第13話 見合い
7月の第三週が果歩の市役所の試験だった。
6月の頭に、果歩を始めて森林浴に連れ出し、中旬には昔のみんなで集まることを口実に、果歩を食事に連れ出したが、それ以降は果歩の試験に集中したいという意志を尊重して、果歩に連絡するのは避けていた。
試験が終わったら遊びに行こう、というLINEを最後に、翔は果歩に連絡をしていなかった。
「は? 見合い?」
夕食の席で、父親が出し抜けに言い出した。
「そうだ、お前もいい年なんだから、そろそろ真剣に考えろ」
後継や結婚の話はこれまで幾度かされていたが、具体的に見合いをしろと言われたのは始めてだった。
「はぁ? 何言ってんの? どうせワイナリーに有利になるような話押し付けようとしてんだろ」
「当たり前だろ。お前が独り身なのが悪いんだ」
「俺、見合いなんてしないよ。大体嫁さんくらい自分で選べるし」
ムキになっているのか、どんどん声が大きくなる。
「果歩ちゃんね?」
母親が父親にワインを注ぎながら、助け舟を出してくれた。果歩に定期的に会っていることは母親には話していた。その度、家に連れて来なさいと言われていたが、果歩の試験を理由に断っていた。
「果歩ちゃん? 一ノ瀬さんとこの子か? 帰ってきてるのか?」
「市役所で臨時してるよ。つーわけだから俺見合いはしないよ」
「もうプロポーズはしたの? 果歩ちゃん、可愛いんだから、うかうかしてたら市役所の人に取られちゃうわよ」
母親が横から畳み掛ける。
「それならとっとと連れてこい。一ノ瀬さんにだって申し訳ないだろう」
だから、そういう段階じゃないんだって。
翔は舌打ちしたいような気持ちだった。
果歩の試験が終わり、翌日の夜にすぐLINEで連絡をした。
『試験お疲れ様。余裕だったろ?』
『まあまあかな。余裕ではないけど』
『今週の土曜、暇だろ?』
『今週?』
『前も言ったけど、うちの母親が会いたがってんだからいっぺん来いよ』
『いや、それはちょっと…』
『昔はしょっちゅう来てたじゃん。試験も終わったことだし、遊びにこいよ。ちょっと話くらいいいだろう』
『でも次の土曜は市役所のイベントで出勤なんだよ』
『はぁ? お前臨時なのに休日出勤なんてあんの? マジで言ってんの?』
『無理矢理じゃないよ。人が足りないから手伝ってもいいって返事しただけ』
『じゃあ日曜だな。日曜、昼間に来いよ』
『約束だぞ! 母さんも待ってるんだからな』
そこで翔はLINEを切った。
強行突破してるのは分かっているが、こちらも父親からプレッシャーをかけられている。あの父親のことだから、無理矢理にでも見合いの日程を組まれかねない。
父親だけでなく、古参の従業員や取引先の人たちからも三十前に途端に結婚について聞かれることが多くなった。取引先の娘との縁談をさりげなく勧められることもある。
ここは母親を早く味方につけないと。
本当ならもっと時間をかけて果歩の気持ちに寄り添うべきなのだろう。
子供の頃から俺のことを苦手に思っていた。あれだけいじめたのだから無理もない。あいつの苦手意識を払拭して、大人になって変わった自分を見せて、少しでも俺に好意を持ってもらわなくては。
果歩の筆記試験も終わったことだし、そろそろ本気を入れて果歩を落としにかからなくてはならない。
欲しいものは取らないと。
子供の頃からそうだった。俺はここのワイナリーの跡取りだ。
あいつと二人ならきっと頑張れる。これからワイナリーはどんどん大きくなるはずだった。
見合いで合わされた女と結婚している場合ではないのだ。
「果歩ちゃん! お久しぶりねぇ〜」
翔に押し切られて、試験が終わった次の週の日曜日、果歩は翔の家を訪れていた。
「お久しぶりです」
果歩は母親に待たされたお菓子を、翔の母親に渡した。翔に無理やり来るように言われ、果歩は結局誘いを断らなかった。
いつもそうなのだ。翔の強引さにいつまで経っても勝てない。言動は優しくなったと言っても、こういうところは相変わらずだった。
「すっかり綺麗になって! 上がって上がって」
翔の母親は応接間でティーセットを出して、翔と果歩と三人で談笑となった。子供の頃、果歩の怪我を手当てしてくれたお手伝いのマサさんも、果歩の顔を見て嬉しそうだった。
「本当に果歩ちゃんが、うちの子と上手くいってるみたいで嬉しいわぁ」
翔の母親に言われて、果歩はどんな顔をしたらいいのか分からない。翔は果歩のことを何と言ってるのだろう。もしかして、翔の母親は、翔と自分が近々結婚すると思ってるのだろうか。
「母さん、余計なこと言わなくていいから」
翔が呆れた声で嗜めたので、果歩はちょっと安心した。
息子に嗜められると、翔の母親は、果歩の仕事の話や、街で話題のネイルサロンやカフェの話などをした。今度一緒に行きましょう、といかにも若者の果歩と話すのが楽しそうで、はしゃいでいた。
「果歩ちゃん、市役所にお勤めなんでしょう? 翔も早くしないと市役所の男性職員に取られちゃうわよ」
