第10話 新年と卒業式
テレビで年明けの声が聞こえた。
除夜の鐘はいまだに鳴り響いている。
長椅子で仲良く座っている両親があいさつを交わし、拓海の方へ振り向き、挨拶を告げる。
「拓海、あけましておめでとう」
「あけましておめでとう、拓海。今年もよろしく」
拓海は卒論をしていたノートパソコンから視線を外し、両親に向き直る。
「あけましておめでとうございます。今年もお世話になります」
背筋を伸ばして欠伸をする。
年越しそばを食べ終えてからずっとパソコンに張り付いていたせいか目が痛い。
「眠いなら寝てきなさい。休憩も大事よ」
「……そうする」
「今日は挨拶回りするからな。いつもの時間に――」
「分かってるよ。おやすみ」
ぼうっとする頭で居間を出る。
遅くても七時には起きなければならないが、七時間も寝れば十分だろうとぼんやり考えながら眠りについた。
******
元旦は挨拶回り。
二日目は身辺のもろもろの整理が終わるとゆっくりしていた。
三日目、朝の早い時間に電話が鳴った。
「……もしもし?」
『おっはようございまーす!美夏です!』
「……今何時」
『六時です!』
「俺寝てたんだけど」
『え!?ごめんなさい!皆さんに久しぶりに会えると思ったら待ち遠しくて!切りますね!おやすみなさい!』
「いや、もう目が覚めたからいいよ。それで、何?」
拓海は上体を起こしベッドから降りてカーテンを開ける。空はいまだ薄暗い。
『今日の待ち合わせなんですけれども』
「いつもの駅前に十一時だろ」
『はい!確認です。ありがとうございます。楽しみにしていますね!』
それだけでこんな朝早くから電話をかけてくるなと、少々苛立ちを覚えながら話を続ける。
「航にはしたの?」
『はい!五時に電話かけたら怒鳴られました!』
「……嬉しそうだね」
当たり前だろう、という感想より先に出た言葉に、美夏はこれまた嬉しそうに答える。
『声聞けただけで嬉しいですもん。一週間ぶりの電話だったんですから!』
朝早くの寒い時間だというのに、そんなことを微塵も感じさせない美夏の声音と態度に、拓海は少し笑みをこぼす。
「分かった。じゃあもう電話切るから」
『はーい。朝早くから失礼しました』
「本当に。今度電話くれるときは九時以降にしてください」
『了解です!では後程!』
「はーい、じゃあな」
拓海は電源ボタンを押した。
スマホを机の上に置き、背筋を伸ばす。
窓を開けて朝焼けを見ながら冷たい風に当たれば、すぐに目が覚める。
一瞬の強風に体を震わせて窓を閉めた。
居間へ行き暖房をつけて温まる。
現代技術はなんて素晴らしいのだろう。そう考えながら朝食の準備に取り掛かった。
十一時十分前。
拓海が駅に着くころには全員が揃っていた。
「おはよう」
「おっはようございます!」
「うるせえ」
美夏の大声に、真横に居た航は耳をふさぐ。
「ふふ、おはよう」
「おはよう夕灯さん。俺が最後だったね」
「待ってないからいいだろ。おはよ」
「待たせたことに変わりはないからな」
航は右手を体の前に出し手を広げ、拓海はその手めがけてタッチをした。
これから行くのは美夏の好きな焼肉屋。少し高い食べ放題を頂く。
焼肉店に着き、席に着くや否や、美夏は嬉しそうにメニュー表をバッと三人に見せる。
「見てください!新春限定コースです!」
航はメニュー表を受け取り、目を丸くする。
「は!?たっか!これじゃなくて予定してたやつでいいだろ」
一人八千円程する値段に拓海と夕灯も目を丸くする。
「えー、これにしましょうよ。滅多に来ないんですし、年に一度の贅沢ですよ!」
「だからってなあ……」
航は頭を抱える。
そのあたりの焼肉屋も高くても四千円前後。いくら良いお肉を使っていても手が出ない。
「俺は良いけど」
航が断ろうとすると、拓海が先に賛同の意を唱える。
「私もいいよー。たまには贅沢してもいいよね」
