「そ、そりゃあ、ゾンビ対中一女子じゃ、どう考えたって不利だろ……」


「もし私がやられた場合、ここの強制隔離を一時的に無効にする。あなたはその隙に逃げて」


「ちょ、ちょっと待ってよ。逃げるんなら、ほら、今からいっしょに逃げよう」


「NPCは、バグを前にして逃げることはできない」


「何言ってんだよ、マジで? ほら、早く逃げよう」


「あなたは、そこらへんに隠れときなさい。殺されてもいいの?」


「こ、殺され……」


「メンドくさい人だなぁ。怒るよ?」


「わかりました……」


 平尾さんに睨まれ、ボクは後方にあるドラム缶サイズのブロックノイズに隠れる。

 正直、たった今の平尾さんの目つきは、ゾンビと同じくらい怖かった。


 って言うか、ここは一体どこだ?

 路地裏じゃあないの?


「さて――汚染レベル:高の強さ、見せてもらっちゃおうかな?」


 平尾さんが、まるで傘の雨粒でも払い落とすかのように右腕を振り下ろす。

 すると――いつの間にか、彼女は長剣を持っていた。

 いわゆる、ソード的な。

 それは暗闇の中でエメラルドグリーンに輝き、デジタルな感じでポッカリと浮き上がる。


 え……。

 いや、あの、キミ、それ、今までどこに隠してたの?


 いきなり、出てきたんですけど?

 って言うか、中一女子がそんな武器持ち歩いて、大丈夫なの?


 ダ、ダメだろ……。

 そんなの百パー、法律違反だろ……。

 その、何だっけ? ナントカ法違反。


 だけど事態は――法律でなんとかなるようなものではなさそうだった。


 ゾンビが、いきなり平尾さんに飛びかかってくる。

 さっきまでの鈍さがウソだったかのように、ビックリするほど俊敏な動きだ。

 しかもゾンビの手に光るのは……猛獣のようなカギ爪!


 な、何だ、こいつ?

 カ、カギ爪って!

 マジでヤバいヤツじゃないか!


 だが平尾さんの動きも、もはや人間ではなかった。

 振り下ろされるゾンビのカギ爪を、スレスレのスウェーでひらりとかわす。

 入れ替わるようにして、今度は彼女がエメラルドグリーンのソードを振り下ろした。


 ガシャーン!


 ゾンビが、平尾さんのその一撃を軽くパリィで対応する。

 火花のような緑色の破片が、暗闇の中で美しく飛び散った。


 そこから先は、ボクの目では、もうついていけなかった。


 平尾さんの攻撃、ゾンビのパリィ。

 ゾンビの攻撃、平尾さんのパリィ。

 交互に、連続。


 一体何が起こっているのか、どちらが優勢なのか、間近で見ているボクでもわからない。


 こ、これは……な、何なんだ?

 ボクは何を見せられている?

 げ、現実、なのか?


 今日の昼休み、ボクは屋上の階段でヘンなブロックノイズを目撃した。

 平尾さんに呼び出され、なぜか駅前のこんな路地裏に付き合わされた。

 そして今――ボクはゾンビ対スーパー美少女JCのバトルを見せつけられている。

 ワケが……わからない……。


 だが時間が経過するにつれて、優劣はハッキリしてきた。

 平尾さんが、圧されている。

 彼女の素早さは、人間業ではない。

 だけどゾンビの動きとパワーは、あきらかに平尾さんを上回っていた。


「くっそぉ!」


 平尾さんがスーパー美少女JCらしからぬ声で叫ぶ。

 すると、ゾンビの動きが変化した。

 右に左にフェイントを入れ、彼女の真正面に突入してくる。


「平尾さん!」


 ボクが叫ぶと同時に、左下から右上に向かって、ゾンビがカギ爪を上昇させた。

 その攻撃を、平尾さんはまともに受けてしまう。

 暗闇の中、彼女の制服の前部が裂け、そこから一気に血しぶきがあがっていった。


「血!」


 ボクは思わず、そう叫んだ。

 直後、平尾さんがバックステップでゾンビから離れる。

 しかしすでに、立っているのが精いっぱいの状態だった。

 顔が、苦痛で歪んでいる。


 ゾンビはなんだか楽しそうな目つきで、自分のカギ爪を見つめていた。

 美味しそうに、そこに付着した平尾さんの血液を舐めはじめる。


「ちょ、マジで! マジでヤバい!」


 ボクは思わずブロックノイズから飛び出す。

 そのまま、平尾さんのそばに駆け寄った。

 今にも崩れ落ちそうな彼女に、肩を貸す。


「平尾さん! に、逃げよう!」


「バ、バカ! どうして出てきたの!」


「いや、もう見てらんないよ! キミは負けてる! 勝てない! 逃げよう!」


「NPCが、バグに背中を見せるわけには――」


「何ワケわかんないこと言ってんだよ? あの、ほら、隔離ナントカを解除するんだ! 解除したら、ここから出られるんだろ?」


「私は、まだ、負けて、ない……」


「意味わかんないよ! 明日勝つために、今日負けろ! このままじゃ、キミの命が終わってしまう!」


「くっ……」


 くやしそうな顔で、平尾さんが右手を前に伸ばす。

 するとたった今まで真っ暗だった路地裏が、元通りの薄暗さに戻っていった。

 視界が、わりと効きはじめる。

 彼女に肩を貸しながら、ボクはよろよろと路地裏を出ていく。


 途中で振り返ると、ゾンビは路地の奥でボンヤリと突っ立っていた。

 追ってくるような気配はない。

 だがヤツの血まみれの顔には、勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。


「ひ、平尾さん、大丈夫? とりあえず、病院!」


「病院なんか……私には何の意味もない。どこか、安全な場所へ――」


「病院が安全な場所だろ!」


「ダ、ダメだよ……あとの修正が……メンドい……」


「修正って何だよ? しかもメンドいとか――」


 その時、ボクは彼女の傷口を見た。

 そして、完全に言葉を失ってしまう。

 さっきゾンビのカギ爪によって切り裂かれた、彼女の腹部から胸部の間。


 そこから――キラキラと輝く、七色のブロックノイズが見えていたのだ。

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