第38話 共鳴する傷跡

「水野さん」貞子は、白い花を大切そうに手のひらで包み込みながら、静かに口を開いた。「あなたにお話ししなければならないことがあります。私が追っている、あの黒い靄のようなもの…あれは、あなたを苦しめたものと同じです。そして…あれも、また、私自身なのです」

鳴海は、その言葉に息を呑んだ。まさか、あの異質な存在が、この目の前にいる、不思議な雰囲気の女性自身の一部だとは。

「私自身の…一部、ですか?」鳴海は、信じられないといった表情で問い返した。

「ええ」貞子は、わずかに目を伏せた。「かつて、私の強い感情が分離して、あのような形になってしまったのです。だから…私は、私自身で、あれと決着をつけたいのです。あなたや、他の誰かに、もう二度と苦しい思いをさせたくない」

その言葉には、強い決意と、深い悲しみが滲んでいた。鳴海は、貞子の言葉に、複雑な思いを抱いた。妹を苦しめた存在でありながら、同時に、苦しんでいる本人でもある。

「それは…大変なことですね」鳴海は、言葉を選びながら答えた。「でも、あなたは、どうやって…その決着をつけるつもりなのですか?」

貞子は、保管していた白い花をそっと見つめた。「まだ、はっきりとは分かりません。でも、この花が、何か手がかりになるかもしれないと思っています」

その時、鳴海は、本来自分がこの山に来た目的を思い出した。妹を苦しめたものの手がかりを探すこと。そして、もし可能であれば、この地に眠るという「海門」の存在を確かめること。

「あの…貞子さん」鳴海は、痛む足首を庇いながら、ゆっくりと辺りを見回した。「私は、この山に、もしかしたら災いを封じる場所、『海門』があるのではないかと考えて来ていました。古文書に、この場所に関わるような記述があったので」

貞子は、少し驚いた表情で鳴海を見つめた。「海門…ですか?」

「ええ。あなたの一部が暴走しているように、この地にも、何か不安定な力が眠っているのかもしれないと思って」鳴海は、そう言うと、再び自分の足に目を落とした。「ですが…今の私の足では、深く探すのは難しそうです」

貞子は、鳴海の言葉と、その痛めた足を見て、少し考え込んだ。彼女自身も、あの抜け殻のようなものとの決着を急ぎたい気持ちはある。しかし、目の前の女性も、また別の目的を持ってこの山に来ている。

「水野さん」貞子は、静かに言った。「あなたが探している『海門』のことは分かりませんが…今のあなたの足では、無理をするべきではありません。それに、私も、まだ完全に体調が戻っているわけではありません」

葉月も、心配そうに鳴海を見下ろした。「そうですよ。無理をして、悪化させてはいけません」

貞子は、少し考えてから、提案した。「ここは一度、麓に戻って、態勢を立て直しませんか?あなたの足の具合が良くなってから、改めてこの山を探すこともできます。それに…私も、もう少し、あの…抜け殻について、考える時間が欲しい」

鳴海は、少し迷った。本来の目的を考えると、ここで諦めるのは気が引ける。しかし、今の自分の状態では、満足に動けないのも事実だ。それに、貞子の言葉には、真剣な思いが込められているように感じた。

「…分かりました」鳴海は、ゆっくりと頷いた。「あなたの言う通りにしましょう。でも…もし、何か分かったら、教えていただけますか?妹を苦しめたもののことは、私も放っておけないので」

「ええ、約束します」貞子は、静かに頷いた。「私たち二人の抱える問題は、もしかしたら、深く繋がっているのかもしれませんから」

こうして、貞子、葉月、そして足を痛めた鳴海は、一旦狗ヶ岳を下山し、それぞれの思惑を胸に、再び行動を開始することになった。

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