「マジで?」
「もちろん」
拓海はそう言いながら店員を呼ぶ。
航も、まあいいか、と高いコースを受け入れる。
時間九〇分をたっぷりと使い肉も米もデザートも十分すぎるほど食べた。
しばらく席から立てなくなったが、気合を入れてその場を後にした。
歩いていればいも落ち着くだろう、と四人は時間も忘れて様々なところを練り歩き、様々な施設を訪れた。
時間はあっという間に過ぎ去り、すでに辺りは暗く、町の明かりだけが煌々と輝いている。
「次どこ行きます!?」
「え、まだ遊ぶのか」
「あたしまだ元気です!」
美夏は拳を突き出してアピールする。
「私ちょっと疲れちゃった」
「えー!」
「俺も。足痛い」
「そんなー」
美夏はがっくり肩を落とす。
すでに六時間以上歩き続けている。
休憩を挟んでいるといえど、歩いている時間の方が長い。
しかしもう少しだけ一緒にいたい、という美夏に、夕灯はカフェへ行こうという提案をした。
それに誰も反対はしなかった。
彼らが赴いたのは、町外れにある老夫婦が営んでいる喫茶店。
苦いコーヒーとアップルパイが人気のお店だ。
「ここのアップルパイおいしいんだよー。個人的にはオムライスも好きなの」
「こんなところあったんだ」
「皆初めて?このお店全部おいしいよ。いつもどれ食べようか迷っちゃう」
「へー、そんなに」
「喫茶店入ること自体滅多にないから、新鮮だな」
心地よい音楽が流れる店内。ほぼ満席の店内。話し声は聞こえるが時にうるさいわけでもない。
全員がこの場所の雰囲気を尊重し作り上げているのが分かる。
それぞれ四人は好きなものを頼む。
美夏ですら静かになる店内はとても落ち着き心地よい。
ゆったりとした時間が幸福度を上げた。
一時間ほど食事とおしゃべりをして店内を出た。
駅前まで戻って来た。辺りは人々の喧騒で騒がしい。
「どうします?」
「さすがに帰る。明日は用があるんだ」
美夏の問いに航が答える。
「だな。俺も明日はバイトあるし」
「私も。病院に用事があるの」
美夏はすでに満足していたのか笑顔を向ける。
「分かりました。今日はお付き合いいただきありがとうございます!楽しかったです」
「そうだな。楽しかった。早朝電話以外は」
「その節は申し訳ございません!」
航へ頭を下げる。
顔を上げると、今は気にしていないことが分かる笑顔を向けられる。
「私には九時くらいに電話来たけど。二人にはいつしたの?」
「五時と六時です」
「それは早すぎるよ……」
楽しみすぎました。そう言う美夏は反省の色を見せつつ笑顔を見せる。
航は、そろそろ本当に帰ろうか、と切り出す。
拓海と美夏は電車で。夕灯と航は徒歩で帰路に着く。
拓海は、もう少し夕灯との時間が欲しかった、と思いつつ、大学生活で四人で遊ぶことももう少ないだろうと、思いを馳せる。
日曜日。拓海は久しぶりに会う子供たちの顔を楽しみに、アルバイト先へ向かっていた。
「拓海先生」
後ろから声をかけられて背後へ振り返る。
そこにいたのは野々親子と同じ所へ通う男の子の親子がいた。
「あけましておめでとうございます」
拓海は嬉しそうに元気よく挨拶をかける。
「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします」
母親二人に頭を下げられる。
「はい!任せてください。お二人とも大切にお預かりいたします」
預り所はすぐそばだったので、拓海は二人を引き取り歩き出す。
母親たちは子供の姿が見えなくなるまで見守っていた。
階段を上り玄関を開ける。
「おはようございます!」
廊下の奥の部屋まで届くように声を張り上げる。
子供たちは丁寧に靴を脱ぎ急いで部屋へと向かう。
子供たちのいる部屋の扉を開ける。
扉の音で子供たちが一斉に扉の方へ顔を向ける。
「あけましておめでとうございます!」
拓海が声と手話で挨拶をすると。子供たちも手話、僅かでも話せる子は声でも返してくれた。
