十商会合・後編

 流殞が仕掛けた罠とは十商に加入してすぐに会合で彼が提案した「十商および傘下企業の株式会社化」と、「証券取引所の設立」のことだ。


 商業の近代化という美名を餌に株式会社へと移行することの利点を並べ立てた。


 老獪な十商はさすがに流殞の甘言をそのまま受け取るようなことはしなかったものの、彼らの根底には常に店をいかに続かせていけるかという恐怖と圧迫があり、株式会社は危険の分散と資本の集中を兼ね備えた利点が彼らを動かした。


 何よりも株式を売却することで、手っ取り早く資金を手に入れられる、あるいは逆に他店の株を買い占めることで乗っ取ることができることも彼らの欲望をいたく刺激したのは間違いないところだ。


 会合で賛成多数で可決されると、瞬く間に体勢が整えられた。あくまでも外側だけであり、いかなる場所においても、初めて事が施行される場合、必ず不備が出る。


 流殞の狙いはまさしくそこにあった。不備を改善するために法整備をすることになるわけだが、それまでの間、流殞が元いた世界では違法とされる行為はやりたい放題ということでもある。なので、流殞はそうした。


 インサイダー取引、大口株主への詐欺まがいの懐柔、新聞などによる情報操作など、考えられることは何でもしたし、それらを禁止する法律ができたとしても、抜け穴を探したり、裏で手を回したりもした。


 一方で自社株を高騰させ、敵対的買収を困難にさせたり、株式を償却して、その株価を維持したりと、防御策においても抜かりはなかった。


 結果、流殞の肆之原商事は十商の内、榁屋こと榁戸海商と菊屋こと菊池鉱業の株式の過半数を手に入れ、実質的な子会社としている。完全子会社化しないのは十商での評決に役立つからだ。議決権の三割を押さえているのは非常に大きな利点となる。


 さらに有利な点は他の十商がその事実を知らないということだ。知っているのは三社が提携しているというところまでだ。公示しているので、十商ならずとも誰もが知っている話であり、秘密でも何でもない。


 三社の役割を考えれば、次のように推察できる。


 陸運の篠屋と海運の榁屋が手を組むことで運送業界を独占でき、採掘した鉱石の大量輸送手段を欲している菊屋が両者に提携を持ちかけたとあれば、誰もが納得しよう。


 そこで話が終わればよかったのだが、さすがに十商に列せられるだけあって、あまりにきれいにまとまった提携話に疑心を抱いた彼らは別の理由があるのではないかと勘ぐったのだ。


 勘ぐったまではいいが、彼らの情報収集はお粗末なもので、真相に辿り着くどころか、逆に流殞に誰が何を探っているのか、覚られる始末である。


 月岡衆の能力が優れている証でもあるが、こうワンサイドゲームだと、興ざめするもの事実だ。


 流殞としては十商体制を維持しつつ、優位を確立したまま、火花が飛び散るような駆け引きをしていくのも余興としては面白いと思ったのだが、彼らと顔をつきあわせるのもいささか食傷気味となってきた。時代の流れを読めず、ただ沈んでいく彼らが足掻くさまをただ見守るより、いっそ引導を渡したほうがいいのではないのだろうか。


 いずれ十商制度など破壊してやるつもりだったが、かねてよりの計画を前倒しに実行してもかまうまい。


 急な思いつきであり、社内での合意も取れてはいないので、後で大番頭こと最高執行責任者である五島正輔が卒倒してしまうかもしれないが、そこは何とか宥めるしかないだろう。


 流殞は唯一空いた席に陣取ると、机の上に両手を置き、不敵に微笑んだ。


「では、本日の会合は弊社が取り仕切らせていただきます。早速ですが、弊社から提案がございます。これは我が国の商業のさらなる発展が見込まれるものです」


 流殞の提案に、本人とすでに篠屋側にいる榁戸海商の榁戸嘉彦、菊池鉱業の菊池武郎以外、またかというようにうんざりした表情を浮かべた。


 流殞の提言がたしかに商業の近代化をもたらすものではあるにせよ、必ずしも彼らにとって都合のいいものではなかったからである。


 他方、十商にとって利益が出ることも疑いない。


 しかし、まるで流殞によって、時代の潮流を乗り切れない商人を選別するかのような態度は心底不快でしかない。より不愉快なのが、流殞の言葉の重みがあるので、どうしても聞き耳を立てざるを得ないことだ。


