第20話 浸蝕する闇
影との接触を通して、奈緒の心に微かな光が灯り始めた矢先、その光は、内側から忍び寄る暗闇によって、徐々に蝕まれ始めていた。影と触れ合ったことで流れ込んできた、貞子の強烈な負の感情の奔流は、奈緒の精神の奥底に深く根を下ろし、静かに、しかし確実に、彼女の意識を侵食し始めていたのだ。
最初は、些細な変化だった。理由もなく湧き上がる苛立ち、これまで気にしなかった他者への不信感、そして、ふとした瞬間に脳裏をよぎる、破壊的な衝動。それは、奈緒自身の内なる闇と、貞子の残滓が共鳴し、増幅されたものだった。
次第に、その侵食は加速していった。奈緒の思考は、徐々に貞子の負の感情に染め上げられていく。他者への猜疑心は増幅し、姉である鳴海でさえ、信用できなくなっていく。かつて共感したはずの、影の孤独と悲しみは、いつの間にか、世界への憎悪と怨念へと変貌していた。
奈緒の言動にも、明らかな変化が現れ始めた。これまで穏やかだった彼女の口調は荒くなり、些細なことで激昂するようになった。表情は険しくなり、その瞳の奥には、冷たい光が宿るようになる。鳴海は、妹の異変にいち早く気づき、心配そうに声をかけた。
「奈緒、最近どうしたの?なんだか、様子がおかしいよ」
しかし、奈緒の耳には、姉の優しい言葉は届かない。彼女の意識は、既に内側から響く、復讐の叫びに囚われていた。「うるさい…あなたも、私を理解しないくせに…!」
鳴海の言葉に、奈緒は激しく反発し、姉を突き放した。その瞳には、かつての優しさは微塵も感じられず、代わりに、冷酷な憎悪の色が宿っていた。鳴海は、変わり果てた妹の姿に、深い衝撃と悲しみを覚えた。
奈緒の精神が徐々に蝕まれていくにつれて、彼女は、あのサービスエリアの影に、より強く惹かれるようになっていった。それは、もはや共感や憐憫といった感情ではなく、支配欲に近いものだった。あの強大な負の感情を操ることができれば、世界を変えることができるのではないかという、歪んだ妄想が、彼女の心を蝕んでいた。
そして、ついに、その時が訪れた。満月の夜、奈緒は再びサービスエリアへと向かった。彼女の意識は、ほとんど貞子の残滓に乗っ取られかけており、その瞳には、もはやかつての奈緒の面影はなかった。
駐車場の一角で、黒い影が揺らめいていた。奈緒は、ゆっくりと影に近づき、その中心に手を伸ばした。しかし、今回は、以前のような共鳴や温かい感情はなかった。彼女の心には、冷酷な支配欲だけが渦巻いていた。
「お前は、私の力になる…」
奈緒は、低く、しかし強い意志を込めた声で囁いた。その瞬間、黒い影は激しく脈打ち、奈緒の体内に流れ込んできた。強烈な冷気と、悍ましい負の感情が、奈緒の全身を駆け巡る。彼女は、苦痛に顔を歪めながらも、その強大な力に身を委ねた。
やがて、冷気が収まると、そこに立っていたのは、もはやかつての奈緒ではなかった。その瞳は、深く暗い光を宿し、口元には、嘲弄的な笑みが浮かんでいた。貞子の抜け殻が、奈緒の精神を完全に支配し、新たな存在として、この世に姿を現したのだ。
支配された奈緒は、ゆっくりと夜の闇の中へ歩き出した。その足取りは、かつての憂いを帯びたものではなく、明確な目的意識を持っていた。彼女(あるいは、彼女を支配する影)が目指す先には、一体何があるのだろうか。そして、変わり果てた妹の姿を見た鳴海は、一体どうするのだろうか。新たな脅威の出現は、舞子や栞、そして、まだその異変を知らない貞子の運命を、大きく狂わせようとしていた。
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