白い花(動物たちへのレクイエム)

蒼衣

第1話 出会いの丘で

空が高く、風も強いのにそれが頬に当たるとなぜか安心する。そんな夏の晴れた日の昼下がりに、リルは、丸い顔に両手を当ててぐわんぐわんと泣いた。


 リルはこの間八歳になったばかりだ。母カーナに頼まれ、今から外に水を汲みに行こうとしていたところだった。空の水桶を両手で抱え、林の横をまっすぐ歩いていた。そこへ急に、柄の悪い男の子たちが行く手の前に立ちふさがってきた。


 木の棒などを持った、いくらか年上の男たち四人がリルの周りをとり囲んだ。彼らはリルに向かって、次々と暴言を吐いている。


「おおい、今日ものん気に水汲みか?」

「お前みたいなばか、目障りなんだよ」

 

 細身で金髪カール頭の男が、白い顔でつばを吐く。


「ちがうもん、リル、ばかじゃないもん」

「何、お前、自覚ないの?かわいそ。お前みたいなの、そのままじゃ生きてなんかいけねえぞ?」


 お腹がでっぷりとし、伸びきった白シャツを着た茶髪の刈り上げ頭の男が、大げさなことをのたまう。こいつがこの中の大将だ。


「そんなことない。リル、あんたたちよりもずっとずっと強いもん」

「はああ?頭が抜けているんじゃねえの?俺たちがせっかくお前を見かねて鍛えてやっているのに、見下してやがんだろこいつ」

「うわあ。ちょっとこんなんじゃ全然教育が足りてないってことだろ。もうちょっとまともにしてやらないと」

 

 小柄で地味な黒髪の双子の男たちが、口々に恐ろしいことを言っている。リルは、少しだけ身震いをした。


 ここ、ババという小さな国は、星ラバラチュエルの北半球で一番大きな大陸、シルビア大陸の西南に位置する半島にある。

 

 ババは、比較的温暖で、四季のある国だ。一つの小さな町と村と、城で成り立っている。町には、食べ物屋や、装飾ものを売るお店、教会、学校などがあり、にぎやかだ。村には、川や森や、丘や、海の見える崖などがあり、花もたくさん咲いている。人の数はそんなに多くはないが、そんな、自然豊かな国でリルは育った。

 

 本当だったら、もっと日々静かに平穏に暮らせるはずなのに。町の方に住む年上の悪ガキ達に目をつけられて、リルは日々いじめにあっていた。まだちびだけれど、こんなことに負けていたくはない。リルは、キッと悪ガキ達をにらみつけた。


「ふ。なんだ、その生意気な目は。みんな、やっちまえ」


 リルは、お腹が膨らんだ茶髪の刈り上げ男が振り上げた木の棒に目を見開いて、とっさに両手でその棒を受け止めた。手がじんじんする。男がにやりと笑った。


「おやめなさいっ」


 鋭い女の子の声がした。どこか聞き覚えのある声だった。その声の主を確かめようと、リルはおそるおそる視線を動かした。

 

 見上げた先にいたのは、この国の王女ヨアだった。

 肩まで伸びる、癖のある金髪を青いリボンで二つに縛っていた。


(うそだ。なぜ、わたしを助けるの)

 

 ふと両手が熱くなったように感じて、リルは、自身の手のひらに視線を落とした。


「その子を放しなさい。さもないと、お父様に言いつけます」


 すぐ近くまでヨアが歩み寄ってきた。身長がリルより少し高いくらいのヨアの目の色に見入ってしまう。青なのか、藍なのか、緑なのか、なんとも言い表せない色をしていた。きっとそんなに強くもないのに、水色の短めのドレスを着たヨアは姿勢をピシッと伸ばし、大きく丸いその目をさらに見開いて男たちをいさめている。

 