一月五日の日曜日というだけあり、いつもより子供は少ない。先ほどの二人を合わせても五人しかいない。
これだけで心癒される。もしかするとこの子たちのために生きているのかもしれない。そう思えるほど子供たちが可愛かった。
「児童保護の先生とかでもよかったかもなぁ……」
そうつぶやき、準備のために一度部屋を離れる。
台所の方へ行くと、好子と明彦が御汁粉を作っていた。
「あけましておめでとうございます」
部屋に入り挨拶をすると、二人とも振り返った。
「拓海さん。あけましておめでとうございます。今年もよろしくね」
「はい!明彦さん退院されたんですね」
明彦の方へ視線をやると、彼は柔らかい顔を見せて頭を左右へ振った。
「あけましておめでとう。私は今日まで仮退院なんだ。明日からはまた病院だ」
苦笑いをしながら答える。どこかさみしそうな表情をしていた。
準備を終えた拓海は子供たちのいる部屋へ戻る。
今日は何をして遊ぼうか。そう尋ねると、全員違う答えを出した。
ヒーローごっこ。かくれんぼ。白雪姫。折り紙。お絵かき。
全員違うのが一番困る。
かくれんぼは隠れる場所がないので論外。ヒーローごっこと白雪姫は配役に困るのであまりしたくはない。
折り紙とお絵かきなら両方一緒にできると、引き出しから折り紙と色鉛筆を取り出してきた。
今日は最終時間まで勤務している。
それまで折り紙、お絵かき、お昼寝、お昼寝を挟んでおやつを食べて、口でお話をする練習をして日が暮れた。
夕方。もうすぐ暗くなるだろうという時間帯。玄関の呼び鈴が鳴った。
玄関扉を開けると、子供たちの親御さんが三人いた。
「お疲れ様です。お迎えに上がりました」
「お疲れ様です。今呼んできますね。どうぞお上がりください」
玄関へ上がり、廊下先の部屋へ向かう。
扉を開けて入ると、拓海の背後にいる親を見つけた子供たちは、駆けて足元へ抱きついた。
「たのしかった?」
母親の一人は、大きく口を開けてゆっくりと子供に尋ねる。
子供は大きく頷いた。
他二人も同じ様に自分の親に抱き着く。
好子とともに玄関まで送り届けた。
部屋まで戻ると明彦と遊んでいた子供たちが拓海のもとへ抱き着いてきた。
「あらあら。本当に拓海先生のこと大好きですね」
「私では適わないな」
「え、いえ、そんな。明彦さんとも楽しそうでしたよ」
先ほど出て行く間際に見た二人の笑顔は、久しぶりに一緒に遊べて嬉しかったのだろう、十分すぎるほど輝いて見えた。
拓海は二人を抱き上げ、大きな机がある場所まで移動した。
二人は顔を埋めたまま動かない。
何かがおかしいと思いながら、眠たいだけかとあまり気にはしなかった。
十分ほど二人の背中をたたきながら鼻歌を歌っていた。
すると二人は顔を上げ、見合わせた。
どうしたのだろうと思っていると、二人は拓海の体から離れた。
『拓海君。いなくならないでね』
『先生、まだたくさん遊んでくれるよね?』
二人して何を言い出すのか。拓海は困惑しながらも笑顔で答えた。
『大丈夫。俺はこれかもここの先生としているから』
大学卒業でいなくなると思ったのだろうと考え、そう答えた。
『由美ちゃんが、お姉ちゃんが怖いって言うの。僕は見たことないからわからないけど』
それは夕灯のことだろうとすぐに理解できた。
皆なぜ最近拓海と夕灯の関係をこんなにも心配するのか。彼には分らない。
聞いたとしても、いつも通りの回答しか返ってこないのだろう。
気分転換のために五人で遊んでいると、玄関の呼び鈴が鳴り、男の子の父親が迎えに、十分後に由美の父親がそれぞれ迎えに上がった。
終業時刻を少し過ぎたが、子供との時間が楽しいのでそれほど苦にはならない。
明日からはまた大学が始まり、一月中に卒論の提出がある。
もうすぐ終わる大学生活に思いを馳せる。
テスト前最後の講義を済ませると、拓海は図書館へ赴いた。
