第3話 長い夢の中で①

「師匠、どこに行っちゃったの?もうずっと帰ってこないよ。」

 

 リルは、肩まで伸びる薄茶色の髪の先を揺らし、光の中を走り回っていた。

 リルの横には、いつものように、相棒の犬、ケリがついていた。


(もしかすると、リルに黙って下界に降りたのだろうか)

 

 ここ天上の世界と下界は、時間の流れが違う。天上界の七日間は、下界の十年にもなる。ここ、十日ほど師匠の姿が見えない。もし下界に降りていたら、すでに下で十数年は時を費やしているはずだ。

 

 彼は、少し前にこう言っていた。


「下(下界)で確認しなければならない事がある」

 

 そして、こうも言っていた。

「このままだと、人間の力が弱まり操られてしまう」

 

 リルのことを育ててくれている師匠は、この世界の有名な教師で、背は高く、若いのに白髪交じりの頭をしており、その髪の間からこちらを見据えるグレーの瞳はひどくまっすぐで、そして鋭く美しかった。師匠は、リルのことも厳しくしつけた。リルはかなり強気に育った。そのおかげで、なぜかリルを馬鹿にし、ちょっかいをかけてくる悪ガキ三人組といつもけんかをしていた。


 ここ天上の世界は広く果てがないらしい。しかしどこまでいけるかというのは試したくても禁止されているためにほとんど先まで進めずに、ごく狭いエリアでおなじみの顔ぶれと接していた。


 宇宙にはいくつかの太陽系が存在し、そしていくつかの、人々や生き物が住む星があるらしい。そして、今の段階で縁のある星の近くのエリアで天界の人々は管理されている。

 

 ここのエリアは噂によると、天界の問題児を集めたエリアらしい。よって、学校などで日々集中的に情操の教育がなされている。

 授業中は、皆あまり真面目に聞いていない。けらけらと笑いながら話をしている者、両足を机の上に上げて顔にタオルをのせて眠る者。急に、生徒同士でけんかが勃発することもしばしばだった。


 先生の行う授業は、比較的簡単なものだった。文字の練習や、何か物語を読み、それについて意見を出し合うというような道徳的なこと、そして生活に関することを学ぶものが多かった。

 何かちゃかすようなこと、ひどい悪ふざけなどを目や耳にすると、師匠はよくスリッパを飛ばし投げつけていた。リルも、ノートの端にお絵描きをしている時に、師匠の足の匂いのするスリッパが顔面に飛んできたことがある。

 

 ちなみに、リルがここにいる理由ははっきりとは知らない。

 師匠いわく、リルは身体を動かすことは好きなものの、少々人よりも努力が足りずにおっとりとしすぎているらしい。

 信頼に足る人物にするために忍耐力をつけるということが当面の目標だということを、以前直接師匠本人から言われたことがある。また、何をするかわからない面がある為に、内面に規律と常識を身につけさせたいとのことだった。

 

 リルの魂の血筋は優秀であるがゆえに課題が多い。リルは自然が好きであり、魂の血筋の課題も自然に関することだそうだ。そしてその中の異端児でおちこぼれのリルは、なにかと困難を抱えやすい。それを案じて、師匠は「わたしがお前を見る」と言い、日々鍛えてくれている。



「おい、お前。いつも俺たちに対して偉そうにしているな。奴の愛弟子だからって容赦しないからな」

「あんたたちこそ三人連れだって来ないと女一人に何も言えないの?ばっかみたい」

「なんだと?」

 

 リルは、「べー」と舌を出しながら走って逃げる。逃げ足には自信があった。しかしながら、相手は男の子。全力疾走するが、やはり追いつかれそうになる。そんなときには、ひとつエリアの先の世界との間に存在するすりガラスのような壁を一人通り抜けて身を隠してしまう。ここをあの子たちは通り抜けられないことを知っている。

 

 師匠には、この壁の向こうには決して行ってはならないと、きつく言われていた。でないと、何らかの方法によってこの光の世界からすぐにはじかれると。

 しかし聞き分けの悪いリルは、以前からこの壁と格闘し、壁を通過する方法を数か月前くらいにやっと会得した。

 息を止めて、目をつぶり、意識を集中した後に気配を消す。この状態で壁に向かっていくとある時ふっと通り抜けられた。

 

 身を隠したいときにこの壁をすり抜けて、反対の壁際から普段生活しているエリアの様子をうかがう。あちらからリルの姿は見えないが、こちらからはあの三人の様子はなぜか見えた。



「うそだろ、またいなくなった。あいつの正体はおばけか?」

「くそっ。ここから先には行けねえ」

 

 一番背の高い男がすりガラスのようにも見える壁を蹴っている。


「いてえ」

「もう帰りやしょうぜ」

「ああ。くっそ、見ていろよ、あいつ」

「あいつ、なんであんなに姿を消すのが上手いんだ?」

「いらいらするぜ」

 

 口々に言いながらあきらめて彼らは撤退していく。

 リルは、笑いをこらえるのが大変だった。

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