「稔くん、女の子を叩いたらダメだよ」

 眩い夏の日差しを受けながら、キラキラと光る砂埃が舞う園庭で、ノリコセンセイが厳しい口調で僕に言う。

「稔くんは男の子でしょ?男の子は女の子を守って上げなくちゃダメなんだよ。」

 菰田が通っていた幼稚園の保母である前橋まえはし紀子のりこが、大げさに泣いているマユミちゃんをあやしながら言った。

「でも……マユミちゃんは僕の事をチビって言ったんだ。」

 センセイのエプロンに付いた茶色い染みを睨みながら、僕は不当に批判された憤りと深い悲しみに打ちのめされ、次の句を継げずにいた。

「確かにマユミちゃんもヒドい事を言ったけど、暴力を振るった方がもっとヒドいでしょ?」

 生ぬるい風がセンセイの髪を静かに撫でながら通り過ぎていく。砂場の周りで子供達が笑い声を上げている。

 赤いすべり台の上から友達を呼ぶ声、スコップで砂場をほじくり返すッという軽やかな音が耳に届く。 

 さっきまで泣き喚いていたマユミちゃんが、ノリコセンセイに甘えているのが腹立たしかったが、そんな事をセンセイに言って嫌われるのはゼッタイに嫌だ。

「マユミちゃん、叩いてごめんね」

 努めて紳士的に謝罪したにも関わらず、センセイの胸に顔を埋めていたマユミちゃんが、こっそり僕に向かって舌を出した。


 僕が謝罪した事でノリコセンセイも満足した様で、いじめっ子のタカヨシくんに泣かされた子の方に駆けていった。

 忌々しいマユミちゃんが、また僕を口汚く罵ってくるが、僕はセンセイを目で追うのに忙しかった。

 センセイはタカヨシくんに泣かされた子を

抱き上げ、泣いている顔を切れ長の目で覗き込んでいた。長い髪はシニヨンに結われ、項の生え際から溢れた髪が風に揺れる。ジム・モリソンが描かれた派手な黄色のTシャツと、肉付きのいい体型を隠す様に、緩く掛けられた白いエプロンのコントラストが鮮やかに映る。

 ノリコセンセイが他の子に優しく微笑んでいるのを見ると、僕が笑いかけられた様なときめきと、暗い嫉妬を感じる。泣き止んだ子が腕から離れ走り去っていくと、センセイはその場でぼんやりと空を眺め、どことなく悲しい表情を浮かべた。

 センセイを呼ぶ声にすぐに気づき、子供たちの面倒を見に行くと、いつも通り優しい笑顔に戻っていた。



 ノリコセンセイは僕の初恋だったんだ。

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