第22話 タレコミ
エルザとジョーが、セラスに帝国の駐屯地襲撃の報告を終えたのは、夜遅くのことだった。
報告を終えて寝室へ戻る途中、突如、ジョーが強烈なめまいと吐き気に襲われて、立ち尽くしてしまったのである。
「ジョー、どうしたの? あなた顔色が悪いわ」
「大丈夫だ……慣れない土地で、ちょっと調子を崩しただけだ、心配いらない」
ジョーは脂汗を流しながら、フラフラと部屋の中へ入って行った。
部屋に戻ったジョーは、そのままベッドに倒れこんだ。高熱で頭がボーッとする。猛烈に襲いくる寒気に、ジョーは思わず体に布団を巻きつける。すると、どこからか、眠れ、眠れとささやく女の声がするのだ。
ジョーはその声に違和感を覚えて、なんとか眠るまいとして目を開け続けた。だが、高熱と寒気で疲れたジョーは、ついに瞼を閉じてしまった。
すると次の瞬間、ジョーは暗闇の中にいた。
「これは……夢なのか」
ジョーが立ち尽くしていると、どこからかロープが飛んで来て、ジョーをグルグル巻きにしてしまった。そしてそのロープはジョーの体をキツく締め上げていく。
「ぐうっ、なんだこれは!」
ジョーがうめき声を上げながら悶えていると、そこへ一人の影が近付いてくる。
「ハハハ、どうしたにゃジョー、本番はこれからやで」
「べ、ベルネージュ!」
ベルネージュが手を振り上げると、炎の玉が降り注いでジョーの体を焼いた。
「うわああっ!」
炎がジョーの体を包んで、その身を焼く。ジョーはロープで身動きが取れないまま悶え苦しんだ。
「わはははは、熱いか? 痛いか? 苦しいか? なあ、ジョー」
ベルネージュはニッコリと微笑むと、上空に向かって腕を上げた。すると、空間にぽっかりと黒い穴が開いて、ジョーが昔殺した悪党たちの亡霊が、ゾロゾロと出てきた。
「お、お前らは!」
ジョーは身を捩って逃げようとした。
「わはははは、ビビッてんのか? お前らしくもない。さあ、お客さんを出迎えせんかい!」
「あああ、やめろベルネージュ!」
「聞いてやれ、亡者の恨み言を!」
すると亡者たちがジョーへと群がってくる。
「ジョー! お前はいつこっちに来るんだ?」
「お前が生きている限り、俺たちはお前を呪い続けてやるぞ!」
「ジョー! おい! いつものように、俺たちを斬ってみろよ!」
「ジョー! ジョー! 返事をしろよ! ジョー!」
亡霊たちはジョーを殴り、噛みつき、踏みつける。そして剣でブスリと刺すのだ。
「あああーーっ!」
ジョーは夢の中で、何度も死んだ。死んだと思ったら、また元の五体満足な身体で蘇って来る。そしてまた、亡者たちに殺されるのだ。
ジョーは気が狂いそうになっていた。
「ああ! 誰かこの悪夢を終わらせてくれ!」
そう叫んだ時、誰だか自分を揺さぶる者がいる。
「ジョー! 大丈夫? ジョー!」
ジョーが眉間に皺を寄せながら、薄っすらと目を開けると、ベッドの脇にエルザがいた。
「ジョー。ひどい汗だわ……どこか悪いんじゃない?」
ジョーは、エルザの顔をぼんやりと眺めた。
「ベルネージュの呪いかもしれない。夢の中であの女が現れて、亡者を使って俺を殺しにくるんだ。ほら、見て見ろ……夢の中で斬られた傷跡なんだが……現実にも少し影響が出ている」
そう言ってジョーは自分の腕を見せた。すると、みみず腫れのような赤い線がいくつも浮き出ている。
「一体、夢の中でベルネージュは何を言ってくるの?」
するとジョーは、俯きながら、しばらく悩んでいたが、顔をあげると話しはじめた。
「その亡者というのは……俺が昔殺した連中なんだ」
「その亡者って、リールの街の盗賊たちってことよね?」
ジョーはチラリとエルザを見ると、苦しそうにあえいだ。
「……俺はな、自分の才能が戦闘しかないことに、とても悩んでいたのだ。心の奥底では、人など殺さず生きていきたいと思っていた。だから、人を殺して生きていることに罪悪感を感じていたんだ。その罪の意識をうまく刺激された。……俺は夢の中で、延々と亡者たちに殺され続けることになってしまったのだ。だがこんなことは、自業自得なんだがな」
