第5話 “批判=悪”なのか?
クラシック・ファン(特に日本の)には、接した演奏の批判に神経質な人が多いように思える。せっかくプロの演奏家が演奏してくれたのに、それに対して批判したり、文句を言ったりすることがけしからんというのである。或いは、自分が気に入った演奏が批判されると、血相変えて激怒する人が多いように思える。
しかし、批判することがそんなに悪いことなのか?
「悪いに決まってるだろう!演奏家だって人間なんだぞ!批判されたら傷つくじゃないか!人を傷つけて、そんなに楽しいのか!やっぱり批判は悪だ!!」という具合に。
確かに行きすぎた非難や罵詈雑言、誹謗中傷は控えるべきだろう。だが、異議を唱えること自体まで言ってはならないとなると、それは大いに違うと思う。
言うまでもなく、人の好みは千差万別、十人十色、人それぞれである。多くの人が絶賛する演奏を酷評する人もいれば、逆に評判悪い演奏に感動の涙に咽ぶ人だっている。もっとそのことを認識すべきではないだろうか。
かなり以前の話だが、ある日本のプロオーケストラのホームページの掲示板(現在は削除)に、そのオケの演奏に批判的な投稿があったが、それにカチンときた別のファンから、苦情とその批判意見への謝罪を要求する投稿があったが、実に幼稚でくだらない話だ。自分と違う意見の人間がいた、全く当然のことなのに、その事実さえ我慢ならないとは…。そして、その掲示板に私は「今の日本の音楽界は、ぬるま湯地獄にどっぷりと浸かってしまっている。だから、我々音楽ファンがもっと言うべきことを言わなければならない」という意味の投稿をしたところ、文章の読解力がない哀れな人たちから文意不明なトンチンカンな文句が来た。しかし、議論の相手をして差し上げる価値すらないと判断して、黙殺したwww。
私はいつも思うが、批判意見する人よりも、その意見に噛みつき、無理矢理ねじ伏せようとする人の方がよっぽど恐ろしいし、あってはならないことだと思う。
言いたいことが言えなくなる、そんなことがまかり通ることになったら、最終的には何も言えなくなってしまう。そっちの方がよっぽど恐ろしいと思いませんか?
それに音楽家たちも、下手に演奏してしまったら批判されることぐらい百も承知、重々覚悟の上でステージに上がっているのではないのか?批判を怖がったり、「俺の演奏にケチをつけるとは、許さん!」と逆ギレする者は、芸術家は名乗れないと思う。どうしてもっと凄い演奏をして、見返してやろうと思わないのか。
もちろん、批判が善であるとまでは言うつもりはないが、時と場合によっては大いに必要だと思う。相手への反省を促すためにも。
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