第7話 指切り
おそらくは建築家か庭師の遊び心なのだろう。
無駄に広い中庭には、草木に覆われる形で四畳半程度の小さなスペースが隠されていた。
「やっぱり、ここにいたか」
頭についた木の葉を払いながら声をかけると、膝を抱えて座っているマリィが顔をあげた。先ほどまで泣いていたのか、目元が赤く腫れている。
上目づかいでこちらを見ると、
「カレルにぃ……」
そう呟いて、下唇を噛んだ。
「親父殿が面白いくらいに狼狽していたぞ。ありゃ明日には頭髪前線が後退しているね」
「……」
冗談めかしてそう言ったが、マリィは俯いた。
どうやら軽妙な会話に参加するほどのテンションではなかったようだ。
妹は今、ある行事への出席を控えている。それでナイーブになっているのかもしれない。
優れた魔法の才ある人間は数年に一度、王宮から直々に『御前礼術』という行事に招待される。それは、王族などの高位の人物が観覧する中で魔法の腕を披露する、いわばコンテストのようなものだ。建国以来長々と続いてきた歴史があり、招待された者はそれだけで将来の栄達を約束される格式ある祭典だった。
そんな祭典に、マリィは史上最年少の十歳という若さで招待されていた。もちろん、これは異例なことだ。普段は厳めしい顔を意識して作っている父親が、見ていて恥ずかしくなるほど鼻の穴を広げて大喜びしたほどだった。そのままの勢いでご近所さんにこの快挙を満面の笑みで伝えて回っていくものだから、この辺りの住民はみなそのことを知っている。
が、いざ出席のための王都への移動を目前にすると、肝心のマリィが失踪した。当然、家中は大騒ぎ、父親は顔を真っ赤にして半ば存在しない者扱いだったおれに対してもマリィを探すよう命じていた。
それで今に至る。もともと心あたりはあったので、探そうと思えばすぐだった。妹は内心と現実の折り合いがつかなくなると、この「隠れ家」に逃げ込むことがよくある。
おれは頬を掻きながらしゃがみこんで胡坐をかいた。
「それで、どうしたんだ。話を聞くことぐらいならできるぞ」
ここで相談相手になると断言できないところが哀しいところだ。人生二週目ではあるけれど、含蓄のある人間と言うには嘘もいいところだ。せいぜい壁打ち相手が関の山なのである。
促すと、マリィは芝の生えた地面をじっと見つめて、やっと聞き取れるくらいの声でぽつりと言った。
「……王都に行きたくない」
「あー……それはやっぱり、祭典に出たくないから?」
マリィはこくりとうなずいた。
マリィが招待された経緯は特殊だった。ふつうなら学院で推薦されるなり、実戦で結果を残すなりして招待されるところをすべてすっ飛ばしていた。前世で例えるならば、公園で何も考えず遊んでいたらいきなりスカウトされてオリンピックの強化選手に指定されるような話だ。心の準備もできない間に大事になり、徐々に培っていくはずの自信を得られず心細さを覚えている、ということなら凡人たるおれにも理解できなくはない。
「だって、凄い人相手にして競わなくちゃいけないんだもん。期待に応えられなかったらどうしようって。怖いよ……」
「お前もその凄い人の一人なんだって。それに期待だってもう十分応えてるだろ。出場するだけでもう一生分だぜ?」
少なくとも、おれには一生応えることのできない期待だ。しかも最年少だ。単純に考えれば才能だけなら最も凄い人ということになる。
マリィは膝を抱え込む。
「でも、お父様は、絶対それ以上を期待してるもん……」
「……ああ……まあ、アレはね」
何も反論できんかった。
習い事において子どもより必死な親というのは案外珍しくないが、うちの父親もその手のたぐいの男だった。少しは子どもへの配慮とかいう奴をやって欲しいものだが、そんなものは知ったものかと重々しくねっとりとした期待感を隠そうともしない。なんなら、才人集まる御前礼術でも優勝して当然とまで考えているのではないだろうか。
