第33話 予兆


栞からの電話を切った後も、貞子の心は落ち着かなかった。自分の抜け殻が、誰かに憑りつき、そして自分に戻る可能性があるという言葉が、頭の中で何度も繰り返された。

「抜け殻って…そんな都合の良いものなの?」葉月は、信じられないといった表情で呟いた。「まるで、幽霊に取り憑かれるみたいじゃない」

「私もよく分からないんだ」貞子は、遠い目をした。「でも、栞さんの声は、本当に心配そうだった。それに、舞子さんも…何かを感じているのかもしれない」

その夜、店が閉まり、二人で片付けをしている時だった。ふと、店の外の通りを、白いワンピースを着た女性がゆっくりと歩いているのが見えた。その姿は、以前サービスエリアで出会った羽田舞子に、どこか似ているようだったが、もっと憂いを帯びて、足取りも重い。

「あの人…」思わず、貞子は声を漏らした。

葉月も、その女性に気づき、不思議そうな顔をした。「知り合い?」

貞子は首を横に振った。「いいえ…たぶん、違う。でも…」

その女性は、店の前を通り過ぎ、夜の闇の中に消えていった。しかし、その白いワンピースの揺らめきは、貞子の目に焼き付いて離れなかった。舞子の忠告。「白いワンピースに気をつけなさい」。その言葉が、今になって、重い意味を持って迫ってきたような気がした。

数日後、貞子は、アルバイト中に、ふとした瞬間に強い眩暈に襲われた。目の前が歪み、まるで自分が井戸の底にいるような、じめじめとした感覚が蘇る。すぐに意識は戻ったものの、その一瞬の出来事は、彼女に拭い去れない不安を残した。

「大丈夫、貞子?顔色が悪いよ」心配した葉月が、駆け寄ってきた。

「うん、少し…立ちくらみがしただけ」そう答えたものの、貞子の胸には、得体の知れない焦燥感が募っていた。それは、かつての呪いの記憶の残滓なのか、それとも、抜け殻となった自分の影響なのか。

その夜、眠りについた貞子は、再びあの白い影を見る夢を見た。しかし、今回は、その影がぼんやりと光を帯び、何かを探すように彷徨っている。そして、微かに、しかし確かに、「還りたい…」という、悲痛な声が聞こえた気がした。

夢から覚めた貞子は、寝汗をかいていた。胸の鼓動が早く、強い悪寒が、彼女の全身を覆っていた。栞からの電話、白いワンピースの女性、そして夢の中の影と声。それらの断片的な出来事が、まるで嵐の前の静けさのように、不吉な予感を彼女に告げていた。

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