境哭に暈(きょうこくにかさ)※執筆途中※

@esunishishinjo

第1話

第1章


【夜の町の喧騒…】


 ドサッ。


 都会の喧騒の片隅で、道行く人が5人に1人が振り向くか振り向かないかというほどの異音。

 砂袋を地面に落としたような音。

 音を立てたソレは生垣の中で不自然に震えた後、動きを止める。街頭の淡い光が、力を失った瞳に反射する。


【死体の描写】

 

 ソレに近づく人影が、1人分。


 ――地面に横たわる死体の目に映る、蒼白い光。


 人影が、次第に近づいていく……


 ――今宵は不気味なほど蒼白い、満月だった。


 *『1.例えば、こんな日常があった』


 自分には『孤高』が似合う


 そう彼女が思って生きることにしてから、10年余り。

 私立杜坂(もりさか)高等学校2-Aにて、最高最強の学園生活を送り続けているのが、室崎 柿音(むろさき かきね)という少女であった。


 教室の彼女の席の周りに人はいない。

 授業間の休憩時間である現在、各々がそれぞれのコミュニティに属して壇上に興じているというのに。彼女の座る後ろから2番目、最も窓側の席の周りだけが特別な領域であるかのように、誰も座らずにいた。いや、座れずにいた。


 2-Aには『姫』がいる。

 とある男子グループは憧れを込めて。

 とある女子グループは侮蔑を込めて。

 そして全校生徒からは畏怖を込めて。

 そういう噂が学校中に広がっていた。これといって特徴の無い地方都市の高校の中にいて、室崎 柿音の存在はあまりにも目立つ存在だった。

 顔立ちが整っていること、無駄な肉の無い身体付き、きめ細やかな肌が当然のような立ち振る舞い。私は美人でございます、というまでもなく仕草の一つ一つが絵になってしまう。

 加えて成績優秀。これだけを評価する教師にとっては彼女の成績表をつけるのは実に楽な仕事だ。

 表面的特徴だけを見れば、他校から見れば羨ましい限りと言われるのだろう。

 しかし、姫と呼ばれる所以は彼女の内面ーーー……


「そういえばさあ!古原(こはら)はもう好みの女子とか目星つけてんの!?」


 ある男子が、教室中に嫌でも響く声で投げかけた質問にクラス中の空気が騒めく。デリカシーのない質問をだが、当の質問者は話に夢中で声が大きくなっていることに気づかない。

 転校生、古原 堅太郎(こはら けんたろう)に【目だった特徴は一つ、首筋の痣(あざ)だ。気に留めないといえば気に留めないだろう。それを除けば親しみやすい、実に素朴で良識的な男子生徒であった。】

 質問を投げかけられた素朴な少年は呆気に取られた後に、少し思案して口を開いた。


「……室崎さん、かな」


 回答者がそう答えてから、質問者たる男子生徒は天を仰いだ。

 目の前にいる、1週間前に転校生としてやって来た少年は知らないのだ。

 室崎柿音が『姫』と呼ばれる所以を…


「生憎だけど、私は古原君のこと嫌いだから」


 質問者の声で静まっていた教室は、堅太郎の素朴な声質からなる回答をよく通した。故に当人同士での決着が速攻でついてしまう。


 ――と思いきや。またもや呆気にとられていた転校生の少年は、いつも称える笑みに戻り。周りの静止を無視して柿音の席に近づき、席の隣へ。


「どうして?」


 短くて素朴な質問。


「気に入らないから」


 これまた短すぎる回答。

 少しの溜息をついてから、堅太郎は続けた。


「僕、この7日間で君に嫌われたの?」


「そうね」


「……それはまた……本当にどうして?君とはまだ数える程度しか話していないはずだけど……」


とびきり大きな溜息をついた後で柿音は立ち上がり、堅太郎を見据えながら、今までよりも大きな声量で言い放った。

 

「あなたの消しゴムを拾った後の顔が気に食わない!あなたの皆に対する素朴で、純粋に見える態度が気に食わない!そして何より……その気に食わない相手が!私のバイト先に下宿してきたら!誰でも嫌に決まってるでしょっ!?」


