絡まり

あまるん

第1話 絡まり

 愛佳あいかがニットに絡まった猫の毛を取っていると幼馴染の南は図書館の机越しに声を抑えて笑っていた。

――南はこの場所には居ないはずなのに、とどこかで愛佳の意識は呟いた。

「猿の毛づくろいみたい」

 南の声は笑っている。こうなると多少にらんだくらいでは南は止まらない。

「手を動かすと考えがまとまるの!」

 スマホを弄ってる南は愛佳の声に司書が近づいてきたのでうつむいて体を揺らしている。


「レポート今日までなんだし。そんなことしてる暇ないって」

 南の指摘はもっともで、愛佳はまた災害関係の本を読み始めた。2011年に起きた災害のレポートを出すという仕事である。ここはまとまった資料がある県立図書館だ。

 あの揺れも停電が終わった後にみた映像に比べれば大したことが無かった。アトランティスは津波で滅びたとか言ってたっけ。私たち一生懸命まじめに被災地の復興ふっこうをしてるって書かなきゃ……。

「またやってる……」

 落ち着かない愛佳の動きに南は猫のように片目を挟めた。

「だってさなんだかウソ書いてるみたいで。まじめな東北の学生、まじめな被災地の復活」

 愛佳は首をふる。県産品の赤松で作った椅子は座り心地が良い。

「私ぜんぜんなにもしてない。周りがちゃんとしてただけで」

 南はスマホを持って立ち上がった。

「愛佳は絶対そういうね。自分はやってない、自分は違う。あのとき、なにかできた人ばかりじゃないよ」

 南を引き止めようと愛佳は手を伸ばした。南の手は服についた猫の毛のようにふわりとどこかに行く。

「レポートなんてやらなきゃ良かった」

「投げ出すなって」

――愛佳の言葉と南の言葉が重なると周りの空間が柔らかく崩れる。二人はまた重なってしまった。


「またですか」

 診察室で目覚めた愛佳が装着していたVRのメガネを外してくれたのは脳神経内科医の鈴木先生だ。八の字の下がり眉を寄せる。

 愛佳は起き上がりながら、辺りを見回す。

「そうなんです。思い出に南が出てしまって。本当は大学の前に彼女……、南は行方不明のはずなんですが」

 愛佳には南という震災前に沿岸に引越し、あの後行方不明になった友人がいる。二人の人生の交わりはそこで終わったはずだ。


 しかし、この春世界中で流行った謎のウイルスに感染した後、突然南との存在しないはずの記憶が蘇りはじめた。

「例のウイルスの後遺症こういしょうですかね。他の人は記憶が消えてくといってましたが、記憶が改竄かいざんされるとは。まだまだ解明されてない後遺症こういしょうなのでしょう」

 鈴木先生は愛佳に毎回そう説明してくれる。先生は脳のブレインフォグと呼ばれる後遺症の治療に患者の記憶を再認識さいにんしきさせる「ピクトラム」という装置そうち開発の第一人者だ。厚生労働省と共同開発をした安全な治療用具と言われていた。

 そもそもブレインフォグは脳にウイルスが感染し、記憶を呼び覚ますための機能が阻害そがいされることが原因の一つとみられている。

 ゴーグル型のVRゲーム機をヘルメットに似た脳の電磁波でんじは感知装置かんちそうちと合わせて装着することで、脳内の記憶を映像として目で確認させてくれる。一回一時間程度、きりがかかった記憶をクリアに保全できるのだ。

 愛佳はおさえめの価格(マッサージ一時間分くらい)で齟齬そごのある記憶の確認ができる装置に感心していた。ブレインフォグのせいで混乱する生活の原因が、南との存在しない記憶であることに気づいたのも装置のおかげだ。

