『制度の腹 ― 稲と血糖の国で』
白米デバフ太郎
プロローグ:「最適化された身体」
国会議事堂の天井は、いつも不自然に高い。
人工照明の白さが、誰もが“清潔”に見えるように設計されていることを、梶原修造は知っていた。
五十七歳。元厚労省キャリア官僚、現職の衆議院議員。
健康政策、介護財政、医療AI導入、どれも彼の守備範囲だった。
「次の質問者、梶原修造議員――」
名前を呼ばれ、彼は立ち上がる。スーツの背筋はぴたりと伸びていた。
だが、その足元に違和感が走った。
一瞬、ふらついた。
昨日も同じようなことがあった。
喉の違和感、倦怠感、背中の重さ。微熱はあったが、自覚症状は曖昧だった。
“風邪だろう。”
SGLT2阻害薬はいつも通りに服用している。
ジムにも行ったし、朝の発芽玄米とプロテインも摂った。
睡眠アプリのスコアも上々。問題はないはずだった。
それなのに、今――
(おかしい……?)
視界の端が白く霞む。資料の字が読みづらい。
心臓の音が、遠くでくぐもっているように聞こえる。
ほんの数秒前まで、彼の思考は**「完璧に制度化された自己」**で満たされていた。
だが、身体はその瞬間、別の命令を発した。
制御不能。拒絶。切断。
「……梶原さん?」
議席の列の向こうから、誰かの声がする。だが応答できない。
(これは低血糖か?……いや、薬は……)
彼の身体がゆっくりと折れた。まるで、上から引き剝がされるように。
床が近づいてくる。
スーツの裾が宙に浮いた。紙が落ちた。
議場の空気がざわめき始める。そのすべてが、どこか遠い。
そしてその瞬間。
舌の上に、白米の甘さが広がった。
炊きたての、柔らかく甘い粒。
それは、彼の人生の「原点」であり、「制度そのもの」だった。
静寂。
そして、身体の底から聞こえる――声。
「制度との適合率:38%」
「危険水準に到達」
「歴史的身体構成データベースへの接続を開始します」
(……誰だ?)
「記憶を再照合中」
「あなたの身体は、敗者の記憶を保持している」
「照合開始――弥生末期、九州列島北部。稲作導入期」
(……なにを言って……)
「あなたは、記憶を思い出す前に、“身体”を思い出さねばならない」
ふと、彼は何かを踏みしめていた。
泥。冷たい。水を含んだ、未舗装の地面。
周囲には草葺きの屋根と、煙と、土壁と、川の音。
空気は湿っていて、背中に米俵の重みがある。
自分の足は裸足で、踵には硬いひび割れ。
言葉にならない本能がこう告げていた。
(……これは俺の、“古い身体”だ)
ここから始まる。
制度がまだ「身体」だった時代。
あるいは、身体が「制度」を拒むことができた時代。
梶原修造は、ただの一人の政治家だった。
だがこの瞬間から、彼の身体は、制度に最適化された国家のOSと戦い始める。
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