クールな先輩(♀)の「秘密の笑顔」は、わたしだけのもの ~図書室の片隅で、二人の時間が動き出す~

猫森ぽろん

第1話 遠い憧れと、図書室の出会い

 わたし、小日向 小春(こひなた こはる)、アステリア魔法学園の一年生。

 この学園は、エリート魔術師の卵たちが、日夜、高度な魔法と教養を学ぶ、国内でも屈指の名門校。……であるはずなのに、わたしの成績は、入学以来、常に赤点スレスレの低空飛行を続けている。特に実技が苦手で、魔法陣を正確に描けなかったり、呪文の詠唱を噛んでしまったり、まあ、日常茶飯事だ。


 そんな落ちこぼれのわたしにも、密かな憧れの人がいる。

 月島 楓(つきしま かえで)先輩。

 学年は一つ上の二年生。文芸部に所属し、腰まで届く艶やかな黒髪と、雪のように白い肌、そして、切れ長の涼やかな瞳を持つ、まさにクールビューティーという言葉がぴったりの人。成績は常にトップクラス、魔法の実技も完璧にこなし、その上、なぜか運動神経まで抜群という、まさに学園のアイドル的存在だ。


 わたしは、遠くから、その美しい姿を眺めているだけで、胸がいっぱいになってしまう。いつか、あんな風に、凛として、素敵な魔術師になれたらなぁ……なんて、夢のまた夢だけど。


 だから、わたしと楓先輩が、直接関わることなんて、未来永劫ないだろうと思っていた。

 ―――そう、あの日までは。


「えっと、後期の図書委員だけど……小日向さんと、月島さん、お願いできるかしら?」


 ホームルームで、担任の先生が、あっさりとそう言った瞬間、わたしは、手に持っていた羽根ペンを、床に落としそうになった。


(え? えええええっ!? わ、わたしが、あの、月島先輩と、一緒に、図書委員!? う、嘘でしょ!?)


 頭の中が、真っ白になる。信じられない。だって、楓先輩は、いつもたくさんの人に囲まれていて、わたしみたいな、クラスでも目立たない、落ちこぼれとは、全く接点がないはずなのに!


 放課後。わたしは極度の緊張でカチコチになりながら、学園の誇る巨大な図書館へと向かった。そこには、すでに楓先輩が静かに本を読んでいる姿があった。窓から差し込む夕陽が、彼女の横顔を照らし出し、まるで一枚の絵画のように美しい。


(うわぁ……やっぱり、綺麗……)


 わたしは、思わず見惚れてしまう。……って、いかんいかん! 仕事をしないと!


「あ、あの、月島先輩! 今日から、一緒に図書委員をさせていただくことになりました、一年B組の、小日向小春です! よ、よろしくお願いします!」


 わたしは、緊張で声が裏返りながらも、なんとか挨拶をする。楓先輩は、読んでいた本から、ゆっくりと顔を上げ、わたしを、その涼やかな瞳で、じっと見つめた。


「……ええ。よろしく」


 短く、それだけ言うと、彼女は再び本へと視線を落としてしまった。


(……こ、怖い! でも、声も綺麗!)


 わたしは内心、嬉しさと恐怖が入り混じった複雑な感情に身悶えする。


 図書委員の仕事は、主に返却された本の整理と傷んだ本の修繕。そして時折ある生徒からの本の問い合わせに対応することだった。楓先輩は慣れた手つきで黙々と作業を進めていく。わたしもその邪魔にならないように、必死に彼女の指示に従う。


「小日向さん。そこの棚の魔法薬学の本、五十音順に並べ直しておいて」

「は、はいっ!」


 わたしは、慌てて、言われた棚へと向かう。だが、緊張のあまり、足がもつれてしまう……


 ガラガラガッシャーン!!!


 棚にぶつかったわたしは、そこに積んであった大量の本を、床へとぶちまけてしまったのだ!


(ひぃぃぃっ! や、やっちゃったぁぁぁ!)


 わたしは顔面蒼白になっている。

 どうしよう、どうしよう! 楓先輩に絶対に怒られる! 軽蔑される! もう、おしまいだ!


 わたしが半泣き状態で床に散らばった本を拾い集めようとしていると、すっと、白い手が伸びてきて、わたしよりも早く本を拾い上げてくれた。


「……」


 楓先輩だった。彼女は何も言わずに、黙々と本を拾い集め、そして種類別に、丁寧に分類していく。その横顔はやはり美しく、そしてどこか人形のように無表情だ。


(……怒ってない? いや、でも呆れられてる。……絶対!)


 わたしは、申し訳なさで、消えてしまいたい気持ちだった。


「……小日向さん」

「は、はいっ!」


 びくりと肩を震わせるわたしに、楓先輩は静かに言った。


「……高い場所の本は、無理に取ろうとせずに脚立を使いなさい。それと、一度にあまり多くの本を運ぼうとしないこと。基本よ」

「……は、はい! すみません!」

「……別に、謝る必要はないわ。ただ次からは気をつけて」


 それだけ言うと、彼女は、再び、本の整理作業へと戻ってしまった。


 わたしは、その場に立ち尽くしたまま、しばらく、彼女の背中を見つめていた。

 怒られなかった。でもやっぱり冷たい感じがする……。


 だけど。

 わたしは見てしまったのだ。床に落ちた古い詩集を拾い上げた時。その傷ついたページを、まるで大切な宝物でも扱うかのように、彼女がそっと指先で撫でていたのを。そしてその瞬間、彼女の唇にほんのほんの一瞬だけ優しい慈しむような微笑みが浮かんだのを。


 それは普段の氷のようにクールな彼女からは、想像もできないような、温かい秘密の笑顔だった。


(……月島先輩も、本が好きなんだ)


 わたしはその発見に、なぜか胸がドキドキと高鳴るのを感じた。


「お先に失礼します……」

 帰り際、わたしがおずおずとと言うと、楓先輩は本から顔を上げずに小さく頷いた。


「……明日も、遅れないで」


 たったそれだけの言葉。でも、わたしにとっては、特別な響きを持って聞こえた。


「は、はい!」


 わたしは元気よく返事をすると、少しだけ軽くなった足取りで図書館を後にした。

 明日も楓先輩に会える。それだけで憂鬱だった図書委員の仕事が、少しだけ楽しみに変わったような気がした。


 クールな先輩のあの秘密の笑顔。

 いつかわたしにも、向けてくれる日が来るのだろうか……


 そんな、淡い期待を胸に、わたしは、夕焼け空を見上げるのだった。

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