第3話 ファインダー越しの、はにかんだ笑顔

放課後の写真部部室は、現像液の独特な匂いと、西日のオレンジ色で満たされていた。

俺は黙々と、昨日撮った写真のデータ整理をしている。隣では、親友の健太が古いモノクロ写真を眺めていた。

「……で、結局どうなんだよ、白石さんとは。」

不意に健太が口を開く。そのニヤニヤ顔は、昨日とまったく同じだ。

「だから、何もねーって言ってるだろ。」

「ふーん? でもまあ、隣の席になってから、お前、なんか雰囲気変わったぜ? 前よりソワソワしてるっつーか、浮かれてるっつーか。」

「う、浮かれてなんかない!」

図星を突かれて、思わず声が裏返る。

健太にはお見通しらしい。確かに、陽菜さんの言葉――『見てみたいな』――が、授業中もずっと頭の中でリフレインしていた。

(見てみたいって言われても……俺が写真撮ってるところなんて、地味で面白くもなんともないのに……)

期待する気持ちと、同時に感じる気恥ずかしさ。そんな相反する感情が、胸の中でぐるぐると渦巻いていた。

「……俺、ちょっと校庭の桜、撮ってくるわ。」

これ以上健太にからかわれてはたまらないと、俺は一眼レフカメラを手に部室を出ようとした。

「お、ついにデートのお誘いか? がんばれよー!」

「ちがうっつの!」

背後からの健太の声を無視して、俺は校庭へと向かった。

満開の桜は、夕方の柔らかい光を浴びて、昼間とはまた違った表情を見せている。淡いピンク色の花びらが、風に舞って綺麗だ。

俺は夢中でファインダーを覗き込み、構図を探る。この瞬間だけは、他のことを忘れられる。

カシャッ。

心地よいシャッター音が響いた、その時だった。

「相川くーん!」

聞き覚えのある、明るい声。

はっとして振り返ると、陽菜さんが手を振りながらこっちに駆けてくるのが見えた。隣には、クールな表情のクラスメイト、佐藤美咲さんも一緒だ。陽菜さんの親友だと聞いている。

「やっぱり写真撮ってたんだ! 見に来ちゃった。」

陽菜さんは、少し息を切らしながら、悪戯っぽく笑う。

「え、あ、うん……。」

まさか本当に見に来るとは思っていなくて、俺は完全に不意を突かれた形だ。隣の美咲さんは、やれやれといった感じで小さくため息をついている。

「陽菜がどうしてもって言うから……。邪魔してごめんね、相川くん。」

「ううん、全然! 邪魔なんかじゃ……。」

むしろ、心臓がバクバクうるさくて、それどころじゃない。

「わー、すごいレンズ! かっこいいね、カメラ!」

陽菜さんは興味津々といった様子で、俺のカメラを覗き込む。

「こうやって覗いて撮るんだねー。ピント合わせるのとか、難しそう。」

「まあ、慣れれば……。」

緊張しながらも、俺はカメラの簡単な操作を説明する。陽菜さんの素直な感嘆の声を聞いていると、なんだかむず痒いような、でも嬉しいような気持ちになった。

「へえ……。ね、ちょっとだけ持ってみてもいい?」

「え? あ、うん、いいけど……。」

俺がカメラを陽菜さんに手渡そうとした、その瞬間。

カメラを受け取ろうとした陽菜さんの指先が、俺の手に、ふわりと触れた。

(……っ!)

第1話の時と同じ、いや、それ以上の衝撃。

俺は慌てて手を引っ込めそうになったが、なんとか堪える。陽菜さんは気づいていないのか、「わ、意外と重いんだね!」とカメラを慎重に構えている。

その時、隣で見ていた美咲さんが、ふと思いついたように言った。

「ねえ、せっかくだからさ、陽菜を撮ってあげたら? 桜と一緒に。」

「えっ、私が?」

陽菜さんが驚いたように声を上げる。

「いいじゃん、記念に。ね、相川くん、お願いできる?」

美咲さんに話を振られて、俺はさらに緊張する。

「え、えっと……俺でよければ……?」

「やった! お願いします!」

陽菜さんは、少し頬を赤らめながらも、嬉しそうに桜の木の下に立った。

風でふわりと揺れる髪、桜の花びらが舞う中で、少しはにかんだように笑う彼女。

俺はゆっくりとカメラを構え、ファインダーを覗いた。

(……きれいだ)

ファインダー越しの陽菜さんは、いつも教室で見る彼女とはまた違う、特別な輝きを放っているように見えた。

心臓の音がうるさい。指が、少し震える。

カシャッ。

シャッターを切ると、陽菜さんは「撮れた?」と駆け寄ってきた。

撮ったばかりの写真を確認する。

夕方の光の中で、桜の花びらと共に写る、陽菜さんの柔らかい笑顔。

「わあ……! すごい! なんか、私じゃないみたい!」

「本当だ、綺麗に撮れてる。相川くん、やっぱりすごいね。」

陽菜さんも美咲さんも、写真を見て感嘆の声を上げる。その反応に、俺は照れくささを感じながらも、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

「……あのさ、相川くん。」

陽菜さんが、少し遠慮がちに俺を見上げる。

「また、こうやって写真撮ってるところ、見に来てもいいかな?」

その言葉に、俺は迷わず頷いていた。

「う、うん。いつでも……。」

夕日に染まる校庭。

舞い散る桜の花びら。

ファインダー越しに見つけた、はにかんだ笑顔。

俺たちの距離が、また少しだけ、縮まったような気がした放課後だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る