010話 はじめての下層、はじめての絶望


 俺たちはいよいよ中層の階層も半ばを越えたあたりに差し掛かっていた。


 このまま下層へと足を向ける前に、カナリアの後衛としての適性を見ておきたかった。

 というのも、ここまでは前衛として彼女がひとりで魔物を蹴散らし、そのおかげで俺たちはほとんど力を使わずに進めている。


 けれど、下層ではそうはいかない。

 そこに至る前に、パーティーとしての柔軟な戦術運用を見据え、彼女の援護能力を確かめておきたかった。


「よし。カナリア。前衛としては問題なさそうだ。ここからは俺が前に出る。お前は後ろから援護を頼む」

「ほんまに? わかった! うち、がんばるわ!」


 入れ替わりで俺が先頭へと立ち、カナリアはその少し後ろに。

 クロウェアはさらにその後方を、どこか気の抜けた様子で歩いていた。


 だが、道中の様子を伺うカナリアの眼差しは真剣で、緊張感に満ちていた。

 今後の連携に大きく影響する援護の技量を見極めるには、まさにうってつけの機会だった。


 ……そう、思っていたのだが。


 最初の魔物と遭遇した瞬間、その期待は華麗に裏切られることになる。


 眩い閃光が中層の通路を焼き尽くし、轟音とともに俺の周囲を魔力の奔流が吹き抜けた。 

 たぶん、<烈光槍ブレイズランス>か。魔法学園の教本で見たことがある――っておい、その教本には『密閉空間で撃つべからず』って書いてあったぞ!?


 だが、衝撃はそれだけにとどまらなかった。


 これは――俺ごと撃ってきてやがる!?