「――――……」


 拒絶されての硬直ではなく、目の前で声を張り上げられた事に呆然としたための硬直。

 堅太郎は怒り心頭のまま座りなおす柿音を目で追ってから、静かに自分の席――これまた、室崎の後ろである――に座った。

 それを待っていたかのように、予鈴のチャイムが鳴る――


 室崎 柿音が『姫』と呼ばれるのは……持って生まれた物なのか否か、その傲慢さにつき人が寄りつかない事でもついた異名なのだ。


 *


 住宅街を歩いていると視界にに唐突に現れる、珈琲豆を焙煎から鑑賞することも出来る喫茶店『くれのあ』は、開店月が9月という事で、9月の異名『暮れの秋』から命名された。

 

 知る人ぞ知る名店で、過去には『添石(そえいし)町の名店100選』に載ったほどではあるのだが、これも過去の話。現代においてはチェーン店に客を取られて、今では馴染みの客と興味本位の客、そして徒歩10分圏内にある私立杜坂高校の生徒が集うする場所として名を馳せていた。

 ……去年からは、その生徒の男女比に大変動があった理由は言うまでもなく…『姫』を一目見ようとする男子生徒が懲りずにいるからであったが……それも昔の話。

『姫』の悪評が轟いて早一年。学生の客層が壊滅的に減ったのは痛いと、店長は内心愚痴っていた。


「店長。皿洗い終わりました」


「あ、終わっちゃったか〜。まぁ次の注文が来た時か客が会計する時を待つしか無いね」


「外の掃き掃除とかやっちゃいましょうか?」


「そう、だね、うん。お願いして良いかな?仕事が出来たら呼ぶよ」


 分かりましたと言うや否やバックヤードのロッカーから掃除道具を取り出して、テキパキとした動作で店外へ行く『くれのあ』の看板娘。

 面接の時には分からなかった彼女のわがまま姫な一面は、店内であるにも関わらずアプローチを繰り返す男子生徒達を店長の見ている前で精神的に粉砕させてきた事、加えて同じ高校の生徒の噂話から知る所となった。それでも店長は仕事ぶりと外見は申し分無いので使い続けていた……のだが。


【古い階段を降りる足音】

 

 店の2階から降りて来るゆっくりとした足音と共に、『くれのあ』看板娘と同年代の少年が降りて来る。


「増田さん、空いてる席を使って良いですか?」


「ああ、良いよ」

 

 つい1週間前にやって来た古原少年は、『くれのあ』2階の元々店長達の家族、増田家が住んでいた何個かの部屋の内の角部屋に居候していた。そして目下、『くれのあ』の看板娘にとっての、目の上のたんこぶでもある。


「……室崎さんは?」


「外の掃除に出てくれてるよ。本当、気立てが良くて見てくれも良いのに、性格が物騒と聞くけど……いや、勿体無いねぇ」


 仕事に支障が無いから良いんだけどねぇ、と続ける店主に、表情を変えずに少年は当然のように返した。

 

「きっと、室崎さんなりの優しさはありますよ」


「……はぁ…?」


 少年の下宿先の主人は、まさかの返答を返した目の前の純朴そうな少年の発言に気の抜けた相槌を打ってしまう。それを気にせずに少年は一階の隅のカウンター席に陣取り、ノートを広げる……。


 

「――……店長。外の掃除終わりました」


 柿音の初めの沈黙は少年へ視線を投げかける事と、かなり不満げな表情(かお)を作る事に費やされた。

 閉店時間にはまだまだであり、気に入らない相手と同じ空間にいなければいけない面倒さが、室崎が最近のバイト先に発生した問題点だった。


 【時間が過ぎていく描写】


 数人の客が入れ替わりで訪れてから2時間あまり。店内には居候の少年1人と、バイトの少女が1人。


「室崎さん」


「――――」


 唐突な問いかけに、見事な無視を決め込んでいる喫茶店の姫君は、店内の掃除に集中している……振りをしている。彼が一階に降りて来てからというもの、細かなミスが目立つ。注文ミス……というわけではなく、筆記上のケアレスミスだったり。はたまた食器を戻す時にいつもよりもテキパキ動けなかったり。

