嘱目するスフェーン

武田杏

第1話 暴食王の帰還

カウンターにある、切子細工のショートグラスの向こうをのぞき込むと、万華鏡のようなバーテンダーの姿があった。店内に音楽は流れておらず、ネクタイを緩めた男性たちの話す声であふれていた。

15席ほどのバーカウンターの奥で、オレは、ゴールデンフィズの入ったタンブラーグラスを持て余していた。口当たりがよく、飲みやすかったが、もっと刺激的な味を欲していた。彼の著名な作家が好んでいたというが、酒の趣味は合わないだろう。知らぬ誰かと語り合わずとも、酒の味だけを真剣に楽しめるので、この店の雰囲気は気に入っていた。

建物の改築があったり、災禍に見舞われたこともあり、一時は営業を断念していた時期もあったと聞く。断絶した時期を含めると200年も経営していたとされるこの店は、今では亜鈴と人間もどき《ヒューマイム》の区別をしないことで有名だ。だからと言って乱闘が起きたりすることは無いのは、この店の立地が関係しているのかもしれない。

「ユーイチ君じゃない。久しぶり」

隣の開いていた席に、ブルゾンを羽織った、ヨウコが座った。

「お久しぶりです。仕事帰りなのですか」

「よくわかったね。もうがっつり儲かったのよ。気分が最高にいいもの。それに、君みたいな美人に会えて更にうれしいわ。お姉さんが一杯奢ってあげよう。今飲んでいるそれ、持て余しているのでしょう」

自分のことをお姉さんと呼ぶが、どこからどう見ても女児と呼ぶにふさわしい見た目だ。それでも、この店の常連らしく、店主とは懇意にしているようだ。

「相手が亜鈴であっても人間もどき《ヒューマイム》であっても、見た目の賞賛は顰蹙を買いますよ」

「でも悪い気分はしないでしょう」

いたずらな微笑みをオレに向けると、自分用にブラントンのロックと、オレ用の辛い酒を頼んだ。

「ユーイチ君は、地獄蝶を知っているの」

藪から棒にヨウコが尋ねた。

軽快な音を立てているシェイカーをぼんやりとみていたオレは、たじろいだ。

なんて答えればよいのだろう。

「ああ、そんなに身構えないでよ。結構な噂は私も耳にしているし。酒のツマミとして聞いてよ。お客さんからさ。聞いたのだけれそど、地獄蝶、新しく鈴鳴を作成したらしいよ」

「鈴鳴ですか。亜鈴を雇ったのでもなく、人間もどき《ヒューマイム》を作成したのではなく」

「そう。地獄蝶って、完全に死んだ人間も元通りに戻せるって言うわさじゃない。人間もどき作成の応用で。亜鈴は何度も復元しなおしたらしいけど、亜鈴を鈴鳴にしたのだって。それを護衛に付けているとか」

怖いよね。と言って、カウンター椅子を一回転させた。女児の重さでは付けた勢いのまま二回転していた。注文がした酒を2つ、バーテンダーが差し出す。

「その話、半年前には話題になっていましたよ」

「げ、マジ」

「マジです」

ヨウコは差し出されたバーボンを一気に呷る。

「折角驚かせられるネタだと思ったんだけどな。イマイチか」

「ヨウコさん。どのようなお酒を頼んだんです」

「わからん。お任せで作ってもらったからね」

「グリーン・アラスカになります。薬草系で度数の高いものを希望されていたので」

口に入れると、喉を焼くような熱さの中にハーブの香りと苦みを感じる。オレが希望していたものとぴったりだった。

カウンターチェアーを回転させながら、ヨウコは噂話を思い出している。三回転したところで、思い出したのだろう。

「あ、じゃあさ。郷川が壊滅した話あったじゃない。警備局の連中が捜索したらしいけど犯人わからなかったってやつ」

「ありましたね」

「あれの犯人はカリナン第四位だって話」

話の行く先が見えない。酔いが回ってきたのかもしれない。

「カリナンって第一位から九位まであるじゃない。一位は有名な『地獄蝶 芹澤ひすい』じゃん。後は刀工のあの人とか製紙王のアレとか。その中の四番目『魂喰らい タチバナミナト』が自身の変身奏術の幅を広げるために、町中の亜鈴だの人間もどきを完食したっていうのは」

「大勢の方が犠牲になった事件をツマミにするのはマナー違反ですよ」

グラスを拭きながらバーテンダーは答えた。先ほどまで満席だったが次第に客も減っているらしい。夜も深まっているのだろう。

「面白いと思ったのだけど、だめか」

「ダメですよ。思考が躰の年齢に寄っていってしまっていますよ。この前来店されたときはまだ10代後半でしたよね」

「ハイティーンは結局エロしか需要無いからね。面白くないし、稼げないからやめた。時代はロリよ」

二人のやり取りをアルコールの回った頭で聞いていた。オレ自身も実年齢は未成年に該当するのだろう。しかし、ヨウコの言う地獄蝶、芹澤ひすいの手で改造されているから問題は無いだろう。そもそも、未成年のアルコール摂取は禁止など旧時代の法律に過ぎない。

「躰を頻繁に取り換えても一定の精神を保ち続けられているのだね。お姉さんはとても美味しそうな亜鈴だ」

振り向くと、ヨウコの反対側に経帷子のようにも、ローマ帝国のトガのようにも見える真っ白な衣を纏った青年が座っていた。服装の異常さもさることながら、オレはその眼に注意が向いてしまう。青年は一人で話し続ける。

「もしかしたら亜鈴ではなく鈴鳴なのかな。どちらでもいいや。それに君だよ。ブラントンの彼女も魅力的だが、君は特に異常だ。生まれつき咏回路が備わっていないところ、手術で移植されている。亜鈴でも人間もどきでもない。選ばれた存在の鈴鳴でもない。全てに中途半端だね。興味深いけど君は食べたくないなあ」

青年が発する言葉は脳を痺れさせる。聞いていてはいけないと分かっていても、眼をそらすこともできず、思考力も奪われる。成すすべなどなかった。

青年が再度言葉を紡ぐ時だった。グラスの割れる甲高い音が店内に響いた。

「奏術の行使は店内では禁止されていません。しかし、奏術を他の客に用いるのは言語道断。ましてや瑰玉に作用する魔眼の使用が許されるとお思いで」

ぼんやりとした意識が醒める。バーテンダーが自身の咏回路を既に起動させ、青年に熱湯を浴びせていた。オレも下げていた刀に手を掛ける。青年は全身から笑いをあふれさせていた。

「いい一撃だったよ。ボクはとても気分がいいな。気になる子とも出会えたしね。注文は何もできなかったけれど、この二人が飲んでいる分の代金と、割ってしまったグラス代はおいていくよ。運が良ければまた会おう。おやすみなさい」

それだけを残し、青年は店を出た。

「折角の気分が台無しだ。一体何者なのだろう」

「さあ。鈴鳴なのではないですか」

オレは努めて冷静に答えた。

「それだったらもっと話聞いてみたかったな。滅多にいないじゃない。どういう感じなのか気になっているからさ」

「鈴鳴も亜鈴も人間もどき《ヒューマイム》も、オレには同じに見えますよ」

「そんなものかな」

「そんなもんです」

ヨウコはまた回転を始めた。バーテンダーは割れたグラスを掃き集めているのを横目に、オレはお代を出して店を出た。

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