 「どわあああああッ!!」


 振り返ると、カナリアは必死の形相で魔法を連発していた。

 俺に当てる気はないのだろうが、だからといって命が助かる保証にはならない。


 転がって回避する俺を見ながら、いつの間にかカナリアの背後に移動していたクロウェアは、笑いすぎて涙を滲ませていたが、こっちは命懸けだ。それどころではない。


「おおおおッ、やめろ、やめろおおおおッ!!」


 何とか爆撃の射線から逃れて地面に伏せると、俺の前にあった魔物は……もう影も形もなかった。

 肉片と焼け焦げた地面だけが、そこに残されていた。


「カナリアーーーーーッ!!」


 怒声が冒険迷宮ダンジョンに響き渡る。

 音に反応する魔物がいる階層とはいえ、叫ばずにはいられなかった。


「あっ……ご、ごめん! 大丈夫!?」


 ようやく魔法の嵐が止み、俺は立ち上がって全身の無事を確認した。


「ああ、なんとか……。だが、当分後衛は見送りだ。魔法を撃つ前に、せめて俺の名前を呼んでくれ……」


 それにしても、この破壊力の高い魔法を連発しても息ひとつ切らさないあたり、彼女の魔力量も相当なものだ。

 照明魔法も戦闘中ずっと揺らがずに灯っていた。


「ちょっと落ち着いてくれ……」

「うぅ、ごめん……。一緒に戦うの慣れてなくて……」


 確かに、彼女の魔法は強すぎる。

 たまに協会から緊急討伐依頼が出るようなタイミングでなければ、ここまでの実力者に出会えることはそうない。


 つまり、希少な逸材――ただし、扱い注意。


「カナリアは、私が見た人族の中でも最強クラスかもね。単純な火力だけなら」

「や、やめてやクロ、照れるやん……」


 頬を赤らめて後頭部をかくカナリア。

 たしかに、現役時代の俺でもここまで魔力に特化した冒険者は稀だった。


 本来なら後衛職が適任なのだろう。だが火力が過ぎて、前衛の方がまだ安全まである。


「……俺は?」

「うーん……伸びしろはあるんじゃない?」


 鼻で笑われたような気がした。


「まあ、加減はこれから覚えてくれ。いまのままだと、味方の援護というよりは敵の援護だからな」

「カナリアが手加減覚えるのが先か、グリンが爆散するのが先かしら」

「ご、ごめんなぁ……」


 しょんぼりする彼女に、俺は大袈裟に声を張った。


「ははっ、舐めんなよ。これでも素早さには自信あるんだ。いいか、カナリア。前衛はお前、俺は遊撃と索敵に回る」

「うん! 次はしっかりやるでぇ!」

「頼むぞ、ほんとに」


 その横でのんきにあくびをかますクロウェアを見て、俺はぼそりと呟く。

「……お前は、もうちょっと力め」

「ふぁあ……あれ、なんか怒ってる?」


 コラの冒険迷宮攻略の発起人のくせにいい気なものである。


 俺は肩を落としつつも、再び先頭へと足を進めた。

 今度はカナリアといつでも交代できるように、少し距離を取りながら――。


 それからの進行は順調そのものだった。

 再び前衛に戻ったカナリアが、中層の魔物をことごとく粉砕していく。

 まさに進撃。中層が狭く感じるほどだ。


「……なぁ、なんか空気変わった気せえへん? うちの気のせい?」

「いや、合ってる。そろそろ下層に入る。ここから更に魔素の濃度が跳ね上がる」


 どこか冷たい空気が肌にまとわりつく。湿り気と圧力を帯びた気配。


「へぇー、魔法が通りやすくなるってことやんな? うち的には助かるわ」

「その感覚は重要だ。頼りにしてるぞ」


 ただし魔素が濃いということは、魔物が強いということ。

 そして、探索病のリスクも跳ね上がるということでもある。

 

 俺は無意識に胸元を押さえた。――まだ、大丈夫だ。


 下層に現れる魔物は、もはや中層の階層主クラスでさえ餌にすぎない。


 慎重に目印をつけながら、俺たちはさらに奥へと足を踏み入れていった。

 通路の先には、うっすらと紫がかった霧が漂っていた。

 足音も壁の反響も、どこかくぐもって聞こえる。空気の匂いさえ、少し変わった気がする。

 クロウェアも、先ほどまでとは打って変わってカナリアの隣に並んで歩いていた。



 

 最初にそれに気がついたのは俺だった。

 

「……待て」

「どうしたんや?」

 

 何かがぶつかり合うような音が聞こえた気がした。


「何か聞こえないか?」

「……うちにはなんも聞こえへんけど」

「何か固いものの軋むような音が聞こえるね。それに破壊音……。誰かが戦っているのかな?」


 俺の問いかけに眉を下げるカナリアに対し、クロウェアは頷きを返した。

 

 俺は地面に這いつくばると耳を地面へと当てる。

 すると、その存在は空気を通して聞くより明らかであった。

 

「何かが近づいてくる。足音が、多い?」

 

 魔物の群れだろうか? 群れを作る魔物は、個体自体の個々の力は単独で生きる魔物に劣る。

 その点では、カナリアという魔法砲台がいるので与しやすい。


「右側の通路だ。もうずいぶんと近いぞ。カナリアは前に。クロウェアは後ろへ」


 俺は遊撃だ。戦況を判断するほか、ほかの魔物への対処を担う。

 俺たちは息を呑み、足を止めて相手を待つ。


 固唾をのんで見守る視線の先、現れたのは――見上げるほどに巨大な体をもつムカデの魔物。

 節に分かれた長く偏平した青白い胴体。各節から鋭い脚が突き出し、まるで意志を持つように蠢いていた。


 中でも特筆すべきは、最前部の胴体から生えた牙と見まごうような顎肢。

 そして、無数にも思える魔物の脚たちは、それ自体が意志をもったように各々動いていた。

 

 カナリアの魔法の光を反射して、青く生々しく光っているその巨大な体を見て、息を呑み。

 コイツは――!!


