第6話 リオール②
「『王国歴一〇〇〇年。青の月。外界より太古の支配者来たりて、人類は死滅する』、ねえ」
男の声がした。
「へへ、奴らマジでこれ信じてるんすかね」
「信じてるから、スケープゴートに無垢な子どもが欲しいってんだろ。俺らはそれに応えるだけ。需要と供給ってやつだな」
「そんな需要がある世界なんざ、いっそ滅んだ方がいいんじゃねえか、ええ?」
「供給する側が言うことじゃねえがな」
「違えねえ、ハハハ」
下卑た笑い声が複数聞こえた。
すすり泣く声も聞こえる。布か何かを口にかませているのだろう。くぐもったその声には、悲痛な響きが混じっていた。こちらもまた、一人や二人ではない。
部屋の中には、人攫いの一味が六人。地面に転がされる形で拘束されている子どもが五人。
聞き耳を終え、壁から身体を離した。
「作戦は?」
小声でニコが尋ねるので、私は腕を組んで少し悩んだ。
私たちは二人、敵はその三倍。しかも救助対象までいる。普通に考えれば、慎重に事を運んだ方がいいのは明らかだ。
が、よくよく考えれば、そもそも私に作戦を考える頭はない。
結局やることはいつもと変わらない。思考を打ち切って、回路に魔力を流した。
「強く当たって、あとは流れで」
「……はいはい」
呆れたような声を背に、私は躊躇なく全力で扉に蹴りを放つ。木製の扉は粉々に砕け、派手な音を立てた。
敵もバカではない。反社会的な立場だという自覚がある分、迎撃態勢に移る速度には感心するものがあった。
立っていた者はそのまま、座っていた者は立ち上がり、腰に佩いた剣を抜き去り――
「なんじゃワレェッ!」
怒号が、部屋の中に響いた。
その声に負けないよう、大声で叫んだ。
「――年貢の納め時だオラァ!」
討ち入りの始まりだった。
◇
討ち入りは終わった。
「ご、ごべんなばい……」
顔面にそれぞれ一発叩き込んでから、すっかり意気消沈した悪党どもを縛り上げ、地面に転がす。
余裕のよっちゃんである。
こちとら裏ボス戦を想定してこれまで鍛えてきた人間だ。今さら、ただの人攫いに手をこまねく理由など何ひとつなかった。
子どもたちの、安堵からくる泣き声を背に、私は地面に転がる一味の頭目の前に立った。
「おい」
「へ、へえ」
「おまえ、赤衣の女を知っているか?」
男は、困ったような顔になった。
「赤衣の女、ですかい……?」
「そうだ。ちょっと近づきたくないタイプの、派手な色合いの赤い外套の」
なにやら必死に脳内を漁るように目を泳がせるが、結局思い至らなかったらしい。
「いや……知らねえです。そんな派手なら覚えてるはず……」
そして、それは期待した回答ではなかった。
「……何か隠してるんじゃないだろうな。嘘つくと、これだぞ?」
軽くシャドーボクシングをすると、頭目は小刻みに顔を横に振った。
「いえいえいえ! 滅相もない! 本当に知らねえんです!」
超重量の鉄球が目の前で振り子運動でもしているかのように男は顔を引きつらせる。
この世界――「せいマギ」では、大まかに分けて戦闘技能が二つある。魔力を体外に放ち、「ファイアーボール」などを発生させる魔法型。そして魔力を体内で循環させ、肉体を強化する戦士型。この二系統だ。これらを両方を追えば器用貧乏になりかねず、ゲームではどちらか一方に絞って鍛えるのがセオリーだった。
そして、私が選んだのは戦士型。その結果、私の拳は軽くグリズリー並みの威力を秘めていた。
「横のつながりとかで聞いたりもしてない? それじゃ、ちょっと困っちゃうんだけどなあ」
言いながら拳を近づけてみると、男は唇を真っ青にしてプルプルと震える。すでに一度ぶん殴ったあとなので、その威力は骨身に染みていることだろう。
「ほ、本当に何も聞いてないんですって、信じてくださいよ!」
しかし恐怖に慄きこそすれ、男は答えを翻すことはしない。
……どうやら、嘘はついていないようだった。
腕を引っ込め、大きくため息をつく。
「ここも外れ?」
保母さんのごとく子どもたちを引き連れて、ニコが尋ねてくる。
私は、力なくうなずいた。
「いまどきこの手の組織なんて、腐るほどあるからなあ……」
「ねえ、その赤衣の女って本当に実在するの? リオの“天啓”の中の話なんでしょ?」
天啓というのは、要するにゲーム知識のことだ。前世がどうこう、ゲームがどうこう説明するよりも、「神からの啓示」と言ってしまった方が早いと思って、以来そういうことになっている。どのみち荒唐無稽な話だが、この世界では神のせいにした方が通りがよかった。
「そのはずなんだが……ちょっと自信なくなってきたな……」
「放っておいたら、そいつのせいで世界が滅ぶんでしょ?」
「まあ、うん」
十年前から滅びを回避するために動いている私は、比較的早い段階でこう考えるようになっていた。
