甲子園球場に棲むノブ子

中田もな

2019/8/7 (水)

 灼熱の太陽がジリジリと、俺の頭を照りつける。これが真夏の甲子園。テレビで見るのとは大違いだ。

 そんなことを考えながら、俺はゆっくりと立ち上がる。そしてバットを手に持って、華麗にバッターサークルに……だったら、格好良かったけどな。


「四番、ショート、弥生くん」


 ウグイス嬢のアナウンスで、先輩がバッターボックスに入っていく。一方俺は、高校野球のレベルに早くも脱落しそうになっている一年で、当然の如くベンチ入りも果たせなかったので、応援席でメガホン片手に叫んでいると言うわけ。


 にしても、今日の応援は一段と気合が入っている。むさ苦しい男子高校生を集めたらこんなもんかもしれないが、人数以上の声量だ(ただし、声出しは攻撃時のみしか認められていないので、守備の時は打って変わって静かになる)。こんだけ声が出せるなら普段からそうしとけよ、とか何とか思っていると。


 カキーンと一つ、鮮やかな特大アーチが弧を描く。レフトの頭を悠々飛び越え、外野席に突き刺さった。

 入った。弥生先輩のホームランだ。


 途端にうぉぉと盛り上がる歓声。後方からも音が飛んできて、いつも以上にうるさい。結局この打点が決め手となり、俺の高校は念願の初戦突破(そもそも甲子園自体が初出場だが)を果たしたのだった。


 ホテルに戻った後も、勝利の熱は冷めなかった。初戦で帰り支度だろと言っていた連中も、興奮冷めやらぬと言った感じで、くだらない話に勤しんでいる。


「てかさ、相手高のチア、めっちゃ可愛くなかったか?」

「マジで? 写真ある?」


 おいおい盗撮するなよと思いつつ、そう言えば俺のスマホがさっきからない気がする。

 ポケットにもない。カバンにもない。当然、部屋にも置いてない。

 あ、まさか。応援席に忘れてきたか? ホームランで立ち上がった時にシートに落としたのかもな……。


 ……いや、冷静になってる場合か! スマホ紛失は死活問題だぞ!

 俺は居ても立ってもいられず、点呼が終わったタイミングを見計らって、甲子園球場に取りに帰った。バレないように、こっそりと。


 昼間の熱狂とは打って変わって、球場は静まり返っている。コツコツと床を踏むと、遮断する雑音がなく、そのままダイレクトに跳ね返ってくる。まぁ、人が居ないんだから当然なんだが……。


 ……そう思った矢先、どこからか女の声が聞こえてくる。咄嗟の防衛反応で、俺の心臓は縮み上がった。

 耳を澄ますと応援歌だろうか、フレーフレーだのかっ飛ばせーだの聞こえてくる。


 ……いや、俺の耳がおかしくなければの話だが。思わず心霊的なものを想像して、小さく身震いしてしまう。


 まさかな、どっかの高校が練習でもしてるんだろ。俺は心に言い聞かせつつ、しかし不気味なことには変わりないので、さっさとスマホを回収して宿舎に戻ろう。そう思いながら──。


 ──階段を上り切った俺の動線上に、にゅっと女が現れた。


「うわぁぁぁぁぁ!!」

「きゃぁぁぁぁぁ!!」


 互いにこんな至近距離にいると思わなくて、ものの見事に尻餅をつく。俺はあと少しで、階段から転げ落ちるところだった。


「な、何なんすか、あんた!?」

「それはこっちのセリフよ!!」


 改めて見ると、目の前でプンプン腹を立てる女は、ひどく時代錯誤な格好だ。いかにも昭和感万歳のセーラー服に、いつの時代ですかって感じの大きなリボン。髪型だって、耳の辺りでグルグルと巻いた古臭い……。


「失礼ね! これはラジオ巻きって言うのよ!」


 しまった。心の声が漏れていた。


「大体、何よ! こんなプリティーな乙女を老人扱いして! 私はただ、最近の応援歌を練習していただけなんだから!」


 そう言いつつも、「全く、最近の若者が聴いてる曲は、中身が無くて全然ダメね!」と早くも老害ムーブをかましている女を前に、俺は冷や汗ダラダラだった。


「てかそもそも、こんな夜中に一人で練習とか、どこ高の人っすか!?」

「どこ高でもないわよ。私ね、野球場の『概念』なの」


 はい? 概念? 予想もしなかった答えが返ってきて、俺の脳はフリーズする。

だが女は知ったこっちゃない感じで、俺を無視してペチャクチャ喋り始めた。


「ほら、みんなが『フレーフレー』って応援するでしょ? 私はその音を大きくすることが出来るの。それこそ、二倍にも三倍にもなるんだから」


 長嶋茂雄が天覧試合で本塁打を打てたのも私の応援のお陰だし、イチローがメジャーに行けたのも私の美声のお陰なのよ! ……と、女はあたかも自分の功績のように話した。


「あなた達だって、応援が大きくなったら嬉しいでしょ? だからこれっぽっちも害じゃないし、むしろWin-Winよ」


 自慢げに胸を反らす女。はいはい、そうですか……とはならないだろ。


「でもさ、あんたが……」

「あんたじゃない! ノブ子!」

「……ノブ子さんが人間じゃないっていう証拠はあるんすか?」


 俺の疑いの眼差しが気に入らないのか、ノブ子はふんと鼻を鳴らす。ホント人間って、証明しろだの、証拠を出せだの五月蝿いわよね、と垂れ流しながら。


「まぁ、いいわ。私が普段、どうやって応援してるか見せてあげる」


 言うや否や、ノブ子は大きく息を吸い込む。その瞬間、ポポポッとコミカルな音を立てながら、何十人にも分裂した。


「どう? こうやって分身を作って、応援席中に散らばるの」


 気持ち悪……、いや、凄いっすね。俺は本心を呑み込んで愛想笑い。

 そんな俺を横目に、ノブ子は楽しそうにケラケラと笑った。


「あー、こういうのって、本当に久々! 晴彦さんが最初で最後だと思ってたわ」

「晴彦さん?」

「私を最初に見つけてくれた人よ。怪異だ怪異だって騒がれていた私に、ノブ子っていう名前もつけてくれたんだから」


 まぁ、戦争で死んじゃったんだけどね。ノブ子はポツリと呟いた。


「正確には、死んだかどうかは分からないけど。でもね、晴彦さんは死にでもしなけりゃ、必ずグラウンドに戻ってくるわよ」


 急にしんみりした雰囲気になり、俺は何を言おうか考えあぐねる。が、それも束の間、ノブ子の大きなため息でぶち壊された。


「でもねぇ……。私を見える人間がいたことは嬉しいけど、こんなベンチ入りもできないヤツなんてねぇ……。晴彦さんとは雲泥の差だわ」


 あーあ、せめてレギュラー選手が良かったわ、とブツクサ文句を言うノブ子に、俺は思わずカチンと来た。


「俺、まだ一年ですから! 全然、これからですから!」

「はいはい、まぁせいぜい、頑張ってちょうだい」


 くそ、次の二回戦も絶対勝つぞ! ……と俺は心に固く誓った。

 まぁ、頑張るのは先輩達だけど。

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