 彼が一階に降りて来るタイミングからそうなったのは、彼がこの町に来た7日前からであった。


 【場面転換、7日前へ】


 7日前。少年が転校してきた当日。

 室崎柿音という少女に落とした消しゴムを拾われた、その日。

 その時の顔がどうだったのか、彼自身意識はしていなかった。

 ただ事実、文面上だけを見ると少女漫画で恋に落ちる瞬間のような、少し長めの見つめ合いはあった。

 ものの数秒だったのだが。今日の言動から推察するに、室崎柿音にとっては、何かが地雷になっていたのだろう、と少年は納得していた。


 そう。少年は不思議な程に、少女に対して悪い感情は抱いていないのだ。


 *


「今日は君が癇に障った事を、教えてくれてありがとう」


 少女の掃除をしていた手が止まる。

 

「君が気に入らない態度については、どうしようもないかもしれないけれど……うん。努めて君が不快に思わないようにするつもりだよ」


 途端、半乾きの布巾が、宙を舞う。


「何よ……それ……」


 またもや昼間と同じ顔で呆然とした顔で、投げられた布巾を片手にキャッチする堅太郎。

 みんなの前で怒鳴り散らした相手に、恨み節の一つでもついて見れば良いじゃない、と彼女の視線が告げていた。


「……学校のの教室だったらともかく、外でも善人気取りな訳?それって誰のため?自分の為……以外に無いはずだけど?」


「――――」


 受け取った布巾と問いかけをどうするべきか思案した堅太郎は、布巾を持ったままカウンター席を降りて、柿音に近づいていく。


「誰かに優しくするのは、自分じゃない誰かの為だ。少なくとも、僕はそう信じたいかな」


 少年はやはり、当然のように微笑みながら少女に布巾を差し出した。少女は乱暴に布巾を引っ掴んで、何か言いたげにしていたが。


「室崎さん〜?そろそろ上がって良いけど……と?」


「……ありがとうございます。失礼します」


 この空間への闖入者のおかげで何も言わずに済んだ室崎は、これ幸いと堅太郎の脇を通り過ぎて、自分の制服が入っているロッカーへ。

 時計は18時を回っていて、外が暗くなってきている。制服姿で歩いていたら補導されてしまうギリギリの時間帯だ。

 制服姿に戻った柿音は、簡潔に店長に退勤の挨拶をして小鈴のついた出入り口から出て行った。

 ――去り際に、目の敵にしている男子生徒を一瞬睨みつけることも欠かさない。


 *


「ただいま」


 部屋の主の到来を静寂でしか返せないアパートの一室。

 早々に部屋着に着替えて、エプロンを着ける。夕食は丁寧に作り置きしている派の柿音は、例え作り置きのオカズであっても食卓の机に並べるまでは習慣としてエプロンを着ける。

 (レンチンの音、皿を置く音)

 1人を寂しいと思った事はある。ただ、そう思わないための抵抗として、丁寧な生活を心がけるのは室崎にとって、そうそう悪くない事なのだった。

 (皿洗いの音→ノートを広げる音)

 夕食の後片付けをしたら、すぐに宿題を片付けにかかる。各教科の復習と、小テスト対策の勉強、加えて明日までにやるようにと言われている問題集をやっつけなければいけない。


「よし……」


 宿題をやっつけていく柿音。自分が『姫』と呼ばれている事よりも、自分が馬鹿にされる事が何より許せない彼女は、誰よりも努力を怠らない。外見でも、学校の成績でも。

 (時間経過の描写)


「――うん、これで……良いか」


 時計を見ると午後10時を回っている。

 宿題を片付けて、復習予習を十全に終えて。椅子の上で緩やかに伸びをした。


 (風呂のCG。工夫して)

 

