第2話-②
紫蘭は王宮の廊下をズカズカと無言のまま歩いていた。肩に乗っかっていたレンブラントを鬱陶しそうに手で払うと、着地と同時にレンブラントは人型へと姿を変える。
「……なんで猫になってんだよ」
「なんで、と言われましても、こちらが私の本来の姿ですので」
「……いつ人間辞めたんだよ?」
紫蘭は不機嫌に顔を歪めてレンブラントを一瞥すると更に歩く足を速めた。レンブラントは小さく肩を竦めると、紫蘭のペースに合わせて一歩後ろを歩く。
「機嫌悪いですねえ」
レンブラントが他人事のように言って小さく息を吐くと、紫蘭は被せる様に大きな溜息を吐いてみせた。
「そりゃ機嫌悪くもなるだろ。おまえも聞いてただろ? なんで俺が望まない方向に進もうとしてんの? 俺はやりたくないって言ってんのにっ」
不機嫌に吐き出した紫蘭の言葉に、レンブラントはやれやれと小さく肩をすくめて息を吐いた。
「そりゃあ、梨璃子さんには明確な目的がありますからね」
「……ああ、
紫蘭は忌々しそうに顔を歪めながら首元のネクタイを緩めると、レンブラントの言葉に、少しばかり逡巡する。恩賞が与えられるという話を知ってから、梨璃子の態度は明らかに変わった。朝は聞く耳すら持ち合わせていなかったのに、戻ってきたらすっかりゲームの虜だった。
「……めんどくさ。まあ、一人で勝手に頑張ればいいんじゃない? どうせ俺は何にもする気ないし」
手持無沙汰にネクタイに掛けていた指に力を入れ紫蘭が一気にネクタイを引き抜くと、
「それは聞き捨てならないなあ」
「⁈」
と、突然聞こえてきたレンブラントではない男の声に、紫蘭は思わず足を止めて振り返った。声から予想できていたとはいえ、紫蘭は視線の先に現れたその人物の姿に思わず苦虫を潰したような顔をすると、レンブラントは一歩引いて声の主に頭を下げた。
「蘇芳……と、ユリウス」
「やあ、紫蘭。順調かい?」
「こんばんは。紫蘭ちゃん、パートナーに会いに行って来たんですって?」
蘇芳とは対照的な白銀の髪を揺らしながら、蘇芳の使いであるユリウスが楽しそうにそう言った。喋り方は少し女っぽいが身長は紫蘭と変わらないれっきとした男であるユリウスは、どこか得体が知れなくて紫蘭は少し苦手だった。
「ほら、これ」
紫蘭は大きな溜息を一つ零すと、腕輪のはまった左腕をずいと蘇芳の目の前に差し出した。蘇芳とユリウスはきょとんとした瞳でそれを見る。
「これがどうかしたのか? 随分と不格好な腕輪だな」
「……見た目は関係ないだろ。ちゃんと
「
「どっちでも変わんないでしょ」
蘇芳が冷静に言い直すと、紫蘭はどうでも良さ気に小さく息を吐いた。蘇芳はもう一度視線を紫蘭の腕にはまる無骨な腕輪に落としユリウスと顔を見合わせると、真剣な表情で紫蘭を見た。
「おまえ、
「え? なに?」
蘇芳の言葉の意味は分からないがその紫蘭の態度がまた更にこの場の空気を悪くしたのを察して、紫蘭が真意を探るように蘇芳を見ると、蘇芳はその様子に大きな溜息を吐いた。
「自分のパートナーのことはちゃんと知っておけ。この話題は本来センシティブなものなんだよ。特に当事者にとってはね……それで、その彼女にそんな不格好な腕輪を押し付けてきたのか? しかもおまえとお揃いの」
蘇芳の視線が紫蘭の左腕に落ちた。紫蘭は何となくその視線にいたたまれなくなりそっと右手で腕輪を隠す。
「……なんで朝からそんなに意地悪なことばっか言うんだよ。俺が
「褒めてくれって?」
手持無沙汰に腕輪をいじっていた紫蘭の手が、紫蘭の言葉尻を取った蘇芳の言葉にぴたりと止まった。言葉に含まれた鋭さにはっと視線を蘇芳へ向けると、視線が交わった瞬間に大きな溜息を吐かれた。
「確かに、今までの僕だったら、僕に言われたとはいえ自発的に
蘇芳は芝居がかった調子でそう言うと、すっと間合いを詰め紫蘭の胸元に飛び込んできた。
「!」
下から覗き込むような琥珀の瞳が冷酷に睨みつけているように見え、紫蘭は思わず息を呑む。
「なあ紫蘭。今朝も言ったよな? もうそう言うのは終わりだって。
「そっ……」
(そんなの、今更だろっ)
「……」
言い訳のような泣き言は蘇芳の一睨みの前に言葉になる前に消滅してしまった。紫蘭は行き場のなくなった言葉の代わりに唇を噛むと、それを見た蘇芳がぱちぱちと琥珀の瞳を瞬かせ小さく息を吐いた。
