第6話
早朝の大内裏に呼び付けられ、帝の隣で御簾の奥から集まった人々を見ると、それは圧巻だった。この人々が日の本を動かしているのかと思えば、多いようにも見えて少ないようにも思える。その中の一人に、帝の前に座らされている老爺に、見覚えがあった。額の疣。渋面で頭を下げているそれは、昨日の老爺だった。つまりは伴氏だった。探してみれば父の姿も見える。比較的帝に近いところにいるのは、中宮の父親だからだろう。あるいは、単純に地位が高いから。父の地位は知らない。大納言辺りだったと思う。私の知る限りでは。
扇で顔を隠し、私は帝の言葉を待つ。帝はよく通る声で、伴右大臣、と老爺を呼んだ。右大臣。別に大納言の父を気にしなくても、十分立派な地位じゃないか。
「先日中宮を清涼殿より連れ出し、己の所有するあばら家に閉じ込め置いたと言うのは真か」
「わ、私はそのような、」
「すでに検非違使の調べであのあばら家が何年か前からそなたの所有物となっていたことは知れている。家内の者からも、物忌みするのに使っている別宅があると。それがあのあばら家なのではないのか?」
あの?
すん、と私は帝の香を匂ってみる。
白檀の香りがする。
「ちが、私は誓ってそのようなあばら家は知りません! あの竹林にも近付いてなど、」
「竹林? だれがそのあばら家が竹林にあると言った」
「ッ!」
「今のは自白と取るぞ。織花中宮、お前を運んで行った老爺はこの男か?」
「――はい。額の疣に見覚えがございます」
「そ、そんなもの誰にでもあろう!」
「見渡す限りではそなた一人だぞ」
「御上!」
「見苦しい、いい加減にしろ!」
板の間に響く声に、下級貴族が震えあがり、父は満足そうににんまりと笑っているのを隠さなかった。
「当の本人である織花が言っている。ならばお前が金子を渡した見張りも連れて来るか。それとも伴家の牛車が竹林に入って行くのを見かけた市井の者たちを連れて来るか。どうにしてもお前はもう、行き詰っている。素直に己の罪を認めるが吉だぞ、伴右大臣」
「う、ううう」
「して、我が娘を攫ってどうするつもりだったのだ、伴殿。聞けば川に浮かぶか竹林で野垂れ死にさせるかと問い詰めたそうではないか。殺そうとしたのか? 帝もご寵愛の中宮を」
「そ、そこまでは」
「では脅し文句だったと?」
「その娘があまりにも堂々としていたものだから、つい」
「当然だ。不逞の輩にこびへつらう教育はしていない」
他の教育をされた覚えもありませんけどね。
思いながら口元を隠す。
タヌキとキツネの化かし合いなんて、見ていても面白い物じゃない。
「どうにしても伴殿が我が娘を、帝の中宮を攫ったのは事実。その責任は取って頂かねばなりませんなあ」
「わ、私にどうしろと言うのだ藤原大納言ッ」
「それは御上の詔次第でしょう」
「上意である、
「藤原……貴様! 謀ったな!?」
「何のことです伴殿。物騒な顔をなさる」
「ええい、妾腹の姫を入内させ本腹が成長するまで中宮の座を守ろうとしているのだろう! それには後宮の固き守りが必要! それをするためにこんな茶番をわしに担がせたのだろう! このタヌキめ!」
「聞き苦しいことを……帝、右大臣に反省の意はない様子。このまま伴家をお取り潰しになられては」
「なっ」
「ただでさえ帝を伴家の者と吹聴し、権勢を狙っていた者です。これからも私欲に塗れて何かしでかすかもしれない。それを思えばお取り潰しも已む無きかと――」
父上笑ってるのを隠すつもりないなあ。まあ、伴家が取り潰しになってもやむを得ない状況ではあるな、確かに。一応中宮をかどわかしているんだから、その罪は流罪でも軽いぐらいだろう。だがそうなると時頼様のご生母のご実家と言うことで、取り潰しはやりすぎではと言うことにもなりかねない。さてどう出るか『帝』は――と、そこに衣冠姿の若者が入って来る。
『時頼様』だった。
「申し上げます、帝。わたくし時頼は先日より伴家の女房と昵懇の仲にあります。わたくしが臣下に下り、伴家をより良く再興させてみせますので、どうかお取り潰しはご堪忍くださいませ」
言って頭を下げた『時頼様』に、呆気に取られているのは伴氏の方だった。