 今日の勤めを果たした少女は、布団に入る前に風呂に入る。湯を溜めて、浸かる。


 既に夜も更けていたが、彼女は独りになれるこの時間が好きだった。風呂を上がったら髪を乾かして、眠気が来たら眠る。そうやって独りで繰り返してきた日常のサイクル。

 そんなサイクルの歯車の間に挟まった、小さなネジのような存在のことを思い返す。


『誰かに優しくするのは、自分じゃない誰かの為だ。少なくとも、僕はそう信じたいかな』


「……誰かに優しくするのなんて、どいつもこいつも独りよがりな自己満足に決まってるじゃない……」


 浴室の壁に反響する自分の声が、まるで心の中の声が響くようで、今の室崎にとっては少し、嫌だった。


 *【過去回想】


 両親が死んだ時、彼女は布団の中に震えながら包まっていた。二階の自分の部屋。扉には手作りの可愛らしい表札がついていた。

 一階の惨状とは不釣り合いな色彩の小物が、より一層凄惨さを浮き立たせる。


『室崎家惨殺事件』として一時期知れ渡る事になるこの事件は、当時の人間の興味を惹いた。

 "子供だけが助かった。悲劇のヒロインだ"

 "一家全員だったら、凄惨さが増したろうに"

 そんな声無き声が幼い子供の時分の心を蝕んでいったのは、コンプラに緩慢だった当時のテレビから流れるコメンテーターの言葉やら、新聞の見出しやらで見ていたからだった。彼女の当時の密かな読書好きが悪い結果を与えてしまったのである。


 更に心根を捻る結果となった原因は、親の葬式の時の親戚の方々の会話。誰が引き取り先になるだの、保険金は誰が受け取るのかだの。しかも幼い室崎の目の前でだ。

 結果的に引き取り先になった母の姉が、それはもう浪費家であり。保険金も売り払う事になった事件が起こった家も土地代も。全て叔母のブランド物のバックなどへと変わっていった。

 "家に置いてやるだけ感謝なさい?"

 そう面と向かって言われたのは驚く勿れ、室崎柿音がまだ小学校上がりたての7歳の時である。

 "あ、この人には頼りたくないな"

 そう幼心に決意して。

 中学に上がるや否や、バイトを掛け持ちしまくり貯金し節約し。親戚からのお年玉にも数年間手をつけず。中二の時分に叔母宅を出たのだ。

 その知らせは親戚中に響き渡り。

 新たな引取先を考えるべきだと、次にやってきたのは父方の親戚。こちらは父が一人っ子だったのもあって、揃いも揃って高齢者。溜めていた年金を高校入学に充てたらどうかときた。

 室崎柿音にとって、それは自己陶酔の善意に見えた。葬式の席で言い負かされておいて、資金面で償おうとしているのが当時から今にかけて気に食わなかった。

 結論から言えば、その資金は国の意図からみても正しく使われる。親戚の一人の遺産が、全額を彼女にという遺言と共に室崎柿音に支払われたからだ。当時の室崎は突っぱねたかったが、成人になっても残り続けるかもしれない額を提示され、遺産譲渡を飲んだ。折れた自分も悔しいと思ったし、何より他の親戚が掌を返したように安心した態度なのも癪に触った。あれだけ渡すと言っていた金を渡す手をいとも簡単に引っ込めた。

 ――やはり、偽りの善意だったではないかと彼女の心に影を落とした。


 *


 「……はぁ」


 風呂から上がって1時間。既に髪は乾き切って寝る前の読書を続けているが。

 ――目が冴えてしまった。

 風呂に入って思いがけず久しぶりに過去に思いを馳せたせいか。

 眠くなる気配が一向に来ない。いっその事、夜更かしでも決め込もうかという考えが頭をよぎるも、夜更かしは美容のなんとやら。諦めて横たわろうかと思い、本を閉じる。


「――――」


 ふと、普段の自分とは違う行動を取りたくなったのは。ここ数日の鬱憤を晴らしたかったからなのか。はたまた単なる気まぐれか、探究心か。

 ――彼女が生涯をかけて悔いる事となる、夜の散歩に出かけるのだった。


 *


 散歩といっても、柿音の住むアパートの周りは閑静な住宅街だ。少し歩くと、この時間だとシャッターが降りているだろう商店街があるが…行くほどではない。きっと見た事がある店が、変わらずにそこに鎮座しているだけだろうから。

 ほとんどの家が明かりを消しているのを何気無しに見て回るに終わっている夜の散策。


「――――?」


 住宅街にも路地裏はある。

 住宅と店舗の間だったりに。いかにも不気味な、小さな子供にとっては最も身近な異界への入り口。

 そこから何かが唸るような、何かが動いているような音が聞こえる。

 犬だろうか?それとも猫?

