魔術書の修復依頼、少女付き
玻璃跡 紗真
第一章 目覚め
第1話 それは持ち込まれた
よく見る夢がある。
それがいつの記憶だったのか、もはや定かではない。
ただ、十年も前の記憶だという確信だけが、脳裏に焼き付いている。
魔術の輝きに心を奪われた夜。
紅く輝く光が夜空を裂き、まるで世界が一変するように感じた。
痛みも忘れて駆けだしたあの瞬間。あれだけは、今でも鮮やかに覚えている。
『走り続けて―――魔術は、必ず応えてくれるから』
記憶に染みついたあの声に、思わず手を伸ばす。
だが、決して届くことはない。
そして、いつもの様に理解する。これは夢なのだと。
―――終わりが近い。
最後の瞬間、意識が現実へ引き戻される直前。
届かぬと知りながら、それでもなお声へと手を伸ばす。
あと少し―――、
「っ………いてッ!」
浮遊感の直後、鈍い衝撃と共に全身を貫く痛みが現実へと引き戻した。
どうやら、椅子から落ちたらしい。
痛む身体を押さえながら、床に散らばった魔術書と書類を見てため息を吐く。
「また寝てたのか………」
机に広げたままの魔術書に、書きかけの術式。
この惨状は、さすがに見逃してもらえないだろう。
「これは少し、怒られそうだな」
見つかる前に早く片付けなければ。
そう考えるには、時すでに遅く。
「これは一体どういうことか、説明して頂けますか?」
振り返ると、開かれた扉の向こうに冷ややかな笑みを浮かべる白髪の少女。
―――メリアが立っていた。
遅かったか………。
「お、おはよう。メリア」
「はい。おはようございます、ウォルトさん」
ただの挨拶なのに、背筋がひやりと凍る。
「昨晩、私が言ったことは………もうお忘れですか?」
「い、いえ………その………」
忘れたなどとは、口が裂けても言えず。
記憶を必死に呼び起こす。
だが魔術の術式ばかり思い起こされ、会話の内容は何一つ出てこない。
それでも、推測して言わなければならない。
「寝るなら………ベッドで寝なさい?」
「それだけですか?」
まだ何かある物言いに、背筋が凍り付く。
なんだ。何を言われた? 思い出せ。思い出すんだ。
必死に記憶を手繰り寄せ、恐る恐る答えを導き出す。
「………片付けをしなさい?」
捻りだした答え。
その正否や如何に………。
「はぁ……」
ため息。
その音だけで敗北を悟る。
「すみませんでした!!」
素直に頭を下げ、謝罪を口にする。
全ては自分が悪いのだから、躊躇う理由はない。
「はぁ……仕方ないですね。ご飯の準備はできています。
先にお風呂に入ってきてください」
「ありがとうございます!」
赦された。
その言葉に安堵し、手にした生の実感を噛みしめていると、
「昨晩は人並みの生活を送ってください。そう言いました。
意味が分かりますか?」
再び冷ややかな声音で釘を刺される。
「はい」
人並みの生活―――
一日三食、風呂に入り、質の良い睡眠を取ること。
だが自分は睡眠時間を削り、食事も風呂も忘れて魔術書に没頭する日々を送っていた。
「次からは気を付けてくださいね」
「ぜ、善処します………」
そう答えつつも、難しいなと内心思いながら風呂場へと向かった。
--- ---
「ふぅ、さっぱりした」
風呂から上がり、風の魔術で髪を乾かす。
伸びた茶色の髪を一つに纏め、肩に掛けた。
「いい匂いがする」
美味しそうな香りが鼻孔をくすぐる。
メリアが準備してくれている朝食に期待を膨らませながら、リビングへと向かう。
「さっぱりしたようで何よりです。朝食できてますので、早く食べましょう」
目が合うと、メリアはそう言ってテーブルの向かい側に座った。
テーブルの上には、朝取ってきたであろう山菜にパンとスープが並べられている。
「今日も美味しそうだ。いつもありがとうな」
「はい」
返答は素っ気ない。けれど、どこか嬉しそうな表情に安心して自分も席に着く。
「恵みに感謝を」
「恵みに感謝を」
二人で祈るように手を合わせてから、朝食が始まった。
山菜をフォークで口に運び、スープをひと口飲む。
パンをちぎってスープにつけたり、つけなかったりしながら食事を進める。
「ウォルトさん。今日のご予定は?」
「いつも通り、魔術書を漁って依頼の魔術式を完成させる予定だな」
個人で経営している魔術専門店。
持ち込まれた魔道具や魔術書に記された魔術式の修復や改良が、主な仕事となっている。
そのため今日は、先日預かった魔術式の修復を終わらせることが最優先事項だ。
「そうですか………」
なぜか、メリアの声が少し沈んだ。
気に障るようなことを言った覚えはないのだが。
「メリアの今日の予定は?」
「山を下りて、街へ食材の買い出しに行こうかと」
「そっか。そういえば、前に渡した荷物を軽くする魔術。どうだった?」
「効果はありました」
どこか歯切れの悪い言い方。
「問題でもあったのか?」
「………はい」
つまり、失敗だ。
それは改良の余地が残されているということ。
まだ手が加えられることを嬉しく思いながらメリアに問う。
「何が問題だった?」
「一人で持ち運べるということですので……その……」
相変わらず引っ掛かる言い方。
一人で持ち運べることに重きを置いたのだ。当たり前の話のはず。
何か前提から覆る重要なものを忘れていたのか?
