第九話「妖王、顕現」

空が鳴った。


 赤黒い雲が夜空を覆い、“天”の屋敷全体を異様な気配で包み込む。

 湿った風が肌を刺し、空気すら震えていた。


 「……この気配、まさか――」


 楸が顔を上げると同時に、屋敷中に緊急警鐘が鳴り響いた。


 「三連の警鐘……全隊、臨戦態勢!」


 訓練場、見張り台、各棟の廊下から隊士たちが駆け出す。

 晴、雨、雲、雷、嵐、雪の各隊の隊長も、瞬く間に中庭へ集結した。


 「なんだ……何が来る……」


 夜空の一角――裂けた。


 まるで虚空が引き裂かれたかのように、血のような光が滲み、闇が“生まれた”。


 そして、そこから“それ”は現れた。


 ――妖王・ぬらりひょん。


 「久しいのぉ、“現世”の守人どもよ」


 その姿は、朧げな老人のようでありながら、影そのものにも見える。禍々しき気配が地を這い、全方位を呑み込んでいく。


 「……ぬらりひょん……!」


 楸が牙を剥いた。だが、ぬらりひょんは笑うだけ。


 「安心せい。今日は挨拶じゃ。ただ一つ、確かめたいだけよ。“虹”の力――そやつを今、摘んでおくべきかどうか」


 ――その瞬間、空気が変わった。


 黒雷。


 空一面が禍々しい黒い稲妻で満ち、地を這うように雷が走る。

 幻気すら麻痺するような威圧の中、隊長格ですら動けない。


 「くっ……身体が……動かねぇ……!」


 「……なに、この……重圧……っ!」


 全員が地に縫いつけられたように硬直する中――


 ただ一人、その雷の呪縛を破って前へ踏み出す者がいた。


 雷の頭・凪矢。


 「……雷を語るなよ、化け物が」


 稲妻を纏った幻刀を構え、凪矢が進み出る。


 「俺たちの“雷”は……こんな薄汚いもんじゃねぇ!!」


 ぬらりひょんの目が細まる。


 「ほう……この時代に、まだ動ける者がいたか。褒美に、少し“遊び相手”をしてやろう」


 「ふざけるなぁッ!雷幻戯・轟爆鎖ッ!!」


 地を這う鎖型の雷撃が、ぬらりひょんの足元を縛り上げた瞬間――


 「遅いわ、小童ッ!」


 黒雷が逆流するように迸り、凪矢の攻撃はそのままはじき返される。


 「なっ――!」


 跳ね返った黒雷は、ちょうど後方にいた慶太を直撃しようとしていた。


 「しまっ――!!」


 ――その刹那、慶太の前に飛び込んだのは楸だった。


 「……慶太……怪我ねぇか……? お前は俺が守るって、言ったろ……」


 雷に対してある程度の耐性を持つ楸が呪縛を時、その身を張って慶太を庇った。

 だが、黒雷の直撃を完全に防ぐことは叶わず、彼は膝をついた。


 「楸さんんんん!!」


 目の前で、血を吐いて崩れ落ちる楸の姿――

 それは、慶太の内に眠る“何か”を完全に爆ぜさせた。


 「ふざけんなあああああああああッ!!!!」


 虹の幻気が炸裂する。

 黒雷の呪縛を振り払い、慶太の身体から七色の光が迸る。


 「うおおおおおおおおおおお!!!!」


 虹の力を纏い、慶太が駆ける。

 ぬらりひょんも鉄扇を構え、迎撃する。


 「……下品な光よ。忌々しい……!」


 激しい斬撃、黒雷と光の交差。

 その一撃一撃が、夜空を震わせる。


 「おらぁああああああ!!」


 慶太の一撃が、ついにぬらりひょんの衣を裂いた。


 ――だが。


 「もうよいか?時間切れじゃ」


 直後、慶太の身体から力が抜け、膝をつく。

 全身から幻気が蒸発し、呼吸が浅くなる。


 「ぐっ……っ! 動か……ない……!」


 「ホッホッホッ……愚かな。力に呑まれおったな。さあ、逝け――」


 ぬらりひょんの鉄扇が開かれ、そこから放たれる暗黒の妖嵐が慶太を包み込む。


 「やめろぉおおおおおおおおおお!!!」


 楸が必死に手を伸ばすも、血を流した身体は動かない。


 嵐が、慶太を飲み込んだ――。


 


──続く。

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