「やっぱり僕は甘いなあ……僕はね、おまえにそんな顔をさせたいわけじゃないんだよ、紫蘭。ちゃんとしろって言ってるんだけなんだ。でも、おまえをそうしちゃったのは僕の罪だもんな。兄として弟を可愛がってただけなんだけどなあ」
「……別にこれからもそれでいいじゃん」
紫蘭がぼそりと呟くと、今まで芝居じみていた蘇芳の表情がすっと真面目なものになった。責めるでも甘やかすでもなく、ただ真っ直ぐな瞳が紫蘭へ向く。
「駄目だよ。もうゲームは始まってしまったからね」
「……だから、そのゲームってなんなの?」
「ゲームはゲームだよ、紫蘭」
「……」
何の感情も含まないその声音に、紫蘭はこの話題にもうこれ以上先が望めないことを悟った。諦めたように大きく息を吐きだして右手で頭を掻くと、切り口を変える。
「……じゃあ、パートナー変えてよ。それくらいはいいでしょ?」
「無理だ」
やる気に溢れている梨璃子の姿を思い出し紫蘭が辟易とした表情をしてみせると、蘇芳がバッサリと切り捨てる。
「なんでっ⁈」
「なんでって、ゲームが決めたことだからだ」
「……ゲームが?」
紫蘭が困惑気に顔を歪めると、蘇芳は大きく頷いてみせた。
「そう。このゲームは
「なにそれ。わけわかんないんだけど。それを信じろって言うの?」
紫蘭は納得いかな気に言葉を吐き出すと、レンブラントが小さく首を捻った。
「ですが、それだと少しおかしいような気がしますね。梨璃子様が、ああ、紫蘭のパートナーです、学校では自薦も受け付けると説明されたと」
「ああ、なんだ、知ってたのか。確かに今言った通り自薦も受け付けると案内を出したよ。ただ、プレイヤーは最初から決まっているけどね」
「……どういうこと?」
「紫蘭。おまえ少しは自分で考えろよ。つまり、どれだけ応募してこようと、意味はないってことだよ。今言った通り、既に最初から参加者リストは完成してるからね」
「は? じゃあ、なんでそんな意味ないことすんの?」
「馬鹿だな紫蘭。意味ならあるよ。あくまでも彼らが自発的に参加したと思わせる為だ」
きっぱりと言い切った蘇芳の言葉に、紫蘭はぱちりと一つ瞬いた。
「は? どういうこと?」
「何でも一方的に押し付けられたら、誰だって嫌だと感じるだろ? それが例え王政府からの命令で逆らえないものだとしても、個人の感情にはしこりが残る。だが、自ら手を伸ばしたものであれば、その気持ちは薄くなる。だからだよ。それに、自薦せずとも指名があった場合は、上位機関から選ばれたのだという事実が、少なくとも優越感を抱かせる。少しすれば学園の中で必ず噂になる。選ばれなかったことを嘆く者の隣で、選ばれた者は少なからず優越感を感じるだろうね。最初の警戒心を和らげるためさ。意味は十分にあるよ」
「要するに、茶番ってことだ。ふーん。王様のやることじゃないね」
紫蘭がそう吐き捨てると、ユリウスが頬に手を当てて小首をかしげて見せた。
「あら。そんな言い方はないんじゃないかしら? これを好機だって考えた子も、少なくとも一人くらいはいるはずよ。もっと明るく考えなきゃダメよ」
「明るく、ね……少なくとも、俺は一方的に押し付けられて嫌でたまらないんだけど」
ユリウスの言葉が明確に当てはまる人物が脳裏に浮かび、紫蘭が不満気にそう零すと、蘇芳はあからさまに馬鹿にしたような目で紫蘭を見る。
「この件に関して、王家に生まれたおまえに拒否権があると思ってるおまえの方が心配だよ、僕は」
蘇芳がわざとらしくはあ、と溜息を吐いて額を押さえると、紫蘭は唇を尖らせた。
「やりたくないって思うくらいは勝手だろっ! もう参加に関しては諦めたから別にいい。蘇芳に逆らえるなんて思ってないし。どうせ最初から適当にやって負けるつもりだし、そうじゃなくても……」
(たとえあの人一人で頑張ったって、どうしようもないことはどうしようもないし。俺には関係ないしね)
ふと先程の梨璃子の姿が脳裏を過ぎり、紫蘭はそれを振り払うように小さく頭を振った。蘇芳は目敏くそれを拾うと、不思議そうに首を傾げる。
「聞き捨てならない内容は優しさで聞かなかったことにしてやるとして、どうした? 何か思うところでもあるのか?」
(蘇芳って、俺の頭の中を覗けるのか?)