 男の子たちはしばし止まった後、慌てているように見える。


「え、これ、ちょっとやばいんじゃねえの?」

「あ、ああ」

「ヨア様、誤解しないでください。これには、理由があって…。うまく説明できないのですが」

「こいつが馬鹿なんで、ちょっと俺たちで他ではできない特別な教育をしていたところなんですよ」

「そうそう、そうなんです。わかってください」

「おだまりなさい!覚えておきなさい。今日のことは必ずお父様に言いつけますから」


  まだ幼いながらも将来を想像しうるようなその美しい顔と権力に対してうろたえる男たちを尻目に、ヨアはリルに右手を差し伸べてきた。


「一緒にいこ」


 そのまだ小さい手を握り返すと、その内側から発する力は驚くほど強かった。お互いの熱が合わさり、握っている手の中はひどく熱かった。


 リルは動揺し、現在の出来事と頭の中の思考を同時に進めることができなかった。体にはうまく力が入らない。ただ、いくらか年上であるはずのヨアに頼って足を必死に動かした。



 二人で息を切らしながらある丘の上にたどり着いた。この島国で一番景色がきれいな崖のある丘の上だった。見渡すと、青い大海が広がっている。


「ここまで来ればもう大丈夫でしょ」


 肩を上下させながらも、ヨアはリルの方へ笑顔を向けた。全身で呼吸をするような苦しさの中で、その笑顔にリルは釘付けになった。綺麗で、子供のものとは思えないようなあでやかな笑顔だった。


(どうしてだろう。どうしてここまで、大人っぽいのだろう)


 噴き出す汗が、潮風で冷やされていくのを感じながら、自分の中の理屈に沿わないような感情にさらに息苦しさを覚えた。


 ヨアに向かって今にも崩れそうな笑顔を向けようとしたその時だった。ヨアの背後に大きな影が、覆いかぶさろうとしているのが見えた。リルはヨアを突き飛ばした。


「なにっ?」


  ヨアの声に対してリルは、のどがつまったように苦しく声が出ない。なんとか伝えようと指をさす。さっきの男のうちの一人がリル達の居場所を突き止めてここまで追ってきていた。


「ヨア様よ。わかってくれよ。言ってもらっちゃ困るんですよ」


 むくっと、起き上がったその大将は、ふつふつと煮えたぎったような目で両手を鎌のようにして近づいてくる。正気を失っているらしい。


「やめて。近づかないで」


 リルとヨアは二人で手をつないで逃げた。


「簡単には逃がさねえぜ」


 大将に追いつめられた崖の傍で抱き合って、じりじりと後ずさりをした。

 その時だった。そのまま体が傾きそうになり、息を吸い込んだ。青い空がゆっくりと傾いた。小さな白い雲が二つ見えた。


 リルは、急に体に暖かさを感じた。誰かが腕で体を引っ張ってくれている。二人は、草の上に転がった。無事だった。倒れたまま目をひらくと、そこには緑色の瞳が印象的な茶髪の男の子が立っていた。


(だれ?)


「お前はだれだ?」


 リルの代わりに、大将が眉にしわを寄せながら聞いた。


「僕の名前はロイだ。猟師キリウスの息子だ」


  茶髪に緑色の瞳の背の高いその男の子は、胸を張って明るい声を空に響かせた。


「は?たかが猟師の息子が、偉そうにしてんじゃねえ」

「なにおう?父さんを、今僕の父さんを馬鹿にしたな?」


 ロイという男の子の包む空気が変わった。


「お前ごときの分際で、父さんを馬鹿にしたらどうなるか教えてやる!」


  言い終わる前に、ロイは、倍くらいの大きさの体に向かって突進した。そのまま格闘していたが、不利なはずのロイの方が相手を圧倒していた。そして、そのことを相手も理解していた。大将の顔色が、だんだんと青くなっていた。リルは、心のなかで(よし)と手を握りしめていた。        


 ヨアの方を見ると、ロイを見つめる目がきらきらと輝いていた。それを見ると急に言葉にならない感情が心のまっくらの中からぐらぐらと湧き上がってきた。そして、そこから熱すぎる湯気が立ち上ってきた。しかし、リルはそれが何なのかをそのときには理解できなかった。