卒論の最終確認を行う。
テストのためにノートもまとめ、三時間ほど時間が過ぎていた。
図書館、大学を出ると、ちょうど帰りの夕灯の背中を見つけた。
近づきながら名前を呼ぶ。
「夕灯さん!」
呼ばれた夕灯は振り返り、嬉しそうな笑顔を見せた。
「拓海君!」
「今日はもう終わり?」
「うん。拓海君も?」
二人は歩き始めた。
「ああ。卒論も終わったし、あとはテストがうまくいけば大丈夫。……といっても、卒業点数超過でとってあるから余裕で大丈夫だけど」
「そうなんだ。計画的でいいね」
「後々大変になるより楽になったほうがいいからな」
駅と夕灯宅の別れの道まで来て別れようとすると、夕灯から話があると止められた。
「拓海君は、卒業式が終わったら何か用事があったりする?」
「うーん、航と遊ぼうか、って話はしてたけど」
「そっか。……ねえ、三月三十一日、って空いてる?」
「うん。特に用事はないけど」
「そうなんだ!じゃあ、その日私のうちに来て!見せたいものがあるの!」
長い袖に覆われた両手で拓海の両手を包み込む。
期待した瞳を向けられては断ることもできない。
「分かった。何時頃に行けばいい?」
「うーん……二十二時くらいかな」
「だいぶん遅いね」
「二時間あればたぶん十分だから」
夕灯は顔を背け、拓海は訳が分からず小首をかしげる。
彼女はもう一度顔を上げ、拓海の手をぎゅっと包み込み、胸の前まで持ってくる。
「絶対に来てね!約束!」
「うん。約束……あの、指切りとかは――」
そういうと、彼女はパッと手を離した。
「無理!手は出せないの。じゃあね」
そういう彼女の手がちらっと見えた。
いつもの白い手袋をしていた。
拓海はがっかりしながら、離れていく彼女の背中に手を振る。
「あ!」
夕灯は声を上げて振り返る。
「でも三月三十一日にうちに来てくれたらみられるかも!」
それだけを言って彼女は去っていった。
彼女の秘密を知れるのなら行かないわけにはいかない。
手帳に今の約束を書き込み、浮かれる気持ちで家へと帰った。
******
テストと卒論提出が恙なく終わり、長期休みにはアルバイトをしていつもの友人と遊んですごした。
何か特別なことがあったかと言えば、夕灯と何度かデートをしたことだろうが、これはすでに日常に溶け込んでしまい、あまり特別とも言えなくなっていた。
航の様子も特に変わることはなかったが、夕灯の話はしなくなった。それは航の計らいなのか、これ以上拓海に嫌われたくないからなのか、それは拓海には分からない。
日常が過ぎ去り、早くも卒業式当日。
拓海と航は和装で式典に来ていた。
男子学生はスーツの方が多かったが、せっかくの晴れ舞台。普段とは違う装いにしたかった。
「なあ、夕灯さん見なかった?」
「見てねえけど」
「そうか……」
「なに?今日来ねえの?」
「いや、来るはず」
辺りを見渡しても彼女の姿はなかった。
「友達のところじゃねえの」
「……そっか。別学部の子の晴れ着でも見に行ってるのかもな」
「終わった後にでも会えればいいだろ。そろそろ時間だから行くぞ」
さっさと式典会場に向かう航の後をすぐに追う。
卒業式は何事もなく終了した。
外へ出ると、背筋を伸ばす。
「あー、これで大学生活最後か」
「色々あったけど楽しかったな」
「な。心配事は消えないが」
ちょうど昼時。この後どこで昼を済ませようかと話していると、目の前から見知った人物が近寄ってきた。
「拓海君。よかったー、見つけられた!」
声をかけてきたのはいつもの腕を隠して腰回りをきつくした服装の夕灯。
医学部の彼女は拓海たちとの卒業時期が違うため、残念ながら晴れ着姿は見られなかった。
「夕灯さん、他の子と一緒にいるんだと思ってたよ」
「来たときはね。でも拓海君の晴れ着姿見たかったから」
「ありがとう。卒業式参加しないのに来てくれてありがとう」