「パートナーって変更できない?」
「無理だって言っただろ。レンブラントから可愛い子だったって聞いたけど、何が不
満だ?」
「そういうのどうでもいいし……方向性の違いってやつ」
「だったらおまえが自分で頼めよ」
「やったけどダメだったらから頼んでるんだろっ!」
紫蘭が不満げに声を荒げると、蘇芳はユリウスとちらりと目を見合わせて面白そうに笑った。
「……へえ。おまえの顔でお願いしても聞かない女性がいたのか。これは愉快だな」
「あらほんと。外見だけなら一番王子様なのにねえ、紫蘭ちゃん」
「……うるさいなあっ! 今そういう話してないじゃんっ⁈」
はあ、と紫蘭がもう一度大きな溜息を吐くと、蘇芳が小さく肩を竦めた。
「まあ冗談は置いとくとして。パートナーがやる気に溢れてるならちょうど良かったじゃないか。おまえ、命拾いしたな。相手に感謝しておけよ」
「命拾い? どういう意味?」
不穏な言葉に紫蘭が問うと、蘇芳の瞳が真剣な色を帯びる。
「言ってなかったけど、ゲームの途中でおまえたちは
「……はあっ⁈
(戦うなんて、そんなの、勝てるわけないじゃん)
突然蘇芳の口から飛び出した物騒な言葉に、紫蘭だけでなくレンブラントも目を瞠る。
「まあ、
「ペナルティー?」
続けざまに嫌な響きの言葉に、紫蘭の眉間に皺が寄る。
「ああ。負けた者は勝った者に隷属する。敗者は勝者の言うことを聞かなければならないんだ」
「なっ……」
さらりと言われたえげつないルールに、紫蘭だけではなく先ほどから無言を通していたレンブラントも表情を曇らせる。だが蘇芳はそんな二人の様子に構う事なく続きを口にする。
「だから、負けたらおまえは二度と王宮でぷらぷらしているだけの生活に戻ることはできない。それは肝に銘じておけよ」
「なっ、んだよそれっ! 横暴だっ‼」
紫蘭が反射的に吠えると、蘇芳の目がすっと細められた。蘇芳は胸ポケットに差してあった銀色のペンを取ると、くるりと回して素早い動きでそれを紫蘭の喉元に突きつけた。
「!」
触れるか触れないかの場所でぴたりと止まったそれに、紫蘭は目を見開いて思わず喉を詰まらせた。
「横暴? 王が一番偉いんだ。それ以外が従うのは当たり前だろ? 嫌なら負けなければいい。それだけだ」
「それだけって……」
(簡単に言うなよ……)
そんな言葉さえも言い返せず紫蘭がすっかり黙り込んでしまうと、蘇芳は、まあ頑張れよ、と紫蘭の肩をぽんと叩いて、紫蘭の横をすり抜けて廊下の向こうへと歩いていってしまった。蘇芳の退場に、止めていた呼吸を取り戻すように紫蘭の口から大きく息が漏れた。
「……なんだよそれ。自由に生きたいなら勝つしかないって、俺に王様になれって言ってんの?」
(そんなの無理だってわかってるくせに)
紫蘭は自分の
「……あーあ。なんだよ。これから奴隷生活が待ってるって言うのかよ。最悪」
紫蘭が眉間に皺を寄せてそう吐き捨てると、レンブラントがぴくりと表情を強張らせる。
「紫蘭?」
「なんだよ、その顔。まさかおまえ俺がこのゲームに勝てるとでも思ってんの? 冗談でしょ?」
(勝てるわけないに決まってる)
紫蘭は小馬鹿にしたような顔でレンブラントを見ると、レンブラントは咎めるような視線を返してきた。その姿に、紫蘭の神経が逆なでられる。
「あのさあ、おまえも蘇芳も、なんで俺に期待してるみたいな顔すんの?」
苛立ちを隠さない口調で紫蘭はレンブラントを真正面から捉えると、
「今更なんだよ」
と、忌々し気に吐き出して、先ほどと同じ足取りで自室へと歩いて行った。
(ずっと期待なんてしてなかったくせに)
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