ジョーは、項垂れた。
「俺はベルネージュにな、罪を償うために死ねと言われた。また、それも仕方がないと夢の中で思った。そういう暗示を受けたのかもしれない。あいつが夢の中で……何度もそう言うんだからな」
「でもねジョー。これからは人を殺さなくても生きていけるわ。あなたは、国を危機から救った英雄なんだもの」
「盗賊の仲間だった俺に……そんな生き方が許されるのか」
「許すとか、許さないとかじゃないのよ、ジョー。あなたがこれからどう生きたいかってことなの」
「俺がどう生きるかだって?」
エルザは頷いた。
「あなたが騎士になれば……これまでのような荒んだ生活をする必要がなくなるわ。そんな生活を……あなたは望んでいたんじゃなかったの?」
「なれるのか、俺が騎士なんかに」
エルザは大きく頷いた。
「さっきセラス様から聞いたのだけど、今回の功績が認められれば、その褒賞として騎士爵が授与されるだろうって言ってたわ」
「えっ! それは大丈夫なのか?」
「何が?」
ジョーは信じられないと言った顔をした。
「俺はただ、お前に頼まれて手伝っただけだぞ。国のためなんて考えてない」
「そんなことは関係ないわよ。あなたの行動の結果が、騎士爵というものに繋がったのよ」
ジョーはまだ、信じられないといった顔をしていた。
「エルザ。俺はまだ、呪いで頭がおかしくなっているのではないか?」
そんなジョーを見てエルザは笑った。
「もう、盗賊に戻らなくてもいい……ジョーデンセンって本名なのよね? これからは黒い蝙蝠のジョーではなく、騎士ジョーデンセンとして生きてよ……」
ジョーは、エルザからもたらされた、新しい未来の提示に心踊った。まさか、自分の未来にこんな幸運が開けていたとは.思ってもいなかったからである。
ジョーは思わず、涙を零していた。
◆
それから数日後、ジョーとエルザは馬車に乗って王都へと向かった。馬で行けばもっと早かったと思うが、馬車にしたのはジョーの体調が優れないからである。
ジョーは、あれからも毎日悪夢を見るので、精神的に疲れているようだった。そして、幻覚で受けた傷痕もなかなか癒えない。
ジョーが王都へ来たのは初めてである。まず、建物の大きさに驚かされた。遠くからでもそれとわかる大きな城。それを取り囲む城壁も、王都の街に建つ建物も、どれもが高く大きかった。
翌日、宿泊する宿へ、王宮から迎えの馬車が訪れた。
いよいよ謁見の日がやって来たのである。
「いよいよね、ジョー」
エルザはそう言って声をかけるが、ジョーの体調はかなり悪かったので、ただ頷くだけであった。
王宮につくと、平民のジョーは、城に勤める執事の一人に礼儀作法について教わっていた。
なかなか肩苦しくて、面倒くさい所作だったが、王もジョーが平民だと知っているので、いちいちとがめたりはしないから安心するように……と言われる。
「緊張なんかする必要はないのよ? 叙任式といっても大したことをするわけではないの。王様の前で片膝を付いてね、ちょっとだけ下を向くのよ。そしたら肩に剣の腹でポンポンってするのよ。それだけ」
「お前は他人事だからそんな事をいうのだ。こんな所……俺にとっては本当に場違いなんだからな」
ジョーは項垂れてため息をついた。
謁見の間に入る前に、一同は控えの間に通された。
そこには叙任される者だけではなく、他の用事で謁見を求める人たちもいる。奥の方にはリールやガムランの領主を中心に、騎士団の貴族たちが集まっていた。
エルザやジョーは平民だったから、このような雰囲気に慣れていない。そのため、自然と部屋の端の方で静かにその光景を眺めていた。
貴族の生活は面倒くさい……。
セドリックはそうこぼしていた。
今のエルザには、なんとなくセドリックの気持ちがわかる。しかし、セドリックは伯爵家の出で、元は剣聖とまで呼ばれた剣士なのだ。平民のエルザとは比較にならないほど、気は楽なはずである。
そんな緊張感に包まれた二人の平民に、一人の男が近付いてくる。
そして、エルザの前で立ち止まった。
