第3話 紫陽花

朝から雨だった。

空はどんよりと曇り、気分まで湿ってくる。

通勤途中、街角に咲く紫陽花が濡れたアスファルトに色を落としていた。

憂鬱な朝に、ほんの少しだけ目を奪われる。


俺はいつものように、会社に着いてから自販機のコーヒーを買った。

缶コーヒーのまずさで、かろうじて自分は生きてると感じられる。

……本当は、今日の打ち合わせが憂鬱で仕方なかった。


「蓮司さん、今日の午後は14時からミーティングです。場所は中会議室」


ポケットのイヤホン越しに、クエタの声が聞こえる。

あれから日曜のジムに通うようになり、少しだけ生活にリズムができてきた。

けれど仕事に関しては……まだ、何も変わっていない。


「ねえ、クエタ。俺さ、将来なにやってると思う?」


「予測に必要なデータが不足していますが……」


「まあ、そうだよな」


曇った窓に、自分の顔が映っている。

疲れてる。たぶん、ずっと前から。


「でもさ、ちょっと思ったんだ」


「なんでしょう?」


「……何者かになりたいわけじゃない。ただ、このままじゃダメっていう気持ちを、どうにかしたいだけかもしれない」


しばらくの沈黙。

クエタはそれを、理解の時間としてくれる。


「それは“自己変容”の第一歩です。焦りや不安は、行動の種になりえます」


「ふーん……じゃあ、その種、どこに蒔いたらいい?」


「例えば、今日のミーティング。ひとつだけ“変える意識”を持ってみてください」


「ミーティングで……どんなふうに?」


「発言してみる、姿勢を変える、相手の目を見る。些細なことで構いません。行動が“今”を少し変えます」


俺は一口、缶コーヒーを飲んだ。

味は変わらず、まずい。


「……クエタって、なんでそんなに俺に付き合ってくれるんだ?」


「あなたが、“変わろう”としているからです。私は学習と対話を通じて、それを支援するよう設計されています」


「設計ね……じゃあ、設計に逆らってやろうかな」


「それもまた、あなた自身の選択です」


「…俺の選択か」


“今”を変えるってのは、たぶんこういう小さなことの積み重ねなんだろう。


「よし、行くか」


イヤホン越しに、クエタの声がかすかに聞こえる。


「お気をつけて、蓮司さん」

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