 どちらにせよ確かなのは、普段なら気にも留めないはずの『それ』の正体を確かめたくて、柿音は路地裏に踏み入った事。


「……人?」


 路地裏の先。雑多に置かれた違法投棄された家電製品、廃材などに人型の何かが蹲っている。そして何かを貪っている。


 ――ああ。これは、関わってはいけない。


 薬物中毒者がこんな地方都市にもいたんだなと、頭の中だけで納得して、柿音はそこから後ずさる。


 (缶を蹴る音)


 どこぞの不良が投げ捨てたのか、路地裏に落ちている缶に柿音の足が当たる。


 (『屍人』の後ろ頭)


 人影の動きが、ひたりと止まる。


 (屍人の首が180度回ってこちらを向く。ミシミシ、ボキッという骨と筋肉の筋が切れるような音)


 振り向かれた事よりも、こちらを凝視する双眸に驚き体が硬直する。何より、人間に出来ない動きをしている目の前のソレに、頭の理解が追いつかない。

 ミシ、ミシとこちらを見ながら身体を正面に戻していく。そして、こちらに向かってソレは駆け出した。


「!!い、嫌っ!」


 柿音は危険源がこちらに向かって動き出して初めて、身体に逃避の指示を出せた。

 ――その全てが遅すぎるというのに。


 (倒されるSE)


「いったあっ!?」


 柿音はソレに飛びかかられる。信じられないほどの速さで追いつけられたのだ。勢いそのままに、柿音はソレごと前のめりに倒れる。


「助けてっ!!だ、れ……がぁっ!?」


 言葉は途中で喉から出た嗚咽に掻き消される。背中に馬乗りになったソレは、後ろから柿音の首に両手で圧をかけ始めた。


 "嘘でしょ……!?コイツの手、引き剥がせない!!"


 相手の力は人間とは思えない。柿音が女子だからというだけでは理由が足りない。背中に乗る理不尽に説明がつかない。

 まるで痛みが無いかのよう。実際無いのではないか。そんな事がよぎりながら、柿音は必死に抵抗を続ける。


 視界が白くぼやけていく。脳に酸素が回らなくなってきたのだ。


 "ダメっ!!いやだ!!いやだいやだいやだ!!くるしいよ!!たすけて!!たすけてだれかたすけて!!"


 人に頼ることも、関わることも拒絶してきた少女は、今際の際になって初めて、知らぬ誰かに救いを求めた。


 だが、誰も来ない。

 届かない。

 ほんの数メートル先の家の中で安眠している夫婦にも、ぬいぐるみを抱いて眠る幼子にも。


 "あ――"


 意識が遠のく。


 言葉が脳内で作れなくなる。


 *


 「室崎さんっ!!」


 瞬間。閃光。

 視界が白じんでいた柿音にとっては、視界に変わりはなかったが、遠い音で雷の様な音を聞いた気がした。


「縛(ばく)ッ!!」


「ギギャアアアアア!?」


 人ならざる物の悲鳴。視界が戻りつつあった室崎がぼやけた視界で見たのは、指差した化け物の動きが止まり、もう一方の手に持つ光る刀を――


「ギャウゥッ!?」


 心の臓に当たる場所に突き立てる光景。

 短い断末魔と共に、ソレから青白い火花が散っていた。


 (ドサッ。屍人が倒れる音。)


 少し息を整えてから、救い主を室崎は見上げる。


 (イベントCG?私服姿の古原が、刀を持って立っている)


