第21話『シャーロック・ホームズの冒険』コナン・ドイル

 さて、しばらく間が空きましたが『わたしをつくった百の物語』――省略して「わた百」を更新していきましょう。今回は、コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズの冒険』を取り上げます。世界でもっとも有名な私立探偵、シャーロック・ホームズが活躍する短編集ですね。


 推理小説というものを一冊も読まないうちから、シャーロック・ホームズが名探偵であることは、だれだって知っていると思います。子どもの頃のわたしもそうだったのですが、シャーロック・ホームズのなにが人々を惹きつけるのでしょうか。もっとも知られたエピソードのひとつ「赤毛組合」の冒頭部分を読んでみましょう。


☆☆☆

去年の秋、友人のシャーロックホームズ宅を訪れたときのことだ。彼は見知らぬ人物と話し込んでいた。相手は、髪の色が燃えるように真っ赤な、赤ら顔の中年男性で、かなり太っていた。いくら待っても話が終わらないので「邪魔したな」と声をかけて、出ていこうとした瞬間、ホームズはいきなり私を引っ張り込んで、扉を閉めた。


「まったく、こんな絶妙のタイミングでやって来るとはな、ワトソン大先生」ホームズは、にこやかに言った。


「面談中だったんじゃないのか」


「そうだ。今まさに面談中さ」


「じゃ、隣の部屋で待っていてもいいんだが」


「できるわけないだろう。ウィルソンさん、こちらの紳士は私の助手で、何度となく事件の解決に貢献してくれました。今回も、きっといい仕事をしてくれるはずです」


太った男はイスからちょっと腰を浮かせ、顔の肉に埋もれて細くなった目でいぶかしげにチラッと私を見て、軽く会釈をした。(コンプリート・シャーロック・ホームズより)

☆☆☆


 どうですかこの軽妙な文章。ホームズとワトソンの掛け合いは。要を得て簡潔。この短い文章で「赤毛組合員」に出てくる主要なキャラクターを全員登場させた上に、キャラクターの役割、性格まで書き分けています。


 ――この赤毛の紳士は何者だろう。ホームズにどんな依頼をしたのかな?


 読者は(ワトソンが部屋に引き込まれたのと同じように)冒頭から一気に物語の世界へと引き込まれます。


 シャーロック・ホームズ・シリーズの文章の特徴として、その高いリーダビリティを挙げることができます。とても読みやすいのです。


 コナン・ドイルの書く文章は良い意味で癖がありません。原文を読んだことはありません(そもそも英語が読めません 笑)が、凝った表現や、俗語、方言はあまり使われていないのじゃないかと思います。


 海外SFが好きでよく読んでましたが、一般的でない言い回しの多い外国文学の訳書って読みにくいんですよね。文字にならない文脈と合わせて読まないと、自然な日本語にならない。その点、シャーロック・ホームズ・シリーズは、読みやすくて最高です。


 次に……。


☆☆☆

私はホームズのやり方をまねて、じっくりと観察し、容貌や服装から何か分かることがないか、探ろうとしてみた。(中略)シャーロックホームズはたちまち、私が何をしているか見破り、ニヤリとして頭を振った。「そうだな、確実に分かることと言えば、彼は過去の一時期、腕力を使う仕事をしていた、嗅ぎタバコをやり、フリーメーソンで、中国に行ったことがあり、さいきん多量の字を書いた、これくらいかな」


ジャベズ・ウィルソン氏はイスから立ち上がった。視線はホームズに釘づけだったが、人差し指はまだ新聞を指したままだった。


「いったいなんで、そんなに色々分かったんですか?ホームズさん」ウィルソン氏はたずねた。「たとえば、どうやって腕力を使う仕事をしたことが分かったんですか?たしかに私は、船大工から仕事を始めました」


「手ですよ。あなたの右手は左手よりかなり大きい。右手を使って仕事をしたために、そっちの筋肉が発達したのです」


「なるほど。嗅ぎタバコ、それから、フリーメーソンは?」


「私がどのように判断したかを聞いても、馬鹿にされたと思わないでいただきたいですね。特に、あなたは『弧とコンパス』のバッジを付けていますから、団体の厳格な規律をちょっと逸脱していますね」


「ああ、本当だ・・・忘れていました。しかし書き物は?」


「右袖口が10センチ以上テカテカで、左ヒジのちょうど机の上に置く場所あたりに、すべすべした当て布が縫いつけてあります。多量の書き物以外には考えられないでしょう」


「なるほど、で中国は?」


「右手首のすぐ上に魚の刺青がありますが、それは中国でしか彫れなかったはずです。私は刺青の文様を少々研究していて、刺青に関する論文を寄稿したこともあります。その赤いウロコの繊細な着色は、中国独特です。さらに、懐中時計の鎖に中国の硬貨がぶら下がっているのが見えて、これが決定的でした」


ジャベズ・ウィルソンは激しく笑い出した。「なんだ!」彼は言った。「最初はものすごい推理力だと思いましたが、結局たいしたことではなかったんですな」(コンプリート・シャーロック・ホームズより)

☆☆☆


これはホームズが、依頼人のウィルソン氏を観察してその人となりを「推理」するくだりです。いろんなエピソードのなかでホームズはこれをよくやります。言い当てられた依頼人はあっと驚き、ホームズの卓越した推理力を信用してしまうのです。いや、依頼人ばかりでなく、物語を読んでいる読者もホームズを信用するでしょう。


 すごい推理力だ!


 でも、じっさいは「右手が左手より大き」くなる理由は、力仕事以外にもいろいろあるし、ウィルソン氏のもつ人と異なるさまざま特徴を、本人がうっかり忘れているなんてことはまずあり得ませんから、ホームズの推理は外れることもあるだろうし、依頼人がホームズの推理に驚かないケースもあるはずなんですよね。


 冷静に考えるとホームズの推理には、ストーリー上のこじつけが多分に含まれているわけ。


 ただ、シャーロック・ホームズ・シリーズの素晴らしさは、こうした眉唾な状況設定をおかしいと感じさせず、とてもリアルな物語として読ませてしまうコナン・ドイルの卓越したストーリー・テリングにあるのです。コナン・ドイルって、すごいんですよ、物書きを目指す者として爪の垢を煎じて飲みたいくらい(笑



 アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』

 言わずと知れた名探偵シャーロック・ホームズが大活躍する短編集。なかでも「赤毛組合」は、そのトリックの荒唐無稽さが楽しい傑作。シャーロック・ホームズを未読の方がいたら、まずこの本をおすすめする。


 アーサー・コナン・ドイル(1859-1930)は、イギリスの作家。「シャーロック・ホームズ・シリーズ」の作者として有名。青山剛昌『名探偵コナン』の主人公江戸川コナンの名は、コナン・ドイルからとったもの。(江戸川乱歩からは、苗字をとってますね)

 じつはSF作家としても優れた作品を残している。『失われた世界』、『マラコット深海』、『毒ガス帯』などは一読の価値あり。



次回は、吉川英治『三国志』を取り上げます。

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