エルザは、その男の顔を見上げた。
上品な貴族の男である。
「おい、お前……黒い蝙蝠のジョーだろ?」
男の急な発言に、エルザは凍り付いた。
ジョーは返事をしなかったが、代わりにエルザがそれに応えた。
「お貴族様。彼はその、ジョーとかいう男ではございません。彼の名はジョーデンセンと言って、メラーズ男爵の捕縛や妖術使いのベルネージュを討伐し、王国のために体を張った男でございます」
エルザがそう言うと、その貴族はギロリと睨みつけた。
「女! お前には聞いていない! 俺はジョーに聞いているんだ!」
貴族の男はそう言うが、ジョーは黙っている。エルザはジョーが体調不良なのを知っている。
「お貴族様。この方はバクスター家のセドリック様もセラス様もよくご存知な方なのです。お戯れはおやめください」
エルザはそう叫んだ。
だが、それはかえってそのお貴族様を激昂させてしまった。
「なんだと! バクスター家は盗賊を匿うって言うのか!」
「ここは、王様との謁見の控え室ですよ! 私たちは平民ですが、この場で揉め事を起こそうとするあなたこそ、王を侮辱した行為なのではありませんか!」
するとその男はエルザを見下すように睨みつけて、苦々し気に言った。
「知らないのか? 数日前、メラーズ制圧部隊の中に、黒い蝙蝠のジョーが紛れ込んでいるという、タレコミがあったのだ。それを聞いた三日月湖で散った騎士たちの家族から、リールの騎士団へ相談があったのだ。もし、その男が騎士になるというなら、本気で止めて欲しいと」
この口論によって、人が集まり始めた。
本来、静かなはずの控え室が二人の怒声が響き渡ったので、嫌でも目立ってしまった。
「ロイド、ここは謁見のための控え室だそ。何を騒いでいるんだ」
「はっ、領主様……この男のことで、少し素性を問いただしたいことがありましたもので……」
「それなら謁見の後でも良いではないか。なぜ、今ここで諍いを起こす必要があるのだ?」
「そりゃ、そうですよ! この男こそ、黒い蝙蝠の処刑人、ジョーなのですから!」
ロイドそう叫ぶと、周囲を取り囲んでいた貴族がざわつきはじめた。
それもそのはず。
彼らはジョーが三日月湖で殺した、騎士たちの親や兄弟たちなのだから。
「迂闊なことを言うんじゃないぞ、ロイド! ここは謁見の間の、控え室なのだぞ!」
「ええ! 間違うことなどあるもんですか! 私はリールの街の現・騎士団長なのですよ! リールの治安を預かるものとして、最も危険な人物、それがジョーなのです。他の者を見間違うことはあっても、ジョーの顔を見間違うことはありません!」
まさか。
エルザにとって、まさかの展開だった。
彼がこのまま騎士爵についたら、何もかもうまくいくと思っていたのに。
このまま彼を世に放って、また盗賊団に戻れと?
それともこのまま拘束して死罪にするのか。
そんなことになれば、彼をここへ連れて来たエルザは、どう彼に詫びればいいのだろうか。まるでジョーを罠にかける手先として利用されたような気分だった。
「とにかく、セラス様を! 事を性急に運ぶのはおやめください!」
エルザは必死だった。
貴族の知り合いは、セラスしかいない。セラスに見放されたらもう終わりである。
「そうだ、セラス様を呼んでこよう。私の兄は、彼女の依頼で三日月湖へ赴き、そこで死んだのだ。彼女がその時の張本人、ジョーを許すはずがない!」
「そうだ、セラス様を連れてくるのが一番いい」
「おい、誰かセラス様を呼んでこい!」
エルザは青くなっていた。
確かに、ジョーデンセンを騎士爵に推薦したのはセラスである。
だが、セラスはあの、黒い蝙蝠のジョーと、このジョーデンセンが同一人物だとは知らないのである。
もし、セラスがそれを知ってしまったら、一体、どうなるのか。
これまでの態度とは打って変わって、捕縛に走るかもしれない。
エルザには、これからどんな未来がやってくるのか、全く想像もつかなかった。
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