白き聖女の裁定
◆◆
神殿地下の小さな審問室。その空気は冷えきっていた。
石壁に囲まれた空間の中央に、椅子がひとつ。
鎖に繋がれた男――ルークが、黙って座っている。
その向かい、半円状に配置された机の中央に座るのは、目隠しの布を巻いたひとりの女――聖リオール教国の聖女、セレナ・アルファリエ。
透き通るような白髪に、純白の法衣を纏ったその姿は、神秘性と威厳を兼ね備えていた。 その傍らに控えるのは、補佐官のフィーネと、護衛のリアナ。
この場に他の者はいない。
それが、この“至聖裁(しせいさい)”と呼ばれる最高裁判制度の特徴だった。
制度が始まったのは、今から十八年前。当時まだ十三歳だった聖女セレナの神聖なギフトを公に示す場として設けられ、以後、教国における特別な審理の形式として定着している。
取り扱われるのは、特に慎重な審理が求められる案件に限られるため、開廷の頻度は月に一度あるかないかと非常に少ない。例外的に、聖女自身が内容に関心を持った場合には、自ら希望して審理に加わることもある。
真実を唯一、正確に見抜ける聖女が裁く場であり、その判決には誰も逆らえない。
セレナはゆっくりと立ち上がり、正面の被告へ向けて声を発した。
「この場において虚偽の証言を行った場合、それは神の御前における偽りと見なされ、相応の罰が下ります。内容の軽重にかかわらず、最悪の場合、死をもって償うことになるでしょう」
聖女セレナの前で虚偽の申告をすることは、誰であれ無意味だった。
それでも、時折こうして“整合性のない告白”をする者が現れる。
「被告ルークは、令嬢付きの女中を殺したと自ら申し出ています。しかし、調査の結果、物証・証言ともにそれを裏付けるものは見つかっておりません」
「……あなたはご自身がやったと仰っています。ですが、状況証拠も目撃証言も、それを否定しているのです」
「改めて聞きます。本当に、あなたがエルネスト侯爵の息子・ラウル・エルネストを殺したのですか?」
男は俯いたまま、かすかに息を漏らした。
「……俺がやった。」
「……そういうつもりなのね?」
セレナは口元に笑みを浮かべた。
「あなたねぇ、ここで否定しても、あなたが死んで、次は彼女が同じ椅子に座るだけよ? ……ねえ、好きなんでしょ? 愛してるんでしょ? 彼女のためなら、自分が罪をかぶってもいいって思ったんでしょ?」
セレナは身を乗り出し、まるで恋の噂話でも聞くかのように瞳を細めた。
「また始まった……あなた聖女でしょ。……はぁ、もう」
フィーネが苦笑しながら小声で諫める。リアナは何も言わず、肩をすくめて笑っていた。
「じゃ、続きを聞かせてくれる? 真実を……二人の出会いから」
セレナは身を乗り出したまま、興味深げに微笑んだ。
男はしばらく黙ったあと、ぽつりぽつりと語り出した。
彼は屋敷の庭師として働く中で、リーナと出会い、自然と親しくなっていった。
恋人であるリーナは、女中として仕えていたが、主人の息子に日常的に虐げられていた。
ある日、仕事の帰りに屋敷の外で無理やり呼び止められ、人気のない場所へ連れ出されそうになった。
襲われかけたリーナが咄嗟に押し返したところ、男は足を滑らせて屋敷裏の石段から転落し、そのまま頭を打って死亡した。
「……だから、彼女は悪くない。ただ怖くて、とっさに突き飛ばしただけなんだ」
「ふぅん、なるほど。愛と若さって、いいわねえ」
それから両手を軽く叩いた。
「よし、二人とも無罪!」
「は、はい!? ……ま、待ってください! えっ、無罪……?」
男は口をあんぐりと開け、呆然とする。 しばらくして、戸惑うようにセレナを見上げた。「……本当に……俺たち、助かるんですか?」
声はかすれて震えていたが、そこに滲んでいたのは安堵と、わずかな希望だった。
セレナは軽く目を伏せたあと、静かに言葉を継いだ。
「そうね。法的には問題ないことにできるわ。エルネスト侯爵も、私と正面から争うような真似は避けるでしょうし、教会としても庇護の姿勢は取れる。ただ――それでも多少の注意は必要かもしれないわね」
そして、微笑を浮かべてさらりと付け加える。
「その時は、迷わず逃げなさい。愛の逃避行ってやつよ」
フィーネはため息をつきながら、手帳を閉じた。
「あなたは、まったく……」
リアナは男の方をちらりと見て、珍しく声を出す。
「よかったな」
そのまま、小さく満足そうに頷いた。
セレナはちらりとルークを見やり、ふと思い出したように口を開いた。
「そうそう、言い忘れておりましたが……この場でのやりとりは一切、外部への口外を禁じられています。違反した場合は、形式上“それなりの対処”があるとされています。特に、私に関する虚偽の情報が流布された場合には……どうか、そのつもりでお願いいたしますね」
セレナは机の上に置かれた小さな銀のベルに手を伸ばすと、軽やかに鳴らした。
澄んだ音が、審問室の静寂に響く。
それが、外に控える衛兵たちへの終了の合図だった。
その後、セレナは再び静かに口を開く。
「正式な記録として記載してください。本件における被告ルークおよび関係者リーナについて、いずれも罪状なし。両名とも“無罪”と裁定いたします」
フィーネが頷きながら記録用の紙に筆を走らせる音だけが、室内に静かに響いた。
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