第45話 二月の予感と、甘い香りの教室
三学期が始まって、早くも二週間以上が過ぎた。
窓の外は、まだ真冬の厳しい寒さが続いているけれど、教室の中、特に俺と陽菜さんの隣同士の席の周りには、いつも温かくて穏やかな空気が流れている。
奇跡みたいにまた隣になれた俺たちは、以前にも増して自然体で、心地よい時間を共有していた。
休み時間に、陽菜さんがスマホで見つけた面白い猫の動画を俺に見せてくれて、二人で声を殺して笑ったり。
俺が板書を写し損ねた時に、陽菜さんがそっと自分のノートを見せてくれたり。
先生のちょっとした冗談に、二人だけが同じタイミングでクスッと吹き出してしまい、顔を見合わせてまた笑ったり。
そんな、何気ない日常の小さな出来事の一つ一つが、今はもう、かけがえのない宝物のように感じられた。
一月の終わり頃から、街の雰囲気がまた少しずつ変わり始めたのに気づく。
ショーウィンドウには、赤やピンクのハートがあふれ、甘いチョコレートの香りが漂ってくる。バレンタインデーが近づいているのだ。
教室でも、女子たちがグループで集まっては、何やらヒソヒソと楽しそうに話し合っている姿をよく見かけるようになった。
(バレンタイン……か)
その言葉を意識すると、途端に心臓がドキドキと落ち着かなくなる。
陽菜さんは、誰かにチョコレートをあげるんだろうか。もし、あげるとしたら……それは、誰に?
そんなことばかり考えてしまって、授業に集中できないこともしばしばだった。
ある日の放課後、一緒に帰っていた美咲さんと陽菜さんの会話が、ふと耳に入った。
「陽菜、今年のバレンタイン、手作りするの?」
「うーん、どうしようかなー。友チョコはいくつか作るつもりだけど……。美咲はどうするの?」
「私はまあ、適当に買うかな。作るの面倒だし。」
友チョコ……か。
俺は、その言葉に少しだけホッとしている自分と、ほんの少しだけ、何かを期待してしまっている自分に気づき、内心で苦笑した。
そんなある寒い日の休み時間。
陽菜さんが、自分のカバンから小さな袋を取り出し、「はい、これどうぞ」と、俺にチョコレートを一粒くれた。
「え? あ、ありがとう。」
「ううん、昨日お菓子作り教室で作ったやつの試作品なんだけど、よかったら味見してみて。」
そう言ってにっこり笑う陽菜さん。その笑顔と、差し出されたチョコレートの甘い香りに、俺の顔はきっと真っ赤になっていたと思う。
「美味しい……」と伝えるのが精一杯だった。
(これは、友チョコの……試作品、だよな……?)
自分に言い聞かせながらも、胸の奥で期待が膨らんでしまうのを止められない。
俺は最近、冬の終わりの、少しだけ寂しくて、でもどこか春の気配を感じさせるような光景を写真に撮るのが好きだった。
枯れ木立のシルエット、夕暮れ時の長い影、凍てつくような空気の中で凛と咲く寒椿。
そんな写真を陽菜さんに見せると、彼女はいつも「なんだか、切ないけど綺麗だね」「相川くんの写真って、ちゃんとその時の空気感が伝わってくるからすごい」と、優しい言葉をかけてくれる。その言葉が、俺の何よりの原動力になっていた。
そして、ついに二月十四日、バレンタインデーが数日後に迫ってきた。
教室の中は、もう完全にソワソワとした空気に包まれている。男子も女子も、どこか落ち着かない様子だ。
俺は、平静を装いながらも、心臓の音が隣の陽菜さんに聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい、ドキドキしていた。
陽菜さんは、俺にチョコレートをくれるだろうか。
もし、くれるとしたら……それは、どんなチョコレートなんだろう。
そして、俺は、その時、どんな顔をして、どんな言葉を返せばいいんだろう。
期待と不安が入り混じった、甘くて少しだけ苦いような予感。
二月の教室は、そんな特別な空気で満たされていくのだった。
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