プロローグ2 地域伝承 琵琶法師
《語り:聞こえぬ笛を鳴らして人を忘れしものの事》
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す
驕れる人も久しからず、ただ春の夜のごとし
猛き者もついにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ
死者の響きが大地を鳴らす、ほろびの響きがあるように
**
──ぽん、と。
琵琶をひと打ち。
声は低く、しかし、奥底で鳴っている。
「お聞きなされ、都のかた。
今宵は、音にて人を忘れた男の物語。
耳ではのうて、骨で聴かれる話じゃ。」
**
その昔。
平家が栄え、音もまた栄えた時のこと。
笙の音、鼓の響き、雅楽のうねり。
都そのものが、音に呑まれちょった。
そのなかに、ひとりの笛吹きがいたそうな。
名は
平家の末に生まれ、音を血に宿したいわれる才人じゃ。
様々な芸事や楽器を幼い頃から名人のようにできたという。
だが、あやつの笛は少し違う。
吹けば――音はせん。
いや、耳では聴こえぬ。
されど、胸の奥がひとつ、ぐぐっと揺れる。
泣いたような感情が、
ひっそり湧いてくるような笛じゃった。
**
ある夜、後白河の院の前で吹いたときのこと。
まわりの者たちは皆、
その音を聴いた途端、黙ってしまった。
後白河さまは、ひとことだけ申された。
「あれは音ではない……。
のう、あれがなにかという言葉がこの世に満ちるより、
まだずっと、昔のことじゃ。
**
それからというもの、志禮は人が変わったようになった。
音を追い、声を失い、
夜ごと音なき笛を吹いては、ひとり、響きを聴こうとしていた。
響きは誰にも聴こえぬが、
そばにいると、涙が零れる。
意味もなく、ただ懐かしくて、ただ苦しくて、
胸の奥が鳴り続ける。
**
やがて、あやつは姿を消した。
都の者は口をつぐみ、
名を記録から削り、
楽所から名を消した。
されどな。
わしら琵琶法師の間では、伝わっておる。
春の夜、桜の下で風が吹くとき、
それは志禮の“響き”が、まだ都を歩いちょる証じゃと。
**
「お若いの、耳を澄ましなされ。
風の中で、もし心がひとつ震えるなら――
それは志禮が、あんたの“骨”を撫でた証じゃ。」
ぽん、と。
また琵琶が鳴る。
それは風のような、波のような、
けれども、名もなき“響き”そのものであった。
**
「この都の地下には、まだ“音にならぬ音”が満ちちょる。
誰もが聴けるわけやない。
けれど……いつか、いつか……、
そのすべてを聴きとる日がくるじゃろうて。」
──ぽん。
夜の底にひと打ち。
「響きはわしらが紡ぐっちゅうに」
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