 愛佳は南との記憶を「脳の霧の向こうの不思議な世界」と名付けている。治療を受けて、南のいない元の記憶を見ようとするのだが、記憶障害は治りづらいようだ。

「もうあきらめた方がいいんですかね」

「少し様子を見ましょう」

 愛佳の言葉に鈴木医師はそう答えて看護師を呼ぶ。彼はいつもの困った顔をしていた。


 愛佳はアパートの一階にある自宅に帰るとスマホを見ながら料理をする。

 白菜を揃えて切る。フライパンに盛ったら合間に豚こま肉を挟んで行って出汁をかけて蓋をした。

 手を動かしていると落ち着くのは昔からだ。一人暮らしの家には愛佳しかいない。

「愛ちゃんはぼーっとしてるからなあ」

 愛佳の家族はいつもそういう。彼氏が欲しくても付き合ったら同じことを言われそうで気が引ける。

「大学の時にちゃんと人間関係を頑張れば違ったのかな」

 みんなで震災の傾聴けいちょうボランティアに誘われた時に愛佳は一人なかなかレポートを出せなくて……。

 確か愛佳を心配して声をかけてくれた人がいた。その人はこの前見た記憶では今は南と記憶が置き換わっている。

(誰だっけ……)

 食事が終わると愛佳は古いパソコンを立ち上げた。大学時代のフォルダに入っている画像を見れば良いのだ。

 しかし、いつのまにか大学時代のフォルダは消えていた。

――大学は行ってたよね。

 記憶の曖昧あいまいさが怖くなって愛佳はパソコンの中身を確認した。日記やメッセージの交換の履歴りれきが見つかり、いくつか開いて読んでみると愛佳はそのメッセージの相手に恋をしているようだった。

 相手の名前はハチ。

 ハチは愛佳の生活の全てを把握はあくして、優しい言葉を送ってくれている。

(ハチのこと、なんで忘れたのかな)

 ハチのIDを自分のスマホのアドレス帳で検索する。そうすると南の名前が出てきてた。

 愛佳はそれが南のハンドルネームだと思い出した。しかし南は大学に入る前に行方不明になったはずで。

 ハチとのメッセージ履歴をみるに部屋にあるものの半分程はハチからもらったようだ。南に置き換わったハチは誰だったのか。

 脳の中に霧が湧き上がる。愛佳が見ようとする過去の景色に幕がかかる。

 耳鳴りの音と共に愛佳の息は苦しくなってきた。

 視界が揺れて心臓が脈打みゃくうつ。なんとかタクシーを呼んであの病院に向かう。

 鈴木医師は愛佳の急な受診も笑顔で受け付けた。そして愛佳に例のV Rのヘッドセットをつけてくれる。

「愛佳はぼーっとなんてしてない、繊細なだけ」

 目の前の南が励ましてくれた。南は少女の姿から身長を増し、横幅も増えて歳をとり、そして一人の男性に置き換わっていく。

 愛佳は気づいた。そう、いつも聞いていたこの懐かしい声の持ち主は……。

 彼はこの春に新型ウイルスに一緒に感染して重症化し、1人逝ってしまった。

 二人は大学時代に出会い、ずっと連れ添ってきた。南の本当の姿は夫だった。ワクチンを打つのが少し遅かったのだ。愛佳の頭の霧が晴れる。

 身体中の痛みと共にハチこと夫の七海ななみの記憶が蘇った。

 治療のため意識をもどすことができずに白い病室に横たわっていた姿。最期は感染対策で映像越えいぞうごしに看取みとった彼を。

 愛佳の胸に後遺症こういしょう由来ゆらいとは違う痛みがよみがえる。


 愛佳のヘルメットから受信した映像をモニターで確認した脳神経内科のうしんけいないかの鈴木医師は眉を寄せて設定を変更する。彼はブレインフォグと呼ばれる接続の失われた記憶の中枢ちゅうすうに一つ一つ新しい中枢ちゅうすうを再接続をする。

 映画の編集にも似た作業だ。

 同時に愛佳の前でまた記憶の中の彼は南に置き換わっていった。


 涙で濡れたVRのグラスを外すと、鈴木医師は愛佳に薬と水をくれた。

「やっぱり南が現れるんですよ」

 愛佳の言葉に鈴木医師はやはり眉を八の字にして頷く。

「それでは来月の予約をいれましょう」

 鈴木医師の言葉に愛佳は頷いて診察室を出て行った。

 編集された記憶は、いつか本当のラストへたどり着くその時まで、愛佳をそっと繋ぎ止めてくれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

絡まり あまるん @Amarain

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