果歩は困った顔をした。
「税務課にいるんです」
果歩が話題をずらして答えた。
「果歩って、東京で出版社にいたんだろ? 役所なんかやめてうちでワイナリーの広報すればいいじゃん」
翔が横から言うと、翔の母親も
「そうねぇ。うちで働いてもらえたら、仕事も調整しやすいし、子供ができてもお休み取りやすいわねぇ」
と嬉しそうだ。
「あの、おばさん、」
と果歩が翔の母親の言葉を遮ろうとすると、
「あんまり果歩にプレッシャーかけるなよ」
隣で大人しく聞いていた果歩の顔を覗き込んで翔が言った。いつもするような、どこか挑むような顔でニッと笑っている。その表情に果歩は意味なく緊張した。
「果歩ちゃん、焦らすわけじゃないけど、できるだけ早めにね。あっ! こういうのも言っちゃいけないわよね!」
翔の母親は先走った言動に自分で突っ込んでいた。
せっかく果歩を家に呼んだのだから、何か決定的な話をしようと、翔は意気込んでいたが、結果母親とお手伝いのマサさんが夕方まで解放してくれず、大した話もできないまま、家で食事をとる予定だと出てきた果歩を家まで送ることになった。
帰りの車の中で、これでひとつ義理を果たしたような顔をした果歩を、釈然とした気持ちのまま乗せて、翔はさらにたたみかける。
「果歩、今日は来てくれてありがとな。母さんも果歩に会いたくてしつこかったから、助かったよ」
「全然。久しぶりに話せて私も楽しかった」
言葉とは裏腹にいつまで経っても、自分との間にある壁を取り払わない果歩を無性に好ましいと思う。この臆病で慎重な態度。なかなか他人に打ち解けない思慮深い控えめなところが、昔から気に入っていた。さらに、無駄口を叩かず、人の噂話にも加担しない注意深さや、男性だけでなく女性でもことさら交友関係を厳選して、羽目を外したりしない頭の良さを、翔は信頼していた。
他人との境界線をしっかり引くからこそ、その内側に入ってしまえば、果歩は絶対に裏切らないという確信があった。子供の頃は自分たちは同じ輪の中にいた気がする。大人になり、疎遠になるに連れ、その輪をそっと動かし、気づいたときにはすっかり輪の中から弾き出されてしまった、という感覚が翔にはあった。
だったらもう一度その輪の中に入るまでだ。俺たちはもともと同じところにいたのだから、できないはずがない。
果歩が少し戸惑って、でも意を決したように、でも、と続けた。
「おばさん、誤解してないかな」
「誤解って?」
果歩は言いにくそうにしている。
「なんか、その、私たちのこと」
「何だよ、はっきり言えよ」
「その、おばさん、私たちが付き合ってるって思ってるっていうか…」
ここまできて、果歩は自分で自爆してしまったような、しまった、というような顔をした。
翔はこのチャンスを見逃さなかった。ずっと果歩は翔に決定的なことを言わせないようにしてきていて、翔もそれを感じていたからこそ、果歩の心理的な負担を考えて今まで言わなかったが、ここでこの話題を出してる以上、詰めるしかないと思った。それだけでも、今日果歩を家に呼んだ収穫はあったわけだ。翔は獲物を捕まえた動物のような目をして前を向いたまま、今しかない、と腹をくくった。
「果歩、お前、この状況どう思ってる?」
「え?」
「この前、ハイキング行っただろ。あれ、楽しかったよな。その後、こうやって家に呼んだり。こういうのどう思ってる? 迷惑か?」
「……」
果歩は前を向いたまま、答えられない。
ちょうど車が果歩の家の前に着く。
静かにパーキングにギアを入れて、ハンドルに身をかがめるようにして、ひとつ大きな息をすると翔はずばり聞いた。
「お前、誰か付き合ってるやつ、いるのか?」
翔は果歩の顔を見据えていう。こいつのことなら手に取るようにわかる。果歩は嘘をつかない。いや、つけないのだ。
果歩はゆっくりと首を振った。それを確認して翔はさらに語気を強める。
「だったら俺とちゃんと付き合ってくれ。この前、俺と出かけたとき、嫌だったか?」
「そんなこと…」
「俺は子供の頃、お前に意地悪ばっかりしてたけど、もうあんなことしないよ。だから嫌じゃないなら、俺とこれからも会って欲しい。市役所の試験も終わったんだし、これからは時間あるだろ?」
「それは、そうだけど…」
「ここですぐ答えてくれって言ってるわけじゃないよ。ちゃんと考えてくれって話」
「私…」
言い淀んだ果歩の肩を、ぽんっと翔は気楽に叩いた。真剣な空気がふっと緩む。話はこれまで、というように翔は笑って言った。
「じゃあ、今週。週末はイベントで仕事だから、金曜日の夜、会おう。予定、空いてるか?」
「う、うん。多分」
翔のたたみかけるような勢いに押されて果歩はうっかり返事をしてしまう。
「よかった。じゃあ金曜日」
ちょうど車が果歩の家の前に着いた。翔は満足したように果歩を下すと、連絡するから、と言って去っていった。
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