新婚の夫による個人ブログ③

 2019年 11月29日

 例の物音は相変わらず続いている。毎日じゃない。週に一度くらい。寝静まるころになると聞こえる。奇妙な事にどれだけ熟睡していても音が聞こえだすと、神経が立って眠れなくなってしまう。

 料理に掃除、洗い物の音。騒音というよりは生活音だ。この家には私たち夫婦しか住んでいないのに?



 2019年 12月14日

 例の物音について、妻はこの家が事故物件だったんじゃないかと疑ってたらしい。

 でも、不動産屋に問いあわせても、やっぱりここを建てた人は別荘として使うこともなく売却してしまったそうで、死亡者どころか、前の居住者がそもそもいないというのが現実だった。

 正直に言って私もこれらの不可解な音は、心霊現象じゃないかと考え始めてはいた。

断わっておくが、私は霊なんかいないと思っている。『ほんとにあった怖い話』などの番組を観ては「まるっきり作りもんじゃん。こんなのあり得ないよな、企画としては面白いけど」なんて鼻で笑っていた。でもここまできたら、むしろ心霊現象だった方が良かったのにとまで思っている。それだったらまだ、理解の範疇だ。

 何もいわくがない。変な事なんて起きようがない。なのに、現実に起きている。変な事が。



 2019年12月20日

 妻と話しあった。

 異音? 怪音? について、とにかく今後は気にしないでおこうという結論になった。家の中の事だ。全く意識せずに過ごすのは無理だろう。安眠を妨げられているのも事実。

 でも、神経を尖らせるほどのことではない。

 夫婦ともに「こんなに良い家はないだろう」と思っている。ここを引き払って他に物件を探すなんてとんでもない。

 問題は音だけだ。実害はない。ただうるさいだけ。

 ならば、マンションに暮らしているつもりにでもなればいいのだ。下階の住居者は基本留守だが、時々帰ってきて音を立てる。迷惑だが、週に一度くらいだし、別に苦情を訴えるほどではない。そう説得すれば、妻も心細げながら「うん、分かった」と頷いた。



 2019年 12月23日

 新婚はじめてのクリスマス! と言いたいところだが、ホテル経営なんかしているとこの時期は慌ただしくてお祝いどころじゃない。残念。

 それでも先がけて「イブイブ」に細やかなお祝いをした。

 妻は久し振りに張り切って料理をつくってくれた。ポテトサラダはスーパーのやつだけど、ローストチキンはお手製。腹にはたっぷりとガーリックライスがつまっていた。美味しい。



 2020年1月1日

 あけましておめでとうございます。

(繁忙期につき、ブログの更新はしばらく休みます)



 2020年1月31日

 コロナっていう感染症が拡大する危険があるとニュースで報道されていた。正直、ああいう報道をされると観光に影響があるから困る。まあ、今のところ日本の感染者は海外から帰国した患者が殆どみたいだから、それほど騒動になることはないだろう。



 2020年2月3日

 まだ冷や汗がとまらない。ここに書いて、ちょっとでも落ちつきたい。

 いつもどおりに眠っていたら下階で音がした。物音には慣れてきた。でも、その晩聞こえてきたのはこれまでのような生活音じゃなかった。

 がちゃ

 ドアノブが回る音だと理解した途端、全身に鳥肌が立って眠気が吹き飛んだ。

 時刻は二時五十分。「なあ、いまの聞こえた?」「起きて」と小声で妻に呼びかけ、揺さぶったが、彼女は起きない。熟睡しているようだ。

 諦める。ただ、眠り直すなんてとてもじゃないが無理だった。ドアを、確かめないと。


 階段の明かりをつけて一階に降りる。

 どうかリビングのドアが開いてませんように。ひらいたら、きっと、とても良くない事になる。根拠はない。ただ、強烈な焦燥感があった。

 廊下に差し掛かった私は慄然とした。やはりというべきか、リビングのドアが全開になっていた。

 それも開かないはずの右側のノブの方からだ。

 リビングからは異様に寒々しい風が吹いてきている。廊下から覗いたかぎりだと人の姿はなかった。特に物音もしない。だが、明かりはついている。眠る時には必ず落とすはずの照明が ― どうなっているんだろうか。


