第34話『小説天空の城ラピュタ』亀岡修
どのタイミングでどんな本と出会うかによって、人の本に対するイメージはさまざまに異なると思う。
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『小説天空の城ラピュタ』は、だれもが知る名作アニメをアニメージュの編集だった亀岡修さん(うろ覚え)がノベライズした作品です。出版されてすぐに読んだはず。当時、まだ『天空の城ラピュタ』を観たことがなかったように思います。わたしが映画館へ通うようになったのは、ずっと後のことですから。
読後、不遜にも「この程度の小説ならおれでも書ける」と思い込み、宮崎駿ばりのSF小説をノートに書きはじめたことは、これまで何度も書いてきたので詳しくは書きません。
ただ、40年近く前に出版されたこの本は、まだ当時のまま販売され絶版とはなっていません。これはすごいことです。おれでも書けるなんてとんでもない。書籍としての寿命は文豪によって書かれた小説クラスなんです。
当時、高校一年生だったわたしは、自己の内面から湧き上がってくるこれまでにない衝動を表現する機会と方法を探していました。このタイミングで出会ったのが、宮崎駿監督のアニメであり、『小説天空の城ラピュタ』だったので、「空想物語を小説に書く」という方向へその衝動が噴出したのだと思います。
「小説」を書き始めて最初に気づいたのは、その文章の特異性でした。小説を書くために使う日本語はどこか変なのです。それまでわたしは、自分の意見を表明するための文章を書いていました。要点をかいつまんだ短文を並列させて書く効率的な文章で、国語の答案用紙に書く回答をイメージしてもらうといいかもしれません。一般的な高校の書く文章ってそんなものだと思うんです。
はじめて小説を書いてみて、そういう文章で書かれた小説がいかにつまらないかを思い知らされました。この程度の小説ならおれでも書ける? いやいやわたしの書いたものは、『小説天空の城ラピュタ』の足元にも及びませんでした。小説とは呼べない代物だったのです。
カクヨム作家さんなら重々承知のことと思いますが、小説が単なる意見表明の文章となってはいけません。文章を読む行為が、快感と結びつく体験こそ、小説の本質です。おもしろくて楽しい内容を読みやすい表現で伝えなければならないのです。
非才の身には、それがすごく難しい。それを痛感させられたのが、『小説天空の城ラピュタ』です。わたしは上手に小説が書けたときに、またぜんぜん上手く小説が書けないときも、この本に出会ったことを思い出します。「この程度の小説ならおれでも書ける」と感じたあの感覚を思い出しながら、自分を戒めたり、逆に励ましたりするのです。
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亀岡修『小説天空の城ラピュタ』(アニメージュ文庫)
ジブリファンなら読んで楽しめると思います。映画では描かれないエピソードや設定も書き込まれていたはずです。当時はそうではありませんでしたが、いまではファンのための本です。
本文中にも書きましたが、絶版になっておらず、いまだに買えるというのが驚きです。価格も461円×2(上下巻あります)という令和の書籍としては破格の安値。お値打ちです。
次回は、宮崎駿『風の谷のナウシカ』を取り上げます。
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