ここに関してはあまりに期待外れな不肖の息子の反動かもしれないので、強く出れないところがあるが。
「だけどまあ、今回ばかりはこうして隠れ続けるわけにもいかないぞ。自分でもわかっているんだろう?」
俺の言葉に、マリィは言い返すことなく、再び俯き黙り込んでしまった。
マリィを無理やり父親の前に引っ張り出すつもりはもとよりない。が、そのままサボタージュを勧めるわけにもいかなかった。なにしろ、招待という名の勅命なのだ。特別な理由もなく断るとなるとマリィの将来に暗雲が立ち込める可能性は高い。
マリィ自身もそのことは十分理解しているはずで、しかし心がついてきていない。そういう状況なのだろう。
どうしたもんかと思う。
が、どうするも何も結局自分がしてやれることは限られていた。
「ほら、ご褒美用意しとくからさ」
「……ご褒美?」
濡れた瞳でマリィはじっとこちらを見る。
もちろん、おれが用意できるご褒美といえば一つしかない。
「マリィの好きなお菓子ならなんでも作っておくよ。家に帰れば甘いおやつがあると思えば、少しはやる気出るだろ? おれならめっちゃ出る」
「……マリィもうお菓子に釣られるほど子どもじゃないもん」
不貞腐れたように発せられるその言葉に、おれはチッチッチ、と指を左右に振る。
「わかってないなあ。むしろ大人は自分の機嫌を取るために甘いもので自分を釣るもんなんだ。辛い社会の荒波を乗り越えるためにな。お菓子どうこうで大人子どもを断ずるのは、逆に子どもだよ子ども」
そう言うと、マリィはムッとしたような顔をしてこちらをにらんだ。この年頃は、何かと大人ぶりたいところがある。子ども呼ばわりはカチンと来るのだろう。
とはいえ少女のにらみつけるなどで防御の下がるおれではない。構わず、続きを問いかけた。
「で、どうする? 不安を乗り越え出場できましたで賞。いらないってんならそれでいいけど」
「……」
マリィは沈黙し、しばらく考え込むような間を置いた。
それで、結局観念したのか、
「――じゃあ、プリン」
むすっとした顔でぼそりと口にした。
「プリン、作っておいて」
「はいはい、プリンね」
なんとなく予想はできていた。五歳で口にしてから、プリンはマリィの好物の一つである。
おれはほとんど無意識に小指を差し出していた。
マリィはきょとんとした表情を浮かべる。それを見て、そういえばこの地にこの風習はなかったな、と思う。
「遠い異国の約束のしるしだよ。小指を出して」
そう指示し、素直に差し出されたそれに、おれは小指をひっかける。
そして、軽く上下に揺すりながら、おれは歌った。
「はい、じゃあ、指切りげんまん――」
◇
そんなこともあったなと思い返しながら、現在。
「なにここ? ウサギ小屋?」
部屋に入るなりなかなかのパンチラインを飛ばすのが、十五歳になった我が妹だった。
「これが庶民の部屋ですよお嬢様」
従者めいた口調で返しながら、おれは隅っこに置かれた木椅子を部屋の中心まで運ぶ。
長旅に疲れたと語るマリィにその椅子を勧めるも、ガン無視。代わりにベッドの状態を確認するマリィは、やがて妥協するようなため息をつくとそこに腰を下ろす。仕方なく、おれが椅子に座る形になる。
マリィはきょろきょろと狭い部屋やぼろい木窓やきしむ床板を見まわし、やがてじっと射るような目を向けてきた。
「それで、家から逃げ出した兄さんは今まで何をしていたの?」
どことなくトゲのある口調で、妹は切り出す。家出をしたのはお互い様では、という疑問はそっと心の内にしまっておく。話が進まなくなりそうだからだ。