 警戒しながら、リビングの中に進んでいく。

 この時、私は「ここは私の家なんだ、自分の家の中を歩きまわるだけなのに、怖がってたまるか」という反発心に燃えていた。「今度こそ、不法侵入者の正体を確かめてやる」という意地もあった。

 リビングの様子は特に変わらない。ペニンシュラキッチンのついた二十五畳のリビングダイニング。ウッディなダイニングテーブルには妻が編み上げたレースのテーブル掛けが敷かれていて、椅子は二つ。私の椅子には青いチェアクッション、彼女はピンク。

 入って、見回して、変だと思った。

 いつも過ごしているリビングのはずなのに、落ちつかない。

 壁掛けのテレビもある。緑のカーテンがつけられた窓もある。食器棚も変わらない。なのに、肌の裏側を虫が這いまわるような違和感が拭えなかった。


 何が、何が。探し続けて、壁掛けの時計に視線を止め、はっとする。

 数字の並びが変だ。歪な21から右廻りに11、01、9となっていて、秒針は左に逆廻りしていた。

 慌てて廊下まで引き返して確認する。

 私の椅子は右側、妻の椅子は左側であるはずなのに、逆になっている。妻の椅子はキッチン側と記憶していたが、キッチンまで左右反転していたので、すぐには分からなかった。東側にあるはずの窓も西側になっている。

 鏡に映したかのように全てが逆さまになっていた。

「どうなってるんだ?」

 夢でも見ているのだろうか。リビングに戻る。

 

 強烈な眩暈がした。視界が歪んで異様な吐き気を催す。眼窩の裏側に通る視神経がぐにゃとねじれていくような。

 椅子につかまりかけたその時だ。

 ゴトンと物音がした。キッチンの方だ。

 うちはペニンシュラキッチンの奥側にクローゼットルームがある。たぶん、元の用途は食材の備蓄倉庫だが、今は妻の私物が収納されていた。

 続けて、慌ただしいスリッパの音がこちらに向かってくる。

 キッチンにもクローゼットにも明かりはついていなかった。だから、音だけ。

 なのに私は本能的な恐怖を感じて、逃げだした。左右逆になっているせいか。それとも眩暈でふらついているせいか。テーブルの真横に置かれているゴミ箱を倒してしまった。転ばなかったのは不幸中の幸いだ。


 散らばったごみを振りかえる暇もなく、リビングから飛びだし階段をかけあがる。

 後からスリッパの音がついてきた。走って追い掛けてくるというのではなく、時々立ち止まって様子を確めながら私を捜しているというかんじだ。

 息急き切って寝室に逃げ込んだ。寝室に鍵はない。

 ドアを押さえておくか、眠った振りをするか。この部屋には妻もいる。侵入されたら終わりだ。

 ドアに体重をかけて押さえる。

 アレが階段を上がれない事を願いながら、ドアノブを強くつかむ。耳を欹てていると階段の真下でスリッパの音がした。

 まさか、上がってくるのか?

 スリッパの音が、ぱたっ、と一段上がった。上がれるのか。絶望で視界が暗くなる。

 ぱた、ぱた、ぱたっ。

 足音は無情にも階段を上がってきた。二階にはこの寝室の他に三畳ほどの空き部屋と小さ なクローゼットがあるだけだ。空き部屋は素通りして一直線に寝室へと向かってくる。ぱた。ドアのすぐ後ろで静かになった。