 注目の視線が流殞の顔面に集中し、次の句を待ちかねたかのように彼らがじらされた後で、流殞は再び口を開いた。


「今回、わたくしどもが提案するのは『株券の信用取引』でございます」


 流殞の言葉を何度か噛みしめた十商はその意味を把握した途端、急にざわついた。流殞の急な思いつきだったので、何も聞いていないとばかりに榁戸と菊池も驚愕の表情を浮かべ、流殞を凝視する。


 流殞はかすかに目配せして、謝意を示すと、菊池は不承不承と、榁戸は表情を改めて、ともに軽く頷いた。


 普段であれば、この程度の些細な違和感すら見過ごさない十商ですら、流殞の提案からの衝撃に立ち直っておらず、誰一人見咎めない。十商が冷静な判断力を取り戻す前にと、流殞は立て続けに第二の矢を放つ。


「皆さまがご存じのように、すでに商品の信用売買は行われており、証券の信用取引がどのような効果をもたらすのか、すでにお察しのことと思います」


 お察しも何も、十商はいずれもその成長過程において、自らの得意分野に引きずり込んで、商売敵などに信用取引を持ちかけて、巨利を得ていることから充分に予測はできる。無論、その危険性もだ。


 信用売買の恐ろしさは給付と反対給付に時間的ずれがあることだ。本来の商売は商品と代金が同時に交換されて成り立つ。


 信用取引の一例として、まず商品を先に渡して、代金を後で支払うというものがある。危険というのは商品の値段が変動することだ。


 例えば、単価百円の商品があったとする。買い手は商品を受け取った後、期日までに売り手に代金を支払うことになるのだが、その代金は商品が引き渡されたときではなく、買い手が代金を支払うときの時価となる。


 百円の商品が支払日に百五十円になっていれば、売り手は五十円の利益になるし、逆に五十円になれば、売り手は五十円の損失となる。


 畢竟、投機性の高い取引であり、値幅の差が大きいほどに売買ともに損益額は膨らむというわけだ。


 十商はこの制度を悪用して、納品した後に、減産などで価値を高騰させ、相手に高値で払わせるか、払えない場合は保証金没収の上に違約金を課して、潰したこともある。


 さらに最悪なのが、商品がなくても、取引が成立ししてしまう点である。これを空取引と言うが、行きすぎると、現物がないのに相場が変動してしまうため、需給の均衡が崩れ、実体経済が破綻する恐れもある。


 それを株券取引で行おうというのだ。今や、流殞に株式市場を散々に荒らされているこの状況で信用取引というのは危険極まりない。


 十商は少なからず動揺し、逡巡したが、逆転の目がないこともないのだ。いや、流殞と榁戸、そして菊池以外の十商が協調して当たれば、流殞の思惑を打ち崩せるかもしれない。


 言葉を交わさずして、流殞とその協力者を除く十商の全員の認識が一致した。そうと決まれば、この会合を早めに切り上げ、別に談合する算段をつけねばならない。図らずも流殞との思惑が合致し、全員賛成で篠屋の提案は受諾された。


 細々とした法整備は十商それぞれが法務責任者との会合で、草案を決め、十商連名の陳情で、議会での成立を目指すとの合意も達せられ、早ければ年内にも取引が始まるだろう。


 会合が終わり、他の十商の表情に希望らしき光を見いだし、流殞は内心で嘲笑した。


「馬鹿な連中だ。おれを潰すんなら、もう少し早くやるべきだったな」


 公表していないが、すでに篠屋の資産価値や資金力はすでに十商をはるかに凌ぐ。


 三年前、いや、一年前だったら、彼らに勝算はまだあっただろうが、見切りが遅すぎた。


 流殞を取り込むか、あるいは敵として扱うか、その判断を誤ったせいで、彼らはついに機を失したのである。


 十商は奈落へと続く道に自ら歩みを進めた。その先はどこにも続かないというのに、彼らは希望の歌を合唱しつつ、気分よく歩いているつもりなのかもしれない。


「まあ、せいぜい足掻いてくれ。おれの退屈を少しでも慰められるくらいにな」


 自らの死刑執行書に大きく墨書きで署名した十商など、流殞にとってはもはや退屈凌ぎの手段でしかなかった。

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