今度は部屋の主がいないので、ノックはせずレバー式のドアノブを押し下げた。

 電気をつける。

 八畳ほどあるだろうか。がらんとしていた。一方の壁がまるごとクローゼットになっているから、それで収納は充分なのだろう。家具はベッドとちいさな机だけだった。

 ぱっと見は片付いている。

 けれど、クローゼットを開けてみると――なんとなく予想していたが――なかはひどい有り様だった。


 コート類はきちんとバーに掛かっているものの、その下の空間にはタオルや雑誌、部屋着などが無造作に押し込まれている。

 古いものが奥で、新しいものが手前にある。

 まるで地層だ。

「片づける」ことを「見えないところに押し込む」ことだと認識している点が、母とそっくりだった。


 バーにずらりと掛かった服を、ちょうどカーテンを開けるときのように左右に押し退ける。目的のコードは手前であっさり見つかった。兄本人が「あるかも」と覚えていたくらいだ。最近まで使っていたのだろう。

 そこまでは歓迎すべきことだったのに、その奥にあった、口の開いた紙袋をつい見てしまったのがよくなかった。


 インクのにおい。

 覚えのある色合い。

 なかには――。

 大量の万札が詰まっていた。

 束ではなく、裏も表も縦横さえもばらばらだった。雑な扱いと価値の大きさがちぐはぐで現実感がない。

 寝ていないせいで幻覚でも見ているのかと思ったが、何度瞬きしても、大金は消えることなく目の前にある。


 紙袋は左右非対称に歪んでいる。重さが一方に寄っているからだろう。側面には深いしわがよって、いまにも破れそうだ。

 蒼は目当てのコードを手に取ると、そっとクローゼットの扉を閉めた。


 ――関わっては、いけない。


 見なかったことにしよう。だれかに聞かれても「知りませんでした」と答えよう。

 蒼は手に負えないことには蓋をしてきた。いつも。


 ――だれかにって、だれだろう。警察の人? それとも、悪い仲間とか。


 蓋をして表面だけ平らにしても、その下には空洞が残っている。問題は地下で燻ぶっているままで、消えたわけではない。

 隠れて見えないだけだ。

 自分はその上を歩いている。

 兄の身になにかあれば、ここにはいられなくなるだろう。そうしたら、その先は?


 地元の駅で別れた母は、はしゃいだ声で言った。東京で新生活なんて、楽しみでしょう? よかったわね、蒼。

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