虎口脱出

 白鴉が前進を命じたのは黒依たちが富州に到着する一日前のことだった。


 无妄王の軍勢はなぜか町や村に残った住人を追いやっているという。その追いやった住人を追いかけ、追いついたら、容赦なく命を奪っていくという残虐な行為を繰り返している。


 徹底しているのは隊から何人か割き、未だ残ったもの、隠れたものがいないか、巡回しては、殺して回っていることだ。


 黒依たちが逃げるためには巡回している兵を避けつつ、无妄王の軍を追い抜かねばならない。


 富州北部の港町、蒲浦までたどり着ければ、そこからは流殞が用意した船に乗ることができる。幸い、住人を北へと追いやっているせいか、進軍速度はひどく遅い。


 黒依と敗残兵たちは富州に入ってから、まず手近な街に潜んだ。晦人たちはどうやら街の中を荒らすようなことはしなかったようだ。


 そこで黒依は電信機器を見つけた。どうやら軍が捨てていったものらしい。運がいいことに壊れてはおらず、月岡衆のみが知る周波数に合わせて、通信を始めると、返答が即座に帰ってきた。


「そのまま北上せよ。迎えのものがいる」


 返答はそれだけだった。黒依としてもそれを信じて、遮蔽物の少ない富前の湾岸沿いを北上するしかない。


 ただ、幸運の女神もそこでそっぽを向いたらしい。程なくして、晦人の一団と遭遇してしまった。数はおよそ十人ほどだが、普通の眞人に換算したら百人の部隊と同じ戦力がもはや逃げ場のない平地で相まみえてしまったのだ。


 しかも、彼らは无妄王から穂叢と陽輝のことを聞いてはいなかったのだ。无妄王とて、まさか自分らの後ろに彼らがいるとは思いようもなかった。その晦人らは奇声を発して、一目散に襲いかかってきた。


 黒依は短刀を腰から引き抜き、身構えた。自分一人なら戦うも、逃げるも自在だったが、この二人を守りながらとなると、いささかおぼつかない。


 そんなときだ、黒依の陰から陽輝が飛び出すと、銃を構え、集団に向かって発砲したのである。集団の一人に命中し、晦人は頭をのけぞらしながら、倒れる前に絶命する。


 だが、それが彼らの怒りを誘った。同胞を殺された彼らはさらにいきり立って、猛進してくる。


 今まさに黒依らに襲いかかろうとした彼らだったが、突然どこからかエンジン音が響いたかと思うと、何か黒いものが彼らに横撃を加え、彼らの身体は高速に水平移動しながら、吹き飛ばされた。


 晦人の代わりに現れたのは黒塗りの車だった。ドアが開くと、運転席に月岡衆の刺刀がいた。


「刺刀!」


「黒依、乗れ! 勇者様と姫巫女様もお早く!」


 三人が乗車したことを確認した刺刀はドアを閉めるまもなく車を発進させた。一度南に下ってから、車を急速反転させる。


「さあ、少し揺れますよ! 勇者様と姫巫女様は身をかがめて、衝撃に耐えてください!」


 刺刀はギアを入れ直すとアクセルを思い切りふかした。最初タイヤはただむなしくその場で回転するだけだったが、ブレーキを離した途端、タイヤは地面を噛み、急発進した。


 追いすがってきた晦人は鉄の猪に真正面からぶつかり、きりもみしながら、高速で車の後ろへと流れていった。残った晦人はそれ以上追撃はしてこず、彼らの姿は見る間に小さくなり、やがて見えなくなった。


 晦人の姿が周囲に見えなくなると、刺刀は後部座席に向かって声をかけた。


「もうようございますよ。勇者様、姫巫女様、ようご無事のお戻りで。主共々お喜び申し上げます」


「助かったよ。で、主ってことはあんたも流殞と関係あんの?」


「はい。主の命により、三人を迎えに参りました」


「うわ、マジかよ。あいつ、どんだけ人抱えてんだよ? こええなあ。もうあいつにイキるのやめておくわ」


 冗談めかして、陽輝は語るが、月岡衆の全貌を知れば、絶句するだろう。陽輝がそのことを知ることはついになく、帰途につくことになる。無事、蒲浦に到着し、そのまま船で北東へと進路をとった。

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