 黒を基調とした私服は、夜空によく映えた。

 目の前にいる彼は、学校にいる時よりも闘気を纏っているように見えた。


「――こ、はら……くん?」


「怪我はしてない?室崎さん」


 あの、いつもの素朴な笑みが。柿音をこの数日苛立たせていた笑みが。なぜか今だけは柿音の心を温かく包んだ。


「うん……大、丈夫……」


 心を温かく包んだ事に、彼女自身も気づいていない。


「良かった。……あ、ちょっとゴメンね」


「え、え?」


 不意に室崎に近寄った古原は、懐から小瓶のスプレー容器を取り出して、室崎の両肩に噴射した。


「よし。これでかかった呪詛は離れやすくなる。このまま寝て大丈夫……とはいかなそうかな。」


 後ろで倒れる化け物を見やって、古原は軽く溜息をつく。


「……この件については、後で説明する。今日のところは帰って、落ち着いて寝て?」


「うん。分かっ、た……」


 想定以上に疲れる事になった夜の散策。


「古原君……その……ありが――」


「待って」


 ――そして、この悲劇はまだ終わらない。


「鳴子(なりこ)がまだ震えてる」


 堅太郎が懐から取り出した小鈴がついた木片の御守りのような物。

 暗がりだが、音を聞くに震えているようだ。それに風もないのに揺れて、瓦礫の方角を指すように見えない力で引っ張られているようだった。


「えっ、と……なに」


「室崎さん。できるだけ離れてて」


 只事ではない様子に従うしかない柿音は、路地裏から大通りへと小走りに移動する。


 路地裏の奥にナニカがいる。

 堅太郎に刺されて地面に倒れ伏したソレは、路地裏で一体何をしていたのか。まるで捕えた餌を隠しているように捕えた犠牲者(えもの)を隠していた。


「グルルルル……」


 野犬のような唸り声。犠牲者はソレに噛みつかれ呪詛が身体に回り、新たな化け物へと変生していた。


 (化け物が飛び出す音)


 飛び出してきた影。堅太郎には目もくれず。


 (飛びかかる表現。)


「――――ッ!!」


 堅太郎の短刀を持つ右手は堅太郎の脇をすり抜ける途中の影と同じか、それよりも早く動いた。

 

 「ギャオッ」


 的確に突き刺された心臓、化け物から散る火花。

 子供だ。一見、人間の子供に見える化け物は弱々しくもがいた。


(引き抜く絵、もしくはSE?)


 堅太郎が短刀を引き抜く――


 しかし生を許さない亡者は、まだ動く事ができた。火花が散る身体で駆ける。


「あ、え……」


 そして化け物は、道路に出ていた生者の肩口に食いついた。


「ああっ!?があぁっ――!?」


 痛みに悶える柿音。

 飛び出た人影は小柄で、子供だったのだろう。体も腕も細いというのに、食いつく力は人外の力。


「くっ――ッ!!」


 堅太郎は食いつく化け物の心臓に、再び背中から短刀を突き刺す。化け物は再び悶えて動かなくなる。

 (ドサリ。化け物が倒れる音)


「室崎さんッ!!ごめん…止血するから!!」

 (霧吹きの音、服を外す音布を破く音。)


 堅太郎は手際良く柿音の上着を脱がすと、小瓶の液体を吹きかけてから、持っていたハンカチを簡易的な包帯にして応急処置を施していく。


「呪詛の巡りが早い……室崎さん!少し我慢して!」


(お姫様抱っこをするスチル?もしくは工夫して文だけ?)


 古原は室崎を自分の前に抱き抱えると、住宅街の屋根の上を飛び回り進んでいく。


 "いたい……あつい……"


 ぼやけた視界に目一杯に映る、この7日間で酷い態度を沢山とった男子生徒の顔。

 そして柿音にとって、久しぶりの他人の人肌の暖かさを感じていた。


 ――あーあ。今日は黙って寝ておけば良かったな……


 疲労感からか、最後にそんな事を考えて柿音は意識を手放した……


 *


 喫茶店『くれのあ』二階。古原堅太郎の下宿する部屋。

 荒く苦しい息をする柿音は、堅太郎によって応急処置を全て施されていた。堅太郎の連絡によって特別な医者が訪れるのを待っていた……

 ……が、呪詛の巡りが早く心臓に到達していたとしたら……


「う……ぐぅ……ッ!!」


「室崎さん!!」


 変化は唐突に、そして急速に訪れる。

 ベット側に背を反らせた柿音の目の端が、あの化け物と同じ黒い瞳になりかけていたのだ。


「ぐ……ギいッ……!