すっかり二人の世界に入ってしまい、航はその場から少し距離をとる。
電話の着信音が聞こえた。
航はスマホ取り出し、美夏と表示された電話に出る。
「もしもし」
『こんにちはー。卒業式終わりました?』
「ああ。で、なに。お前今日は友達と遊ぶって言ってなかったか」
『言っておきたいことがあったので!』
「要件は早く」
美夏も友人を待たせているからなのか、少し早口で要件を告げた。
航は眉を顰る。
「嘘だろ」
『本当ですよー。変態でも変な嘘は吐きません』
「ありえない……くはないのか?いや、でもあいつは……」
『あ!お友達呼んでいるので切りますね!では!』
「ああ」
美夏の方が通話を切り、会話が終わった。
「航ー」
電話が終わったとほぼ同時に、拓海に呼ばれる。
「終わったのか」
「ああ。なんかすぐに帰らないといけないらしいから、ご飯は無理だってさ」
「……そうか」
そこで会話が止まった。
拓海はどうしたのか尋ねるが、何でもない、と受け流されてしまった。
「あー、どこ行く?この近くなら、少し高いけどおいしいところあるんだけど」
「そこでいいぞ。金は十分に持ってきているからな」
二人は歩き出した。
先に晴着から私服に着替えて、大学側が用意してくれていた郵便を使い一度自宅へ帰した。
写真はいくつも撮っているので何も問題はない。
三十分ほど歩いて着いた先はスペイン料理のお店だった。
「こんなところよく知ってたな」
「前夕灯さんと一緒に来たんだ。色々探してたら見つけてさ。結構おいしかった」
「……そうか」
「お酒もあるぞ」
どこか元気のない航に耳打ちする。
「度数は」
「三十くらいまでなら」
航は少し考えこむ。
「…………飲むか!」
航は扉前にいた拓海を押しのけてお店に入店した。
カランコロンと小気味良い音が聞こえた。
店員に促されるまま二人は窓側の席へ案内された。
二人で分けるためのパエリア、個人用に拓海はアヒージョとカヴァ。航はソパ・デ・アホとチャコリをそれぞれ頼んだ。
「そういえばさ」
「何?」
「三月最終日に夕灯さんの家行くんだよ」
「……良かったな」
「夕灯さんっていつも手を隠してるだろ?なんかその日は見せてくれるかも、みたいなこと言っててさ少し楽しみなんだ」
周りに花が散っているように見えるほど嬉しそうに話をしていた。
絶対に白くてきれいな手だよ。
マニキュアってしてるのか?
してたら色はピンクだろうか。
拓海は止まらなくなったのか、料理が来てもずっと見知らぬ夕灯の手の話を続けていた。
パエリアを半分ほど食べ終わった後、ようやく手の話は終わり、四月からの仕事の話に移った。
拓海は今お世話になっている難聴者の子供たちの施設。航は警察学校。
それぞれ全く違う職種。合う時間もバラバラになり滅多に遊ぶこともなくなるかもしれない。
それでも連絡は取りあう、これからも親友であることに違いはない。そんな話をしながら食事を終えた。
金額を確認しようとレシートを取ろうとしたが、航に取られた。
「俺が払っとく」
「え、いいよ。俺も金はあるから」
「いや、俺が払う。そんな気分なんだ」
「……変な奴。ではお言葉に甘えて、ごちそうさまでした」
「ああ」
会計を終えると、二人は近くのデパートへ赴いた。
拓海が行きたいというので来たが、何を買うのかと思えば、先ほどのお礼だった。
「奢った意味ないだろ」
「俺がしたかっただけだ」
そう言って、拓海は茶碗と老舗お茶漬けのセットを手渡した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
二人はそのまま帰りの電車に乗り、帰路に着いた。
――その日はやってくる
――きっと運命だったのだろう
――別の道があるのなら、二人、幸せに……
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