第2話 不器用な優しさと、芽生える想い

 あれから数日。わたし、小日向 小春の図書委員活動は緊張とドキドキの連続だった。憧れの月島楓先輩と二人きりになれる時間は、わたしにとって宝物のような、それでいて心臓に悪い試練のような、不思議な時間。


(今日こそ、ドジしないように頑張るぞ!)


 わたしは毎回心の中でそう誓って図書室へ向かう。……まあ大抵その誓いは開始早々に破られるのだけれど。


 今日も今日とて、わたしは返却された本を棚に戻す作業で、背の高い書架の一番上の段に無理やり本を押し込もうとして、バランスを崩しかけた。


「ひゃっ!?」


 グラリ、と傾いたわたしの体を、すっと伸びてきた細い腕が力強く支えてくれた。振り返ると、そこには、無表情の楓先輩。


「……一人で無理ならそう言いなさい。効率が悪いわ」


 彼女はそう言って、わたしが持っていた本を軽々と取り上げ、正確な位置へと収めていく。その横顔はやっぱり綺麗で、わたしはまたしても顔が熱くなるのを感じた。彼女の指先が本を棚に戻す際に、わたしの指先にほんの少しだけ触れた気がして、心臓がドクンと大きく跳ねたのだ。


(……今の、わざとじゃ、ないよね? で、でも、楓先輩の手、綺麗だったなぁ……)


 そんなわたしの内心の葛藤など、楓先輩は知る由もない。彼女は黙々と次の作業へと移っていく。


 またある時は、わたしがカウンターで貸し出し期限の切れた本を整理していると、楓先輩が珍しくわたしが読んでいる本について尋ねてきた。それは古代魔法文明に関する、少し難しい専門書だった。


「……あなた、そんな本も読むのね」

「あ、はい! その、おばあちゃんが、昔、こういう研究をしてて……わたしも、少しだけ興味があって……」


 しどろもどろに答えるわたしに、楓先輩は、ほんの少しだけ、意外そうな顔をした。

「そう……。この時代の魔法体系は、現代とはかなり異なるけれど、その根底にある論理は非常に興味深いわ。特にこの部分の精霊との契約に関する記述は……」


 彼女はその本のある一節を指差しながら、わたしにも分かるようにゆっくりと、丁寧にその内容を解説してくれた。普段はあまり感情を表に出さない彼女が、魔法のことになるとその涼やかな瞳を、キラキラと輝かせ楽しそうに話す。その姿は、わたしにとってとても新鮮で、そして何よりも魅力的だった。


(楓先輩も、こんな風に、笑うんだ……)


 わたしは彼女の言葉よりもその生き生きとした表情に、すっかり心を奪われてしまっていた。


 こんな穏やかな時間がずっと続けばいいのに。……そう思っていた矢先。


 その日、わたしは朝から少しだけ喉が痛くて、時折コホンと咳き込んでいた。大したことはない、と思っていたのだけど……。


 図書室で古い本の埃を払っていた時、ついに大きなクシャミをしてしまったのだ!


「へ、へっくしょん!!」


「……」


 シーンと静まり返る図書室。わたしは顔を真っ赤にして、恐る恐る楓先輩の方を見る。彼女は眉を寄せ、じっとわたしを見つめていた。


(お、怒られる!…… 絶対に、怒られる!)


 わたしが縮み上がっていると、楓先輩は大きなため息を一つついて、何も言わずに図書室の奥にある、小さな準備室へと入っていった。そして数分後、戻ってきた彼女の手には……。


「……これを飲みなさい」


 湯気の立つマグカップだった。中からは、蜂蜜と生姜の甘くてスパイシーな香りが漂ってくる。


「え……?」

「風邪でしょう。そんな状態で埃っぽい書庫に入ったら悪化するだけよ。今日はもう帰りなさい」

「で、でも、まだ仕事が……」

「私の仕事が増える方が、よほど迷惑だわ」


 楓先輩はそう言って、マグカップをわたしの手に半ば押し付けるようにして持たせた。その口調は相変わらずぶっきらぼうだけど、その瞳の奥には心配の色が浮かんでいるように見えた。そして、彼女のいつもは白い耳が、ほんの少しだけ赤くなっているような気もした。


「……ありがとうございます」


 わたしは温かいマグカップを両手で包み込みながら、小さな声でお礼を言う。蜂蜜と生姜の湯気で、少しだけ喉の痛みが和らいだ気がした。


(楓先輩……やっぱり、優しい人なんだ)


 クールな態度の裏にある不器用な、でも確かな優しさ。それに触れるたびに、わたしの中の楓先輩への想いは、憧れからもっと別の温かくて切ないものへと、変わっていく。


 図書委員の任期はもうすぐ終わる。そうしたら、楓先輩とこうして二人きりで過ごせる時間なんてなくなってしまうのだろうか。

 そう思うと、胸がきゅっと締め付けられるように痛んだ。


 わたしは楓先輩にもらった温かい飲み物を、一口また一口とゆっくりと味わいながら、このかけがえのない時間を少しでも長く心に刻みつけようと、思ったのだった。

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