ドライマンゴー

@kakujk

🥭プロローグ|ドライマンゴー

カバンの中に、ドライマンゴーがひとつ入っていた。


忘れていた、なんて言うには少し嘘になる。


覚えていたつもりもないけれど、手に取ったとき、指先が“あの日”の湿度を思い出した。


春。


制服のリボンが少し緩んで、風に揺れる季節。


私たちは、もうすぐ高校を卒業しようとしていて、


だけど、心のどこかではまだ、「大人になる準備なんてできてない」と思っていた。


ドライマンゴーは、甘くて、乾いている。


食べた瞬間にひたりと広がる香りと、そのすぐあとにやってくる、かすかな渇き。


あれが好きだと言ったのは、たしか、花音だった。


「これ、おいしいんよ。好きな味」


そう言って、笑っていた。


強くて、まっすぐで、でもどこか“静かに泣きそうな目”をしていた彼女。


私は、あのとき彼女の言葉の意味を、たぶん、何もわかっていなかった。


他にも、ドライマンゴーにまつわる記憶はある。


浅井くんが私のために持ってきてくれた日。


伊藤くんのカバンの中で、見つけてしまったとき。


自分で買って、自分で食べた、やけに寒い午後。


ドライマンゴーを思い出すたび、誰かの顔と、少しだけ痛む胸の奥がよみがえる。


忘れてしまえば楽なのに、


忘れられないことばかりが、私の中にずっと残っていた。


たったひとつのドライマンゴーから、私は、あの六年間を少しずつ思い出していく。


カバンの底で、ドライマンゴーは少しだけ潰れていた。


透明な袋の上からでも、そのかたちが分かる。


時間が経って、角が丸くなったみたいに。


誰かと一緒に食べたときもあったはずなのに、


どうして今は、私ひとりなんだろう。


そんなことを考えていたら、校舎のどこかでチャイムが鳴って、昼休みの終わりを告げた。


窓の外には、少し色褪せた桜。


満開にはならずに、風に散らされてしまったような花びらが、


誰にも見送られずに地面に落ちている。


なんだかそれも、自分のことみたいで、笑うしかなかった。


六年間。


いろんな人に出会って、いろんなものを失くした。


自分から手放したものもあったし、気づいたときには無くなっていたものもあった。


その全部が、ドライマンゴーの甘さと乾いた食感に、少しだけ似ている気がする。


「もうすぐ、終わるんだな」


誰に向けるでもない言葉が、喉の奥で渇いていく。


終わりが近づくほど、自分がちゃんと“ここにいた”証みたいなものが欲しくなるのは、どうしてなんだろう。


カバンのポケットに、そっとドライマンゴーをしまい直す。


食べるのは、まだもう少し先でいい。


甘さと乾きの残る思い出を、きっとまだ、手放せないから。

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