第5話

「え?」


 思わず腰を浮かせそうになる。彼は騎士だ。そのような姿勢を簡単に取るものではないことは、セシルも十分に理解しているはず。それなのに、彼は今私の前でまるで祈るような姿勢で跪いていた。


「レディ・ミア」

「は、はい?」


 彼は、右手を胸に当てる。


「私が愛しているのは……貴方です」


 聞き間違いかしら、と反応が遅れる。きょときょと目を瞬かせた私に、セシルは真剣な顔で訴えてきた。


「私が騎士になったのも、死に物狂いで功績を上げ続けてきたのも、全部貴方を手に入れるためです」

「……??」


 彼の言っていることが理解できず、私はまた首を傾げる。そんな私に、彼は少し眉を下げて困ったような雰囲気になる。

 ――ん? んん? 今、セシルはなんて言った?

 混乱して言葉を返せずにいると、彼は小さく笑むかのように唇の端を持ち上げた。


「ごめんなさい、私、寝ぼけているわけではないと思うんだけど……聞き間違えよね。セシルが私のことが好きだなんて」


 ――なんて都合のいい聞き間違えをするのかしらね、この耳は。


「うふふっ、そんなわけないわよね? ふふ、嫌だわ、もう私ったら」


 まるで現実感がない。もしかしたら夢かも、と思いながら、自分の耳をぐいっと引っ張る。

 ――痛い。

 そんなはずはない、と引き攣る顔を隠すように頬に手を当てて微笑む。しかしセシルは、そんな私に言う。


「聞き間違えではありません。私が好きな女性は、マイレディ、貴方だけなのです。他の女性がいくら誘惑してこようと、目など奪われるはずがありません。私には貴方しかいないのですから」

「待って、セシル。だってあなた、今まで私に触れようともしてこなかったじゃない。目も合わないし、会話だってちゃんとしたことなかったわ。あれは、私が傷物だからではなかったの?」

「違います」


 間髪入れず彼はきっぱりと言い切る。


「自らの手を望んで血で汚してきた私が、この汚れた手で愛しい貴方に触れるなんて……そんなこと出来るはずがないでしょう? しかも、どんなに堪えようとしたところで、それは色欲混じりになってしまいます。そんな想いを抱えて貴方の前に立つなんて、烏滸がましいと言うしかないではないですか」

「……はい?」


 聞き間違いにしても、これはひどい。いや、これはきっと夢。

 夢だから、はちゃめちゃなことになっているのだ。

 顔に出さないようにしつつ必死に自分に言い聞かせていると、セシルは真っ直ぐに私の目を見てきた。


「貴方を汚すなんてことは、私には出来ません。だから、この手では貴方には触れられないと思っているのです」

「……あの、私たち、夫婦よね?」

「はい」

「えっと、だけど、欲絡みで触れられないとか、それ本気で言ってるの?」


 ――というか、これではまるで、セシルが私と“そういうこと”をしたいと思っているみたいじゃない!

 あまりにも突拍子のない言葉に、目の前がグラつく。


「はい。本気です」


 ――なんてこと。

 ド真面目な顔で彼が言っていることを理解した私は、くらりとソファに倒れ込んだ。


「つまりあなた、こういう言い方はどうかと思うけど、私を神聖視しすぎて触れられない、とか、そういうことを言っているわけ?」

「…………っ」


 ちらりと見れば、彼はほのかに頬を染めていた。冷静沈着で通っている彼が、ほんのり赤くなる姿なんて、初めて見た、と妙な感動を覚える。

 ――なんてこと。

 私のことなど使い勝手のいい駒だとでも考えているのだろうと予想していた我が旦那さまは、蓋を開けてみれば私を好きすぎて拗らせた挙句、触れることはおろか近付くことも喋ることすらままならない……そういう状態に陥っているようだった。

 あまりにも予想外の展開に、私は頭を抱えた。

 セシル、と名前を呼べば「はい」と返って来る。その声は、今までの冷淡さはなんだったの? と問いたくなるほどにとろけていた。

 ――いやいやいや、なに伝えられて良かったみたいな顔してるの。

 一人だけスッキリしたような態度を取られてもこちらは納得できない。


「あなた、それ本気で言っているの?」

「私は冗談など言いませんよ」

「……とりあえず、跪かれていても困るから! 話を続けるなら隣に座ってもらえるかしら」


 私の要求をすぐには受けかねたのか、彼は立ち上がったもののその場から動こうとしない。


「セシル」

「そのソファの大きさでは、身体が触れてしまいそうで……今も言った通り、私が貴方に触れるわけには……」


 なにやらごちゃごちゃ言っているセシルを軽く睨んで、自分の隣、空いている座面をトントンと叩く。


「いいから座りなさい」


 8歳年下の旦那さまに命じれば、ぴくっ、と肩を震わせた彼はおとなしく隣に座ってくる。しかし、本気で触れてはいけないと思っているようで、必死に私とは反対側の肘置きに身体を押し付けていた。

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