奇妙な家についての注意喚起

夢見里龍/KADOKAWA文芸

序章

前書きにかえて①

 あ、また、箱がひらきかけている。


 私の頭のなかには箱がある。思いださないでおこうと決めて、蓋をしたはずの記憶の箱だ。

 あの怖ろしい経験から約三年が経つ。考えないようにしようと意識するほど頭のなかにあふれてきてどうしようもなかった。

 私は思いだすまいとやっきになり、書きかけの原稿に集中しようと試みる。でも、だめだった。落ちつかないきもちになって、書いては修正し、修正してはその一文ごと取り除くという最悪のループに陥っていく。


 その話を思いだすときまって暮らし慣れた家のなかで、音がする。それは床下から聴こえる「こつ、こつ」と爪で硬い物を引っ搔くような音であったり、屋根裏の物置から聴こえる「ずぅる、ずぅる」と重い物を引きずるような音であったりと様々だったが、いずれにも心あたりがあった。

 考えたくないのに「ああ、あの家だ」と分かってしまう。

 思いだせば、また、ひらいてしまうのではないか。 私は絶えず、そんなやり場のない恐怖を抱えていた。


 だからだろうか。年末年始の休暇が明けて早々に設けていただいた、新企画の打ちあわせの最中にこんな言葉が口をついた。

「思いだしたくないことほど、思いだしてしまったりしませんか?」

「ああ、そういうことってありますよね」 間髪を入れずに共感の声がかえってきた。

「私もある作家さんの企画を担当していて実話ホラーばかりを読んでいた時期があったんですが、ほんとうに怖い話って頭を離れなくなるんですよ。何年か経って忘れたつもりでも、似たような状況になった時に、あの話の冒頭ってこういう夜更けのバス停から始まるんだったな、とか思いだしちゃいまして」


 電話越しに快活に喋るのはKADOKAWA担当編集の若倉氏である。経験豊富で非常に 敏腕だが親しみやすい編集者で、今後新たな企画をともに練っていくことになっていた。まだ三度ほどしか直接喋ったことはないが、細かい相談にも乗ってくれて、この編集者とならば良い小説が企画できるはずという確かな手ごたえを感じていた。

 問題は若倉氏がこれまで担当してきた小説の八割が現代ホラーであることだった。私自身、ホラーを読むのは好きだが書いた経験がなく、さらにある体験を経て現実寄りのホラーを避けるようになっていた。


 先に述べておくが、本書に登場する人物は私、夢見里龍ゆめみしりゅうを除いて全員仮名とした。出版社名は許可を取って実在の社名をつかわせてもらっているが、固有名詞はなるべく改変している。本書においては全て実在の人物を扱うためだ。


「夢見里さんはなにか、ありますか?」

「そう、ですね」

 いきなり例の話をするのはためらわれて、私はある都市伝説に話題をすり替える。


「むかし、鏡のまえでお辞儀をしてから横をむいたら、幽霊がくるっていう都市伝説があったんですよね。実際に試してしまった人の体験がネットに投稿されていて、すっごく怖くて」

「ありましたね。私も掲示板の怖い話を読みあさっていました」

「私の寝室は二階にあるんですが、屋根のかたちが変わっているので、寝室につながるドアが身をかがめないと通れない構造になっているんですよ。しかもドアの横には母親が和装の着つけに使っていた姿見鏡が立て掛けられていて、通る時に鏡のほうに視線をやるとちょうど、鏡のまえでお辞儀をして横をむいた格好になるんです」

 若倉氏が苦笑いした。

「へえ、それは……いやですね」

「そう、すごくいやなんです。思いださないようにしていても、通るたびに頭をよぎって、横をむきたくなってしまって」


 思いだす。おぼえている。意識する。認知してしまったばかりにこれまでだいじょうぶだったものが禁となる。そればかりか、誘われる。

「紫鏡みたいですね」

 若倉氏が懐かしい単語を口にした。

「夢見里さんの子どものころには流行りませんでしたか? 二十歳までおぼえていると不幸になるとかいう都市伝説です。忘れていたらふつうに助かるそうですけど、そんな条件があると逆に、事あるごとに思いだしてしまうんですよね」

「ありました。といってもうちの地元で聞いたことがなくて、漫画で知りましたね」

 若倉氏の喋りかたには人の緊張を緩めて話をひきだすような特性がある。あるいはそれが編集者としての手腕なのかもしれなかった。


「そういえばXに怖い体験談をお持ちだと投稿されていましたよね? あれってどのような話なんでしょう? 実際に小説というかたちでご執筆される予定はありますか?」

「投稿、読んでおられたんですね」


 そう、私は令和七年一月二日、Xにある書きこみをしていた。忘れてしまいたいほど怖い話があるのだが、カクヨムに投稿するべきかどうかという相談だ。私は比較的読者との交流が盛んな作家で、その時も様々な意見、助言が飛びかった。「書いたほうが厄落としになる」という声もあれば「書かないほうがいい、危険ですよ」という声もあり、私としてもどう扱うべきかと考えあぐねていたのである。

 まさか編集者まで読んでいるとは思わなかったが。


「……いいんでしょうか?」

 私は無意識にそう尋ねていた。

「思いだしたくもないような話を書いてもいいんでしょうか?」


 電話越しで若倉氏の声がとまった。砂をかむようなざらついた静けさがあふれだして、通話が切断されたのではないかと疑う。私は電話の沈黙というものが苦手で、いつもだったら「もしもし」なり「聞こえていますか?」なり声を掛けるのだが、その時はなぜか舌が強張って声がでなかった。


「もちろんですよ、ぜひ読みたいです」

 三十秒ほど経って、なにごともなかったように声がかえってきた。

「たとえば、どんな話ですか?」


 私はどう話せばいいだろうかと思考をめぐらせて「家の」と切りだした。


「奇妙な構造をした家の体験談なんです。一時期、ネット検索して、そういう奇妙な物件にまつわる怪談を集めていた時がありまして」

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