第9話
婚約者候補からの下卑た視線と権謀術数をくぐり抜け、ようやく一人になれたことでセレネは安堵していた。
しかし今度は一人で時間をつぶす必要が生じたものの、セレネに話しかけてくる者などいないため暇を持て余していた。
(はぁ...。早く終わらないかしら。)
そうセレネが思ったとき、ふと周囲がざわつき始めた。
何事かと思い周囲を見渡すと、どうやらこちらに向かってくる人物がいるようだ。
(アグレス・オイラー...。彼女がなぜ?私に用事でもあるのかしら?)
若干警戒しながら観察していたセレネの目に、アグレスが連れてきた弟の姿が映ったことから彼女はおおよそ状況を察した。
(弟のために黒髪同士で人脈を作らせておきたいといったところかしら。)
「お久しぶりでございます、セレネ様。アグレス・オイラーにございます。」
「お久しぶりですね、アグレス様。それで、どのようなご用件でしょうか?」
正直面倒だという気持ちが出て、つい事務的な対応をとってしまった。
だが幸いなことに、彼女はどうやら気にしていなかったようだ。
「本日社交会に初参加となります、わたくしの弟をご紹介させていただきたくご挨拶に伺いました。」
(...やはりそれが目的ね。)
そうして引き出された弟は...しかしまるでやる気のない、死んだ魚のような目をしていた。
それまで才能あふれるアグレスに軽い嫌悪感すら抱いていたセレネだったが、この弟を見た後はさすがに同情してしまった。
「ネイピアス・オイラーです。以後、オミシリオキクダサイ。」
「ど、どうも...。第一王女セレネ・フルイドです。こちらこそよろしくお願いします...。」
(なによコイツ。せっかくの姉の厚意が完全に無駄じゃない...。)
そのときだった。
セレネの目に、それまで席を外していたヘスティアが帰ってくるのが映った。
「ティア!お帰り!」
「レーネ!」
(これでようやく暇から解放される!)
そう思って再会をよろこぶ二人。
ここで、ヘスティアがアグレスとネイピアスに気付いた。
「レーネ、こちらの方々となにかお話をしていたの?」
「えー...まぁそんなところね。」
(話の流れからして紹介せざるを得ないか...。このダメ男をティアに合わせたくないんだけど。)
そう思い、しぶしぶと紹介しようと振り返ったセレネは硬直してしまった。
そこには先ほどと全くの別人に見えてしまうネイピアスがいたのだ。
「美しき黒髪をもつ少女よ。よければあなたの名前をお教えいただけないだろうか?」
「は、はい?私?えーっと...。シュミット侯爵家長女のヘスティア・シュミットです...。」
「おっと、失礼。私はオイラー子爵家次男のネイピアス・オイラーと申します。以後お見知りおきを、麗しきご令嬢よ。」
「は、はぁ...。」
(誰コイツ?さっきの死んだ魚のような目をしたヤツと別人じゃない。)
なぜだろうか、死んだはずの魚が突如蘇った。
そしてなにより
(なんで私とティアで対応が異なるのよ...!!)
態度の違いである。
彼女が腹を立てているのは、ネイピアスに対して自分にも興味をもってほしいとか、そういった淡い色恋が理由ではない。
簡単にいうと、ヘスティアだけが特別扱いされるのが気に食わないだけだ。
いかにも少女らしい子供っぽい理由だが、それも当然だ。
なぜならば、彼女は8歳なのだから。
「お久しぶりです、ヘスティア様。ネイピアスの姉のアグレス・オイラーです。覚えておりますでしょうか?」
「お久しぶりです、アグレス様。もちろん覚えておりますよ。」
「それは良かった!ネイピアスだけど、悪い子ではないし、何より友人がいないのです。ですから、ぜひ仲良くなっていただけないでしょうか?」
「な、なるほど...?」
「ではお姉さま、私とヘスティア嬢は交流を深めてきますので、これにて失礼します。」
「あらまぁ、頑張るのよ!ヘスティア様、ネイのことよろしくお願いしますね!」
「え?あ、ハイ...。」
(完全に無視されているわよね?私これでも王女なんですけど?)
「...ってちょっと待ちなさい!ティアと二人きりはダメです!私のいる場所にしなさい!」
◇ ◇
「なるほど。二人は聖騎士流を習っているんだ、へー。」
「はい!私が炎神派、レーネが武神派ですね。」
「とはいっても魔力の問題があるから実力は低いわよ。」
(...なんで私たちこんなに仲良くなっているのかしら?)
ヘスティアだけいれば他に知人や友人はいらない。
そう思っていたセレネだったが、本心では欲しかったのだろう。
それはヘスティアも同じように見えた。
「ネイ君はリヒテンアワー流でしたよね?やはり魔力技術がないと厳しいのでしょうか?」
同じ黒髪ではあるが、私たちと違って完全に漆黒といえる髪色をもつのがネイピアスだ。
そんな彼は私たち以上に苦しんでいるかもしれない。
そう思ってヘスティアは聞いたのだろう。
もちろんセレネ自身も興味があった。
「うーん...厳しい可能性は否定できないよね。」
「どっちなのよ、その表現。」
「いや、そりゃ天才とか上級者には敵わないさ。でも、だいたい同年代の皆と同じくらいの強さはあると思うよ。」
「...本当に?」
こいつは嘘をついているのだろうか?
そう思ったセレネだったが、ネイピアスの眼を見て悟った。
才能のなさに絶望している人の、諦めている人の眼じゃない。
私たちより魔力技術に適正がないはずなのに、私たちと違って強くなることを諦めていない。
弱者なはずなのに、弱そうには見えない。
そんな、不思議と惹かれる空気を彼は纏っていた。
「よければ一緒に稽古をしてみない?あなたの剣を見てみたいのよ。」
だからこそ、この場限りで関係を切ろうと思っていたはずなのに、思わずそう提案してしまった。
「えぇ...。いやぁ、うーん...。」
「そこをなんとか...!!」
「私からもお願いします。ネイピアス君のことをもっと知りたいんです!」
「切磋琢磨は大切ですからね。セレスティア嬢の頼みとあらば、断ることはありませんよ。」
(やっぱ嫌いだわコイツ...。)
ネイピアスにジト目を向けてみるものの、彼は飄々としており気にした様子は全く無かった。
それ以後はたわいもない会話が続き、社交会は終了した。
去年の社交会は本当につまらなかった。
だが、今年は不思議と満ちた気持ちで終えることができ、来年の社交会が若干楽しみにすら思えてしまう。
...あの変人がその理由だと思うと大変癪ではあるが。
それよりも、3人で約束した稽古会が問題である。
場所や日程など、様々に考えなければならない。
ティアと二人で相談しなければ...。
そう思い、セレネはセレスティアに向けた手紙を書き始めた。
え?ネイピアスにも相談しなくていいのかって?
(どうせあいつ暇だろうし問題ないわね。もし予定が入っていてもティアの名前を出せば釣れるでしょ。)
ネイピアスの扱いは既に雑になっていた。
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