バーバーサトウ
扶良灰衣
第3話
子供はなかなかできなかった。菫(すみれ)は吉窪(よしくぼ)との性交が楽しめるものになってきた。だが子供が欲しい気持ちが勝ったが、一方で面倒くささを感じていた。
妊娠したのは結婚から二年半後だった。菫か吉窪が子供に報われない体なのではないかと、訝しんでいたよしこのところにも吉報は届いた。
もう三カ月目に入っていた。菫はとても喜ばしい出来事に小躍りしたいぐらいだった。二年半も待ったのだ。夫婦で健康体だったのが嬉しかった。どちらにも悪いところがなかったのだ。吉窪は理容の組合で「佐藤さんは入れる穴、間違えているんじゃないか」などとからかわれていたからだ。
この時分、出生前診断などなく男か女かも分からなかったが、自分の中に別の生命が宿っていると思うと、じんわりとお腹のあたりが温かくなった。男でも女でもいい、この新しい生命は不思議な力を持っていた。何しろ自分の中に別の生命体がいるのだ。不可思議な感覚を覚えた。菫はなんでも食べた。つわりが酷くなるという米の匂いも嫌ではなかった。嫌な匂いも感覚も感じなかった。自分は鈍感なのかしらと思ったこともあったが、明るい未来を漠然と思い描いた。そして身ごもった。生命の誕生だ、この神秘は累々と続いているのだ。なんと凄いことだろう。こんな風にして命を繋いできたのは奇跡のようなことのように感じるのに、生物はこれを当たり前のことのように紡いできたのだ。
そして菫はやはり妊娠し、蓮衣(はすえ)を出産した。第一子の誕生は菫の母のよしこも喜んだ。よしこにとっては初孫で可愛かったが女だった。よしこは次の子の誕生を願っていた。それは男をだった。これで子供ができることが分かったので、次こそは男と期待した。男なのだ。男でなければならないのだ。よしこにとって婿養子の吉窪は佐藤家のゲストでしかなかった。
よしこや菫の僥倖は蓮衣の出産から一年後にあった。よしこの目算通り、次の年には待望の嫡男、視世(しせ)が誕生した。
視世が産まれたことで、よしこは子供はもう要らないと思っていたが、菫は父の喜美次の弟子の内一人の女性が三人子供を持ったことを知って自分もそれ以上欲しいと思い。吉窪との性交を続けた。そのうちまた妊娠し、竹虎を産んだ。三人の子供を産んだ菫はやっと一息つけた。ずっと妊娠していたのだ。三人の子育ても大変だった。何年も子作りに励んだのだ。吉窪もほっとしていた。さあ子育てに専念だと思っていたが、子育ては大変な作業だった。とても一人で出来るものではない。菫は嫡男の視世の世話は母のよしこに任し、長女の蓮衣(はすえ)と次男の竹虎(たけとら)の世話を主にした。彼らの世話で睡眠時間も削って慌ただしく毎日を過ごした。三、四年多忙に過ぎていったが面倒くさい事に吉窪の夜の相手もしなくてはいけなくなった。何回か断り、何回かに一度は相手をしなくてはならなかった。子供はもういいと思っていたが、子供ができるなら女であって欲しかった。何がなんでも、どうしてもだ。子育てに一生懸命だったが、吉窪との性交は続いた。菫はまた妊娠してしまう、今度は女だ、と強く思った。どうやったら女が産まれるだろうか、人に聞いたり、本を読んで調べたりした。とにかく女を産むために何でもしようとした。
そのうち目算通り、女を妊娠して竹虎と年の離れた陽花(はるか)を出産した。竹虎と四才離れていた。
「あぁ、女の子でよかった」まだ名もない赤子の誕生の連絡を電話で知った時の吉窪の感想だ。「女の子が産まれて本当に嬉しかった」。赤子の誕生をとびっきりの気持ちを嬉々として思った。
吉窪は植物食に偏向し、菫は肉食に偏向して女の子が産まれることを願った。食事の偏向が女性の誕生に及ぼした影響に懐疑はあるが、後に「陽花(はるか)」と名付けられた赤子の誕生を菫と吉窪は喜ばしいよしこにとっても吉報として受け取った。
「お父さん、ごめーん」菫は病院に仕事が終わった後に駆けつけた吉窪に対して、赤子と対面させた時にいの一番に放った言葉だ。赤子の顔の目と口は臍の緒が切れたばかりの赤ん坊の面相を様していたが、問題は顔の中央にある二つの穴だった。「穴、穴、穴!!」 人間の鼻は赤子であろうともなだらかに幾らかは盛り上がっているのが特徴だ。しかし、この赤子には顔の真ん中にぽっかりと二つの穴しか空いていない。菫は団子っ鼻だったが、吉窪は綺麗に突出した形の良い鼻だったから、たった二つの穴しかない「鼻」の体をなしていない赤子の顔を菫が吉窪に対面させた時、思わず謝罪の言葉を口にしたのは道理に合っている。
たった二つの穴しかない赤子は、それでもよしこと両親の望んだ女の子だった為、愛情深く育てられた。産んだ菫が思わず言った吉窪への言葉「ごめーん」は赤子が成長すると杞憂に終わったが、母親の二つの穴しかない赤子に対する驚愕の想いは幾ばくかだったろう。計り知れない後悔が菫の心を揺すぶったろうか。
二つの穴の赤子はちゃんと鼻を形作って可愛い女性に成長した。その赤子の話しをする父親は幸せそうに笑っている。
よしこも菫も子供はもう充分という気持ちだった。四人で打ち止めという決心がついた。女二人に男二人これで充分だった。視世は三文安のおばあちゃん子になったが、それでも四人に十分な愛情を注いだ。
この兄妹の全ての名前はフェラーリ二台に乗っている僧侶が付けてくれた名だ。それは菫と妹の時雨(しぐれ)もよしこがお金を出して決めたことだ。
バーバーサトウ 扶良灰衣 @sancheaqueous
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