――バカ正直に、バカ強い裏ボスと戦うより、そもそも裏ボスと戦わなくて済むように立ち回った方がいいのでは? と。
つまり、赤衣の女――もといやがて裏ボスとなる少女『マリアベル・ツェドー』の闇落ちを回避すればいい、という発想だ。
滅びは、才能あるが薄幸な少女が、なんやかんやあってハジけた結果、異界に封印されていた太古の支配者を解き放ち、『神喰らい』を成すことで起こる事象だった。
その「なんやかんや」を前もって防げるなら、こんな簡単な話はない。
だから、私は闇組織に殴り込みをかけて裏ボスとなる少女を探しているのだが、今のところ、成果はなかった。
なにしろ、せいマギのシナリオ成分は極めて薄い。もともとメインシナリオのようなものは存在せず、各地に点在するジャーナルやフレーバーテキスト、固有NPCの依頼などの断片から、プレイヤーが想像で補完するタイプのゲームだった。
そのため、裏ボスに関する情報も、ジャーナル『ある少女の日記』という資料が五ページ分あるのみ。
内容をかいつまんで言えばこうだ。
魔法師の家系に生まれた五人兄妹の末っ子。隔絶した才能ゆえ、四人の兄に疎まれ、暗い幼少期を過ごす。『事件』を経て家を出た後も、美貌が災いしてトラブルに巻き込まれ、孤独な旅路の果てに心が澱んでいく。そして、ある日ついに殺人に手を染める。罪なき子どもを生贄に捧げるカルトと出くわし、その信者たちを皆殺しにしたのだ。以降、彼女は転げ落ちるように破滅の道を歩んでいく。
私はそんな数少ない情報をもとに、マリアベルの行方を追っているところだった。
今日で空振りも七回目だ。
さすがに焦りが募ってくる。
私はプルプルと震える手で頭を抱えた。
「うぁああああ、残り時間が三年切ったァ!」
突然の大声に、縛られている男どもも、ニコに泣きついている子どもたちも、みな一様にビクリと身体を震わせた。
現在、王国歴998年。滅びまで、三年を切っていた。この世界がゲームだと気づいた時には、十年分の余裕があったが、それもすべて使い果たしてしまっていた。
この十年でそれなりに強くはなった。しかし、万が一裏ボスと戦うとなれば、まだまだ心許ないレベルであり、準備が万全とは口が裂けても言えない。
迫りくる制限時間に、もう頭がどうにかなりそうだった。
「うあああああああ! うおおおおおおおお! うひいいいいいいい!」
私は叫ぶ。
慌てたような声で、ニコが私の肩に手を置いた。
「ちょ、ちょっとリオ。やめてよ、こんなところで。子どもたちが見てるのよ」
実際、突然発狂した私の姿に、子どもたちは不安そうな表情を隠していない。
それはよくなかった。私は両手で顔を覆う。
「ああああああぁぁぁ――……」
叫びながら息を吐き切って、しばらく黙り込み、それから――いないいないばあの要領で手を開く。
意識して無表情を作ることで、急激に精神が沈静する。私は「スンッ」とした顔になっていた。
最近会得した、精神を安定させるためのルーティンである。
ニコに向かって、冷静な口調で言った。
「さて、じゃあさっさと帰るとするか。子どもたちも親元に返さないとだし」
ニコは明らかに引き気味の顔でつぶやく。
「いつ見てもきしょいわね……その情緒……」
「救世の重圧は小市民には重すぎるんだ。許してくれ」
変に溜め込んでもろくなことにならない。もやもやしたらとりあえず叫ぶ――それが健康の秘訣だった。
そのとき、ニコの服にしがみついていた子どもたちの中で、年長の少女が恐る恐る声をかけてきた。
「――私たち、おうちに帰れるの?」
私はニコと顔を見合わせてから、しゃがみこんで少女に目線を合わせた。
「ああ。私たちは君たちのお父さんお母さんに頼まれて、ここに来たんだ」
そう言って頭を撫でる。とたんに少女の目元に涙が溜まった。
「よしよし、辛かったね。さ、帰ろう。ご両親が待っているよ」
泣き出してしまった少女を腕に抱えて立ち上がる。そのまま部屋を出ようとすると、水を差す声があった。
「お、おい、おれたちはこのままかよ!」
地面に芋虫のように転がる悪党どもである。
「そのうちガードが来るから。反省の言葉でも用意しときな――さ、行こう」
抱き上げた少女に声をかけ、私は子どもを連れるニコとともに部屋を出た。
ぎゅっと抱きついてくる少女のぬくもりを感じると、この世界に滅んでもらっては困るという思いが、どうしても強まる。
やはり、本気で考えなくてはならない頃かもしれない。時系列が明言されているわけではないが、マリアベルが滅びへの決意を固めてからでは遅い。
思う。
説得できたなら、それでいい。しかし、もしそれが不可能だったなら――
――世界を救うために、人を殺すことは許されるのか。
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