「何してたって、普通に街道を歩いて移動して、荷運びなんかの仕事で日銭を稼いで、この街に着いてからは、ずっとここで働いてる。そんだけ。大冒険みたいなことはしてない」
「働くって、何をして?」
「給仕だよ。注文取って、料理を出して、皿を洗って、賄い作って――」
「ずっと? 毎日毎日?」
「いや、定休日はあるから週六で」
マリィはそこでひと呼吸おく。
「――それが家を出てまでやりたかったことなの?」
おれは肩をすくめた。
「まあね。こう見えて結構楽しくやってるよ。ここなら甘いもの口にして文句言われることもないし」
「……」
さて、矢継ぎ早の質問には答えたことだし、次はこっちの番だった。
「それで、マリィの方はどうなんだ?」
そう言って水を向ける。
とたんにむっつりと黙り込むのが妹だった。
「マリィ? 聞くだけ聞いてだんまりはフェアじゃないんじゃないか? おーい、聞こえてるか?」
目の前で手を振ってみるも、顔を逸らして反応しない。耳元で叫んでもみるが、そこまですると鬱陶しそうな顔をして、ベッドにばたりとうつ伏せで倒れ込んでしまった。
そのまま枕に顔を押し付けて、拒絶体勢に入る。取りつく島もなかった。
「――自慢じゃないが、おれは何も言われなきゃ何も察せない男だぞ」
そう言っても、反応は返ってこない。
ヨキさんには積もる話もあるだろうと言われていた。しかし、さすがにこんな亀状態に入られては積もる話も崩しようがない。
こりゃ時間を置く必要があるかなと思い、椅子から立ち上がり、部屋から出ようと扉に手をかける。
「ぐえっ!」
突然首が締まって、潰れたウシガエルのような声が喉から出る。
咳き込みながら振り返れば、さっきまでベッドに突っ伏していたはずの妹が、音もなく後ろに立ち、おれの襟首をつかんでいた。
「いきなり後ろに立って襟を引っ張るな、びっくりするから」
苦言を呈するが、マリィは半ば無視して、
「――どこ行くの?」
そう尋ねてくる。
おれは階下を指差す。
「どこって、仕事だよ仕事。これでもこの食堂の戦力なんでね」
説明すると、マリィは感情の読み取れない表情のまま、そっとおれの首元から手を離した。
おれは扉を開けて部屋を出る。そこで一度振り返り、
「腹が減ったら降りて来いよ。ヨキさんに食事頼んでおくから」
そう伝えるもマリィは目を逸らして踵を返し、再びベッドへとダイブする。
十五のマリィの気難しさに、おれは軽くため息をつきながら後ろ手で扉を閉める。
何か気晴らしでもさせた方がいいだろうか。明日は定休日だし街の案内でもするか、などと思いながら、おれは階下に降りた。
◇
「とりあえずエール」「俺もそれで」
「はいはい――エール二つ!」
「兄ちゃん。こっち、ぶためと煮豆」
「はいよ。ぶためいち! 煮豆いち!」
「注文いいかあ! 豚の串焼き、芋とベーコンのグリル、スープ肉まん!」
「豚くし、グリル、スープ肉まん……ご注文は以上で?」
「モヒモヒはまだ残ってる?」
「ええ、まだたっぷり。量はどうします?」
「ダブルで」
「モヒモヒダブル!」
厨房に向かって声を張りあげながら、ピーク時の注文を捌き、間もなくカウンター並べられる注文の品を、素早くテーブル席へと運んでいく。
「店員さん! 注文おねがい!」
「はぁい、ただいま!」
常連客や旅人たちでにぎわう店内の注文を捌くのはなかなか骨ではあるが、給仕歴も気付けば五年になる。今となっては慣れたものだった。
これが『家を出てまでやりたかったことなのか』と妹は言っていた。
それはもちろん、と自信をもってうなずける。
もともとおれは小市民気質。あの無駄に気詰まりしてお菓子禁止の実家でうだうだするよりも、こうして立ち働いている方が性には合っていた。
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