 次の瞬間ヨアが切り裂くような高い声をあげた。一瞬うつむいていたリルは顔を上げて事態におののいた。一体どこに隠していたのだろう。大将はナイフを持ってそれをかざし、ロイの方へと容赦なく振り下ろそうとしていたのだ。切っ先が太陽の光を反射した。リルが走り出そうとしたその時だった。


「何をしている」


 大人の低い大きな声がその場に響いた。


「うわ、やべえ」


 大将の少年は腰を抜かして、右手に握りしめていたナイフを近くに落とした。身なりから城の使いと見えるその男の人は、つかつかと歩いてきてそれを拾い、そして怒鳴った。


「なんだ、このナイフは。一体うちのヨア様の前で何をしようとしていた」

「い、いや、なんでもないんです。す、すみません、僕、帰ります」


結局、騒動を聞きつけたその城の使いの人のおかげで、事はおさまった。

 ヨアは、使いの人にうながされたがそのまま城には帰らなかった。それはロイもだし、リルもであった。少しのとまどいを感じながらその胸のたかなりにひっぱられるようにして三人で丘の上に座って崖のずっと向こうの大きな夕日を黙って見ていた。


 空は、水色から紫、黄色、赤色を薄く濃く重ね、高く大きく広がっていた。夕日に染まる海のさざ波の音が心地よかった。海の向こうに、秋が小さく見える気がした。 リルは、大きく呼吸をした。


 ふいにロイが立ち上がり、こちらへ勢いよく振り向いた。


「遅くなってごめん。自己紹介まだだったよね」


 リルはどきりとする。ヨアも見たところ同じ反応だ。


「僕の名前はロイ。父さんは、猟師なんだ」

「お父さんのことが大好きなのね」


  リルが先に質問をしようと思ったのだが、ヨアに速さで負けた。


「うん。父さんは最高の男だよ。僕の誇りさ」


 リルは、その輝くような瞳をじっと見つめていた。


「うん」


 ヨアは、それだけ言ってやさしい顔でロイを見ていた。

それを見て、リルは口を開いた。


「わたしの名前はリル。村で一番小さい家のところの」

「知っているわ」

「え、どうして?」


 リルは、頭を通過せずにゆるんだ口元から疑問がこぼれる。


「だって、興味があったもの」


  だからどうして。こんなちびのわたしを?家が小さいからだろうか。そう思いながら、それ以上は聞くに聞けなかった。


「わたしのことを話していい?」

「お前の方こそよく知っているよ。王女のヨア様だろ」


  ロイは、さっきまでより少し暗い目でヨアを見ている。


「ええ」

「お金持ちでいいな」


  ロイの冷たい声の響きに動揺したように、にっこりと笑っていたはずのヨアは、目を見開いたまま動かなくなった。


  ヨアは少しがっかりしたように、もう一度笑顔を見せてからうつむいた。それを見たロイは、話を切り替えるように、また夕日の方へと視線を移した。


「見ろよ。あの夕日。きれいだな」



  その赤は、オレンジよりではなく、濃い赤色だった。


  リルは、何か方法を知っているわけではないが、ふと村で流行りの占いがしたくなり、だまってこの三人の未来をその夕日のなかに見ようとしていた。

 視線で輪郭をなぞってみたり、中心を見つめたり、全体の色模様を確認したりした。どこかに何か答えが書いてあるような気がしたのだ。でも、そこにはっきりとした未来が見えるまで見続けてもかたちが見えてこない。なにかが不安で、今度はその「なにか」を夕日の深い赤色の中に探そうとしていた。沈みかけるころには、側にいる二人がこれからとても大切になるということだけは、その夕日の光のどこかに見えた気がした。


 二人の話から、ロイは年齢が一つ上、ヨアは二つ上だということがわかった。


 ふと二人のほうに目を向けると、不思議なことにヨアとロイは並んで、同じ、年に似合わない大人のような表情をしていた。リルはそこに、ずっと先の三人の姿が重なるのを見たような気がした。


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