ノンフィクション
@nonoharupapa
王様の時間
もう20年も昔、僕はお風呂で本を読むことを「王様の時間」と呼んでいた。
東京の西、国分寺で一人暮らしをしていた頃だ。
この頃はお金がなかった。
絶望的にお金がない。
電気、水道、ガス全て滞納していて、いつ止められるかもわからなかった。
今日何か食べねば死ぬ、と本気で思ったことが何度もあった。
そんな中でも中古本を買っては、ただひたすらに本を読み、タバコを吸っていたから、これから良くなる気配や兆しも何一つなかった。
※※※
国分寺の冬は、部屋の中にいても吐く息が白くなるほど寒かった。
唯一の暖房器具であるコタツは、人が座れるほどのスペースもなくゴミで埋まっていた。
カップ麺やら空き缶やら、脱いだ服やらが床一面に広がり、もはやそっちがこの部屋の主人で、僕の方が居候しているみたいに暮らしていた。
寒いがお金はない、となれば、これはもうお風呂に入るしかない。
僕は本を持って立ち上がり、いくつかのゴミを跨ぎながらお風呂に入っては本を読んだ。
※※※
温かなお風呂の中での読書は、控えめに言って最高だった。
汚い部屋も請求書も何もかもが消え失せ、僕の前には広大な宇宙や神秘的な景色、人生に苦悩している主人公たちしか存在しなかった。
本の良いところは、別の本を開ければ、そこには別の世界が広がっていることだ。
一つの小説に飽きると別の小説を読んだ。
僕の思うまま、色々な世界に行くことができた。
そうして何時間も、お湯が冷めてしまって、もうそこにいられなくなるまで本を読んだ。
僕はそれを「王様の時間」と呼んだ。
※※※
どんな王様だっていつか倒される時は来る。
僕の場合は東京ガスだった。
ある日帰ってみると、温かいお湯は出なくなっていた。
東京ガスによって元栓を締められた時、僕の王国は儚くも崩れ去ったのだった。
今となって思う。
あの時の幸せな時間はもう二度とやってこない。
ギリギリの生活の中で得られる小さな幸せこそ、本当の幸せだった。
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