side.B 銅の雨

アルゼンチンの詩人レオポルド・ルゴーネスの短編「火の雨」を、仮にミステリとして読むとすれば、「恐るべき真相」は冒頭のエピグラフに示されている。

ある日、晴れた空から燃えさかる銅の粒が現代の街に降り注ぎ地上をいていく。

どこからどうしてこの火の雨が降り注ぐのか現代科学では解明できず、作中世界の人々はこの災厄の正体を明かすことのないまま火の雨に逃げ場をも失い、全ての生物と共に焼かれていく。

しかし読者は冒頭の数行で「犯人」を知っているのだ。


旧約聖書の創世記によれば——ノアのすえの一人ロトは叔父アブラムと分かれ、家畜と牧者を率いてヨルダンの低地を選び、ソドムに住むことにした。

しかし神はそのソドムの乱れ、ことに男色を憎み、この都市を住人ごと滅ぼすことを決めた。

御使みつかいは信仰のあつかったロトと一族に、硫黄と火で灼き尽くされるその地を離れるよう告げ、去る時にも決して振り返らぬよう命じた。

しかし、ロトの妻は神の忠告に背きソドムの方に振り向いてしまう。

彼女の身は塩と化してその場所に塩の柱として取り残される——すなわち、死海の岸に「ロトの妻の柱」と呼ばれるものが現在も立っている。

そして神に滅ぼされたソドムとゴモラのあった場所は、今の死海の底であるという説がある。

死海の塩には神に背いた人々の塩も混じっているものなのか。


神の論理によって罪人に仕立てあげられ、その正義の裁きに灼かれる人々にとっては、その仕打ちは永遠に理不尽で不条理に違いない。

ソドムを滅ぼすと告げたしゅに向かいアブラハムが問いかけるに、

「正しい者と悪い者を共に滅ぼすのか、五十の正しい者が……四十五人の正しい者が……四十人 三十人 二十人 十人いたら……」

主が答えるに、その正しい者がいるのならそのために滅ぼさないとしたが、しかしソドムは滅ぼされたのである。

正しい者の人数が足りてなかった故に、心しき者とともに、ごくわずかにいたであろう九人以下の心正しい者も巻き添えで滅ぼされた。

アブラハムはソドムの民の助命を考えたのかもしれないが、逆に主の裁きの正当性を明らかにした。

主の言葉に従わなかったロトの妻と同様、条件によって裁きは下されてしまうのである。


ルゴーネスの「火の雨」には、動物園から逃げ出したライオンが街中で灼熱の銅の雨に降られ苦しみ死んでいく場面が描かれている。

退廃的で不道徳な都市の生活者たちと違い、ありのまま生きてきた筈のライオンに罪があるはずもないのに、である。

降り注ぐ灼熱の銅には善悪を見極める意思も力もない。

非情のものとしてただ降り注ぐだけである。

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白の翳/銅の雨 palomino4th @palomino4th

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