繋がれたのは、汝かそれとも

ハル

 

 何日も何も食べていないとか。

 何日も眠っていないとか。

 何時間も排泄を我慢しているとか。


 生きものとしての根源的な欲求が満たされていないとき特有の圧倒的な苦痛が、朝からずっとリオネルを苛んでいた。


 はちきれそうなほど膨らんでいる分身をしごき、Ωオメガだけが分泌できる蜜で濡れそぼっている後ろを掻き回したい。

 ――いや、掻き回すだけでは足りない。

 指よりももっと大きな、リオネルのそこを隙間なく埋め尽くしてくれるものが欲しい。


 だが、後ろ手に革の手枷を嵌められて壁に繋がれたリオネルにできるのは、身をよじって内腿をこすりあわせることだけだ。


 口には猿轡を噛まされているので、舌を噛み切ってみずから命を絶つという最後の手段にうったえることもできない。


(もういやだ、助けて……!)


 とうとう、Ωオメガの自分にも惜しみない愛情を注いでくれた母を処刑し、無邪気に慕ってくれた妹と引き離した仇に救いを求めてしまう。その仇の子どもを孕まされるかもしれないという恐怖すら、リオネルの渇望を止められない。


 小さな明かり採りの窓から月光が差しこんできたころ、ガチャリと錠の開く音がした。重く厚い扉が軋みながら開き、リオネルが誰よりも待ち焦がれていた男が、同時に誰よりも憎んでいる男が現れる。


 癖のない漆黒の髪に、今宵の月光にも似た氷蒼色アイスブルーの瞳。いかにもαアルフアらしい、名匠が精魂こめてこしらえた彫刻に命が宿ったのかと思われるほど端麗な容姿。


 ――革命政府の指導者のひとり、アドリアンだ。


「気分はどうだ?」


 言いながら、アドリアンはおもむろにリオネルの猿轡を外した。


「最悪に決まってる!」


 噛みつくように言ったリオネルだったが、


「だから、早く……!」


 その声はすぐに淫らに震えるものへと変わってしまう。


「早く……何だ?」


 アドリアンは愉快そうに言って顎を上下させ、リオネルのなかでは理性と本能がせめぎあいはじめた。数か月前まで繰り広げられていた国王軍と革命軍の戦いに、勝るとも劣らぬ熾烈さで。

 だが、


「話をする気がないなら行くぞ。私も多忙な身だからな」


 アドリアンが腰を上げようとしたことが、リオネルの理性に致命傷を負わせ、戦いの決着をつけた。


「い、行かないでくれ……!」


 アドリアンは冷ややかにリオネルを見下ろし、


「それがひとにものを頼むときの言い草か? 全く、いつまで王族のつもりでいるのやら」


 大袈裟に肩をすくめてかぶりを振った。一瞬頭に血が上ったが、息も絶え絶えとなった理性には、もはや反抗する力など残っていない。


「行かないで……ください……」

「行かなければそれだけでいいのか?」

「行かないで……だ、抱いてください……」


 リオネルが屈辱的な懇願を絞り出すと、アドリアンはふっと表情をやわらげた。壁から手枷を外し、脱いだ長套マントを床に敷いてリオネルを寝かせる。その手つきは意外なほど優しかったが、むろんリオネルにはそんなことに気づく余裕はない。いや、余裕があっても、リオネルは自分に対するアドリアンのふるまいのなかに、決して優しさなど認めはしなかっただろう。


 白くなめらかな喉からくっきりと浮き出した鎖骨へと、アドリアンは唇を這わせ、その下で熟している小さな紅い果実のひとつを舌で転がし、もうひとつを指でつまんだ。


「あああっ……!」


 それだけでリオネルは軽く達してしまったが、さんざん焦らされた発情期のΩオメガの欲望が、その程度で満たされるはずもない。潤んだ鳶色の瞳でアドリアンを見つめ、引き締まった腹に白濁を纏った分身をこすりつけた。


「その恰好では腕を痛めるぞ」


 アドリアンにそう言われてうつぶせにされたリオネルは、今度はみずから腰を上げて臀部を突き出してしまう。それでもアドリアンは、雨に打たれたマーガレットのような後孔のまわりを撫でるばかりで、


「むり、もうむり……くるっちゃう、こわれちゃう……しんじゃうよぉっ……!」


 リオネルはいとけない子どものように泣き出してしまった。本当に正気を失いかねないと思ったのか、アドリアンはようやく少女のようにくびれた腰を摑み、リネオルに負けず劣らず猛り立った、リネオルよりもずっと逞しい分身でつらぬいた。


 苦痛と背中合わせの快感をうったえる、悲鳴と紙一重の嬌声が、牢の無機質な壁にこだました。


     ***


 先刻のいとなみを回想し、股間の疼きと胸の痛みを覚えながら、アドリアンはブランデーを注いだグラスを傾けていた。それが、いとなみと呼ぶにはあまりにも乱暴なものだということはわかっていたが。


 はじめのうちは、その日のパンにも事欠いている民衆を尻目に暖衣飽食だんいほうしよくし、戦争に莫大な金をついやしてきた王族への怒りと、革命政府に生殺与奪の権を握られても、必死で気丈にふるまおうとする少年を思うまま蹂躙してやりたいという征服欲しかなかった。すぐに飽きて足も運ばなくなるだろうと思っていた。


 それなのにいまでは、リオネルのいない人生など考えられなくなっている。泣き顔も怯える顔も、自分を睨む顔も快楽に溺れる顔も可愛いが、喜びや幸福や親愛の表情も見たいと思うようになっている。


 だが、リオネルが自分に好意を寄せてくれる日など訪れるはずもない。二人がふつうの恋人同士になどなれるはずもない。無理やりつがいになれば自分にしか発情しないようにはさせられるが、恋心を芽生えさせることはできないし、だいいち革命政府の仲間たちに二人とも処刑されてしまうだろう。


 リオネルを失いたくなければ、まがりなりにもリオネルに求められたければ、いまのように鎖と快楽で繋いでおくしかないのだ。


 これでは、繋がれているのはどちらなのかわからないな……。


 自嘲の笑みを浮かべたアドリアンの喉を、ブランデーが熱く冷たく灼きながら通り過ぎていった。



〈了〉

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