「お前、お前は門番の――」
「身分を隠して母の実家を守っておりました。奇妙な噂も流れているが故、お祖父さまの身にも何か起こらぬかと心配で。その内に女房と恋仲になり、今は伴家を継ぎたいと思っています。どうかお許しを、帝」
「時頼だったと言うのか!? そんな、そんなわけが」
「あるのです、お祖父さま。どうかご慈悲を願い奉ります、帝」
「――ふむ」
目を眇めて『帝』は『時頼様』を見下ろす。
「かけがえのない弟の願いだ。相分かった、伴家は大納言へ。芳聨ではなく時頼を頭首とするものとする。これで良いか? 秀幸」
「は? は、はい――わたくしめは御上に使える身、御上のお決めになった御沙汰ならばまったく構いません」
長い物には巻かれろ、か。父上も変なところで臆病だからな。慎重だとも言える。ここで下手に我が侭を言えば、自分の格を落とすことになると分かっているのだ。まったく内裏の人間と来たら、と思わずにはいられない。
そしてそれはこの『帝』もだ。じろりと睨むと、くつっと喉で笑われる。どうせ私の意志などここには介在しないのだ。必要だったのは面通しだけ。それが済めば発言権もない。発言力もない。父上に丸投げにしても良いぐらい、どうでも良い。
ま、いっか。面倒は避けられたし、妹の時の為の警備も厳重になる。そう言う契約の入内なのだ、私なんて。本当はどうでも良かったのも本音だろう、父上には。私がどうなろうと、妹さえいればまだ伸し上がれる伸びしろは十二分にある。いっそ私が殺されていた方が都合が良かったのかもしれない。あの家族にはお邪魔虫だったようなのだし、私は。
それに、三年間の契約入内の後、どこに嫁に出されるのかも分かったものではないし。それこそ下級役人に払い下げと言うのも考えられる。それは嫌だった。腐っても姫だったのだ、その暮らしは守りたい。
「――で?」
「うん?」
白檀の香りのする『帝』の後ろを歩いて清涼殿に向かいながら、私はこの茶番がやっと終わったことを確認する。堪んないわね、この解放感と言ったら。
「いつから決まっていたんです、これ」
「これ、とは?」
にこにこ笑いながら口元を笏で隠す『帝』。否、もう良いだろう――『時頼様』に、私は少し肩を怒らせて睨み付けて見せる。もっとも時々身代わりをしていたのだろう時頼様は、その程度じゃ怯えもしない。あの大内裏に比べたら、怖い物なんてないだろう。あれはキツネやタヌキと言ったあやかしの住む場所だ。人のいるべきところではない。まして花があれる場所でもない。
私もにっこり笑って、すたすたとその耳元に口唇を寄せる。私より少し身長が低いのは、この三年でどうにかなるのだろうか。流石に長身の中宮では、見目が悪い。私も大きい方じゃないけれど。一寸ぐらいの差、その耳に息を吹きかけるように私はその名を呼ぶ。
「『時頼様』。帝は件の女房に、本気になっていたのですね?」
両手を上げて降参するように、時頼様は息を吐いた。
「その通り。自分を帝とも思わず握り飯の差し入れや茶を持って来てくれる気の良い女房だったらしくてね。気が咎めて自分が『時頼』だと名乗っていたそうなんだけれど、東宮の身にある者だとしても扱いを変えなかったそうなんだ、彼女。そこからずぶずぶ行って、離れられなくなって。だったら自分が私と入れ変わって伴の家に入れば良いと思い付いたらしいんだ」
「もうどうでもよくなっちゃってたんですね、どっちがどっちかなんて」
「確たる証拠も掴めない噂話の範疇だったからね。どうしようもなかったのもあるだろうけれど、恋仲の女房もいるし、伴家には後継ぎが必要だったし、丁度良かったんじゃないかな」
「丁度良かった、の出汁にされた私にはまったくよろしくございませんわ」
「でもこれで、僕は君を抱けるようになった」
「は?」
「今夜はとびっきりの単衣で待っていておくれ。織花」
いつの間に呼び捨てにされるようになったのだろう。
葛籠を開いた時からか。
大きい葛籠には妖怪がいるものですよ、時頼様。
いいえ、『帝』。
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