 呼吸が聞こえるわけでもない。声を掛けられたわけでもなかった。だが異様な圧を、肌で感じた。

 この板を隔てた外側にいるのだ。

 ドアノブを握り締める手から、どっと汗が噴きだす。しがみつくようにドアノブを握り続けながら耳に神経を集中する。自身の鼓動が喧しかった。

 どれだけ経っても相手に動きはなかった。ノブをつかんで、がちゃがちゃと動かすでも、ドアを叩いてくるでもない。あるいはこちらが警戒を解くのを待っているのか。

 だとしてもかれこれ十五分は経つ。僅かも動かず、ドアに張りついているなんて異常だ。まだドアを叩かれるほうがよほどにマシだ。真綿で喉もとを締めあげられているような恐怖が延々と続いた。

 緩みそうになる神経を、懸命に張りつめる。

 二階の廊下には明かりがついているが、対する寝室は暗い。洩れてくる明かりを睨んで息を詰める。



 枕もとの時計に視線を投げる。三時四十五分。アレに追いかけられて寝室にたてこもってから、三十分は経っていた。

 そろそろ、何処かに行った……?

 いや、まだだ。だってあれからスリッパの音はしていない。

 いつ終わるとも知れない緊張と恐怖感で、ノブを握り締める手が震えてきた。叫びだしたい衝動にかられる。

 恐怖って、重いんだな。知らなかった。

 錘のような恐怖が頭に乗っかって、段々と視線を上げていることも難しくなる。腹の中ま で重くなって、底のない穴に落ちていく錯覚に捕らわれる。逃げだしたくてたまらなかった。でも動けない、動いたらだめだ。

 四時十五分。

 パタ、と踵を返して、それは諦めたように階段を降りていった。明かりが消えて廊下が真っ暗になる。

 がちゃ。

 最後にリビングのドアを閉める音がした。

 たぶん、もう大丈夫だ。でも怖くてドアを離れられない。

 だから私は今、ドアにもたれてこのブログを更新している。まもなく四時半だ。またいつ、リビングのドアがひらくか。アレが階段を上がってくるか。考えているだけで頭が変になりそうだ。

 怖い。怖い。怖い。助けて。


 追記

 あれから物音はせず、無事に朝を迎えることができた。日中に一階から奇妙な音がすることはない。カーテンの隙間から朝日が差してきたのを確認して、張りつめていた緊張がいっきに解けた。

 妻が起きるなり、昨晩のことを話した。

「……夢じゃないよね?」

 話を聞き終えた妻は酷い顔色をして、現実を受けいれたくないとばかりに尋ねてくる。 私だって夢だと思いたかった。でも、リビングのゴミ箱は現に倒れていたし、ブログもきちんと四時三十八分に投稿されていた。リビングの物音に我慢すればいいだけと思っていたのに、いきなり音の主がリビングから出てきて、あまつさえ追いかけてくるだなんて。

 あまりにショックが大きすぎた。身の危険を感じる。

「リビングのドアさ、蝶番側からひらいてたって言ったじゃない? 私たちは廊下から見て右側のドアノブを開けられない。ってことは相手だってリビングから見て左側のノブは回せないんじゃない?」

 どうだろうか。確実にそうだとは言い切れなかった。昨晩はドアが開いていたし、私も蝶番側のノブを回せた事があったからだ。

 でも、右と左についているドアノブが変で、そこからこの異変が端を発しているのは確かだ。それに昨晩だって、最後まで寝室のドアは開けられなかった。

「分かった、蝶番側にあるノブを外そう」

 我ながら良案だと思った。妻もそれに賛同してくれた。

 ドライバーを持ってきて、異変のもとになっているドアノブを取り外す。

 内側を外せば外側もガチャンと落ちた。ドアの内部にある金属の筒だけが残る。これは取りはずせないので、諦めた。

 最悪、業者に依頼してドアを取り換えてもらおう。

 後から調べたらこの金属の筒はラッチという部品で、ノブがなければ動かないので、錠の役割を果たすらしい。不格好にはなかったが、これであちら側からひらくこともできないはず。

 そう信じたかった。

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