 にく、イ……!!」


 柿音は超然的な感覚に意識を、理性を奪われていた。

 健太郎の呼びかける声よりも、近くの家息づく生命の光に、道路を横切る野犬に、軒下に丸まる野良猫に。蒼白い光に見えるそれらををグチャグチャにしたい衝動に身を焦がしていた。


「くそ……解呪が間に合わなかったのか」


 少年は悔しさに叫びたくなるのを、拳を固くキツく握られる事で耐える。


「――――」


 少しの逡巡。

 堅太郎は机に置いていた担当の鞘を抜き払った。


「……室崎さん。【点々→】もし君が自分の身体を見たとしたら、必死に身体に戻ろうとするんだ。【←点々】そうしなければ、君は死ぬ」


「う゛ゥッ……グウゥ……」


 唸るばかりの柿音の心臓の位置に、迷いなく、切先を向ける。

 

「――――ッ!」


 その震えの無い手を、掴む手が一対。

 少年は、それに驚き息を呑む。


「なン、で……あんたに、コロされなきゃいケない……のよ……?」


 少年の手に掴んでいた短刀を、柿音(しょうじょ)がもぎ取る。


「はッ……ハッ……!!これ、デ……!刺セ、ば……!たす、かる、の……?」


 交錯する堅太郎との視線と、理解し難い衝動。洪水のような感覚と情報の量。踠(もが)きながら、少女は自分の意思を通す事のみに意識を傾ける。それが例え現実的から掛け離れた選択であったとしても。


「……ああ。すまないが、それしか方法は無い。

 このままだと、あの化け物に変わってしまう。

 その刀で突き刺せば……少なくとも、化け物にはならない」


「な、ラ……!!」


 短刀を持つ手が震える。

 刃物を肉に突き刺す行為だけで言うなら、包丁で食用肉を調理用に切る事は何度もした事がある。それが一般人(ふつう)だ。それが当たり前だ。

 他人は元より。化け物を退治したのを先程見たばかりで、その退治に使った短刀を自分に向けているという訳で。


「はあぁッ!!ふうぅっ!!」


 緊張の震えを止めるためではなく。

 生者への恨みとも、妬みとも取れる、喉元を掻きむしるような激情。身に覚えが無い、自らから勝手に湧いてくる怨嗟を、少しでも少なくならないかという、一般人(ふつう)の生活をしてきた身体としての本能。

 更に目の前が涙で霞む。感情としての涙ではなく、生理的な涙が。

 それでも、なるべく鋒を震えないように無理矢理、気力で押さえつけ、短刀を持つ手を心臓から、いや身体から離し勢いをつけ――


 「ぐ、う、ゔぅあ゛ぁああああああああああ!!!」


 (突き刺す音)

 

 絶叫と共に、一気に短刀を体に引き寄せる。

 狙いは的確。

 初めてにしては上出来。

 刺さった短刀は肺を貫通し、心臓に到達した。


 "あ……これで……助かるのかな?……私……"


 自分の心臓を自分で突き刺すという大役を果たし、柿音(かのじょ)を満たしたのは、なぜだか安堵感だった。


 (心臓の音)

 

 "古原君……私、口動かないや……今までごめんなさいって、言いたいのに……"


 (心臓の音、弱くなっていく)


 "…………あれ…これ…心臓、止まりかけてる……?

 ……あ、そっか。わたしが、さしたんだっけ……"


 (視界が翳っていき、心臓の音が弱くなる)


 "………………うぅ?"


 (心臓の音が止まる)


 心臓の音が、止まった。


 "…………"


 心臓の音が止まっても、意識は少し繋がってるんだな、というのが。

 室崎柿音が、生者として最期に飛来した気付きであった。

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