 魔物から逃げるように向かってくるのは三人の冒険者。

 それは安全圏で遭遇した妖精族の冒険者たちであった。近づいてくるにつれ明らかになる彼らのその表情は引きつっていた。


 固まる俺を尻目にカナリアが打って出る。

「先手必勝や!」


 逃げてくる彼らの頭上を追い越して、カナリアの魔法が魔物へと着弾する。

 これまで二撃を必要としないそれの威力は申し分なかった。


 ――下層ここに来るまでは。

 

 放たれた魔法は魔物の外殻に当たると、弾けるように霧散する。


かった! なんやこの硬さ……ッ!?」


 魔物は耳障りな悲鳴を上げると、シャカシャカとその多くの脚を小刻みに動かして迫りくる。

 体の大きさに比例して、その一歩が大きく、その動きも見た目以上に速い。


「こいつに魔法は効かないッ!」

 カナリアの隣で足を止めた冒険者たちは、そう言って後退を促す。

 

「それならこいつはどうやッ!」

 

 カナリアが地面に手をあてると、迫りくる魔物とカナリアの間の地面から巨大な土の壁がせりあがってきた。


 魔法が通じない、という事態は冒険迷宮にか限らず、魔法使いであれば最も気を配らなければならない問題。

 最も基本的な対処法は、いまカナリアが行っているように間接的な攻撃・防御魔法の使用だ。


 しかし、

「むだだッ!」

「へ?」


 妖精族の冒険者の悲鳴、カナリアの間の抜けた声。

 そして、土壁を正面から突き破った魔物のあげる不快な悲鳴。


「ちっ、最悪だ。カナリア! そいつは魔力を弾くぞッ!」

「はぁ!? そんなん卑怯やんッ!」

 

 目のない魔物の顔が迫る。

 顎肢が牙をむくと同時に、その奥にある鋭く小さな歯の備わった顎がカパリと左右に開く。


 俺たちはその場を勢いよく飛び退いてこれを躱した。

「嫌になるだろう!? 下層はこいつみたいに一筋縄ではいかない奴ばかりだ!」


 魔物はそのまま止まることなく、俺たちが立っていた地面を深く抉る。

 まるで粘土細工のように、地面が形を変えていく。その余波で石が弾丸のように周囲へと飛散した。

 

 あんなのに噛まれたらいくら体を魔法で強化していてもひとたまりもない。


「グリンはこいつ知ってん?」

巨大百足ムカデカデ。なんでこんなとこに……。くそっ、こいつにはたしか覚えておくべき攻略法があったはずなんだか、なんだったか……」


 巨大百足の姿が過去の記憶を刺激する。

 在りし日の、仲間と共に冒険を楽しんでいたころの遠い記憶を。


「このッ! このッ……!」

 視界の隅では、俺に喧嘩腰の妖精族のリーダー格の冒険者が鼻息荒く俺を睨めつけていた。

 今にも詰め寄って拳を振り上げそうな勢いだったが、仲間の手がそれを制した。


 年は取りたくないものだ。

 前線での冒険者時代の記憶に長い間蓋をしていたおかげで、いま必要な記憶も取り出せない。


「クロウェア、もし何か使える術があるなら今のうちに——」

「無理よ。今の私は何も出せない。見ての通り、ただの荷物持ち」

 

 そう答える彼女の手は落ち着いてはいたが、ほんのわずかに拳を握りしめていた。


 頼れるのは、俺とカナリア。

 たったそれだけの戦力で、あの化け物に挑むのか――笑えない話だ。

 でも、逃げるよりマシだ。背を向けた瞬間に、死が追ってくる世界なんだからな。


「カナリア! あいつの動きに合わせて、次の一撃を俺の合図で放て!」

「了解や! 今度は加減……せんでええな?」

「構うな。頭を狙え。動きを止める!」

 

 俺は魔物の動線を読み、短剣を抜いて前へと飛び出した。

 魔力を帯びていない武器では通らないことは重々承知。それでも、戦いは始まったばかりだった。


「クロ、後方警戒を頼む!」

「了解。誰か来たら蹴飛ばしておくわ」


 俺たちはいま、確かに三人でこの下層に立っていた。

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