一人考えを巡らせていると、メリアは少し視線を逸らしながら続きを口にした。
「寂しい……の、で……」
「え? ん? ……なるほど……確かに。一人よりも二人の方が効率はよくなる。魔術があってもそこは変わらない。話し相手が居た方がパフォーマンスが上がるというもの。今回、目指すべきだったのは軽量化魔術ではなく、
発想の転換。新たな着想に少し嬉しくなる。
「はぁ……バカ………」
メリアのため息に気づかず、食事を終えると食器を片付け、浮足立ちながら支度を整えていく。
「どうして出かける準備を?」
不思議そうにメリアが問う。
「うん? どうしても何も。買い出しにいくんだろう?
自動人形を作るには必要な動作、役割を理解しないと良い物は作れないからな」
「………そうですか」
呆れたような、それでいて少し嬉しそうな表情を浮かべるメリア。
彼女の支度が整い、自動人形の構想を胸に、ふたりで買い出しにでかけた。
--- ---
「紙袋を持つ際の力加減、腕の可動域や方向転換などの小回りの利く足の動き。荷物の偏りに関わらないバランスの設定。思ったよりも課題は山積みだな」
生活用品や食料を両脇に抱え、そう考察しながら山を登っていく。
「
「何を言うか。魔術の発展は、こういう小さな積み重ねなのだぞ。
それに、完成すればメリアの負担も軽くなるだろう?」
「それはもういいです。今は他にやることがあるでしょう?」
「……たしかに」
今日完成させるはずだった魔術式の修復はまだ手つかず。
依頼主が来るのは明日。メリアには悪いが、今日は徹夜かな。
そんなことを考えていたときだった。
「ウォルトさん。あれ」
メリアが指差す先に視線を向けると、帰るべき我が家が見えた。
その扉の前には、黒い装束の男がひとり、じっと立っている。
「お客さんかな」
「そのようですね」
二人で歩調を速め、家の前に立ち続ける男へと声を掛ける。
「お待たせしてすみません。何かご依頼ですか?」
「ああ」
「分かりました。では、中へどうぞ」
鍵を開けて扉を開き、男を店の中へ案内する。
「そちらの椅子にでも腰をかけてください」
「ああ」
「お名前をお聞きしても?」
「トレミー」
名乗った男は無口で、着ている衣服はほつれや汚れだらけ。
どうにも面倒ごとの匂いがする。だが、魔術に関わる依頼なら何でも請け負うのがこの店だ。
とりあえず、話くらいは聞いてみよう。
「それで今回は、どういったご依頼を?」
「これの修復。できるか?」
男が鞄から取り出したのは、真っ黒な魔術書だった。
まるで燃えた後のように煤け、表紙も背表紙もボロボロだ。
「……魔術式の欠損修復であればお引き受けできますが、物理的な本の修復は専門外でして」
そう答えかけたところで、トレミーは無言のままページを開き、一箇所を指さす。
「ここだ。できるか?」
「少し見せてもらえますか」
そう言って魔術書を受け取り、示された部分に目を落とす。
「……これは……」
見たことのない魔術。
一見すると魔法陣だが、構成しているのは古代文字を織り込んだ精緻な魔術式。
中央には、黒く塗りつぶされたような穴がぽっかりと開いている。
焼け焦げたようでもあり、意図的に空白を作ったようにも見える。
──これは面白い!!
「引き受けましょう」
「どれくらいでできる?」
「早ければ一ヶ月ほどかと」
「分かった。では、また取りに来るとしよう」
それだけ言うと、トレミーと名乗る男は席を立ち足早に店を出ていった。
「……本当に引き受けてよかったんですか?」
去っていく背中を見送りながら、メリアが訝しげな視線を魔術書に向ける。
「こんな面白そうな魔術書、逃すわけないだろう?」
「はぁ……。少しは仕事を選ぶべきだと思いますが」
「仕事を選んでたら、革新的なアイデアは産まれないからね」
この謎めいた魔術式には、未知の可能性が詰まっている。
どんな魔術が眠っているのか。思わず胸が高鳴る。
「早く解明して、完成させたいな」
「その前に、明日までの依頼を終わらせてください」
「あっ……そうだった……」
その夜、徹夜で依頼を仕上げた。
そして翌朝、メリアからたっぷり小言を食らうのだった。
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